[迷信] ぬりかべと白米の意外な関係

ぬりかべ
水木しげるの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」に登場するのでお馴染みでしょうか

のっぺりとしたに目や手足がついた姿がもっとも有名だが、
昔の絵巻などでは、家の壁に鼻があるものや、
三つ目の犬のような姿でも描かれている。

このぬりかべ誕生の背景には、日本人の食生活の変化がひそんでいる。

古代より日本人は、長い間、玄米が食事の中心だった。
私も今、玄米白米1対1で混ぜています。

白米は飛鳥時代頃に食べられるようになったが、
身分の高い人々だけが食べることのできるぜいたく品だった。

それが、江戸時代になって食生活が変化した
農業技術の進歩や新田開発が進んで、米の生産量が飛躍的に向上した

また流通システムの改善などにより、
江戸では多く白米が出回るようになった。
その結果、当初は武士だけが口にしていた白米を
庶民も食べるようになった。

このことは日本の社会を大きく変えた。
「江戸に行けは白米が食べられる」ということで、
地方から江戸に人々が押し寄せ、人口が集中するようになった。
1日に3度食事をする習慣もこの時期に始まったといわれる。

栄養不足
同時に奇妙な病気が流行し始めた。
足元がふらついたり、妙に怒りっぽくなったり、
ときには床にふせって離れられないといった病人が急増したのだ。

不思議なことに、江戸での生活をやめて地方に帰ると、
それらの症状は消える
この原因がわかったのは明治時代になってからだった
食生活の中心が玄米から白米に変わったことにより、
栄養不足が広まっていたのである。

白米は精米の過程で玄米についているヌカを取り去ったものだが、
白米ではビタミンB1やビタミンAがとれない。
ビタミンB1の欠乏は脚気、
ビタミンAの欠乏は夜盲症などの病気を起こした

その両方の症状が重なると、
夜には前が見えにくくなり、足元もおぼつかないので、
目の前に壁が立ちはだかっているように思える。
自分の身に何が起こったのかわからない恐怖もあって
ぬりかべという妖怪が生まれたのだ。

ちなみに、白米100グラムに含まれるビタミンB1は0・1グラム、
玄米は0.5グラムであるのに対し、
米ぬかは2・5グラムもあるだから江戸を離れて地方に帰り、
昔ながらの玄米や野菜中心の食生活に戻ると
自然と回復した。

脚気は現在ではそれほど恐れる病気ではないが
昔は死に至る病気で
江戸に行くとかかるので「江戸患い」と呼ばれていた

14代将軍家茂(いえもち)は脚気で亡くなっている
家茂はぬりかべに立ちはだかれたことになる

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[ことば日本史]一所懸命に一生懸命

ことば日本史、鎌倉時代から

一所懸命
中世の武士は、おのれの本領を守ろうと命がけで戦った。
本領とは、将軍家への奉公によって恩給された「恩地」とはちがい、御家人が先祖から
代々受け継いできた所領のことである。

それは平安時代以来の在地領主がみずから開発した所領田畑がもとであり、
分割相続の対象にはされず、嫡男、惣領に受け継がれていった。
武士は、その本領を鎌倉殿から安堵されて、御家人となる。

この本領が「一所懸命の地」だった。

これがやがて、一つのことに命がけでとりくむ態度をさすのに転用され、
その意味に引きずられて、一生懸命とも表記されるようになった。

土地という財産
大学の時、法律の先生に、土地という財産はあらゆる財産の中で極めて特殊な
有限の資産だと習ったことがある
どうやってもトータルで地球の表面以上にはなりえない
それを分け合うことになる

生産や生活の拠り所なので、全ての基本
今は「所有権」を国家が保証してくれるが、そんなことはごく最近で
長い歴史の間は、実力で奪ったり守ったりの世界だった

日本史を勉強していくと
土地の所有の仕方、保護の仕方の歴史だなあと思う

自分の得ている既得権を守るためどうするか
どういう人に守ってもらうか
一所懸命の歴史だったと思う

びっくり
「一所懸命」って私の中では衝撃のワード

あれは小学校だったか中学校だったか
先生が黒板に「一所懸命」と書いて
みなさんは「一生懸命」だと思っていると思いますが
実は「一所懸命」が正しいんです

ことばの意味や歴史を教えてくれた。

あまりに衝撃だったのでようく覚えている

今まで「一生懸命」頑張ってきたのに
本当は「一所懸命」頑張るべきだったなんて、そんなバカな
私の人生を返せ!

まあ、そのあと、歴史の始まりは一所懸命でも
一生懸命に相当することばは今や「一生懸命」になってしまっているので
一生懸命が正しいと分かり、やすらかな日々を送れています

ただ、あの衝撃は今でも強く残っているので
「一生懸命」と書きたいときは
一旦「いっしょけんめい」変換、ってやって「一所懸命」を出し
バックスペースで消してから「一生懸命」に変えたりしています
あの時の先生に対する敬意です

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長女の大阪への引っ越しの手伝い

いよいよ、この日が来た

長女夫婦が大阪へ引っ越す

手伝いに来てくれる?

良いよ

カミさんと二人で千川の家に向かった

うずたかく積まれた段ボール

へえ、A引っ越しセンターなんですね
A引っ越しセンターは、以前引っ越しのアルバイトをしたときの会社
8年も前になるのか

人生初 引越しのアルバイト

来たのが3名
リーダーさんは若い女性
急に来れなくなった人がいて、という話だったのは、
ひょっとしてリーダーさんかも
難しい梱包は電話で問い合わせしつつ、とっても頑張っている

今日中に部屋を不動産屋さんに引き渡さないといけないから
我々の役目は掃除

家具がどけられるたびにその下に積もったホコリを掃除機で吸い
雑巾がけ

それ以外にもちょこちょこ色んな事があるもので
引っ越し屋さんが頑張ってくれている間、暇ではないけど
それでも間の時間に、色んな昔話をする

そんなこともあったっけ

だんだん家具がなくなっていく
同時にそれはカウントダウンでもある

長女が大阪に行ってしまう時間のカウントダウン

すっからかんになった

荷物を途中、息子(長女の旦那様)の実家に下ろすものがある
カミさんに最後の掃除の仕上げを任せて
車で、その実家へ向かう

車内でも色んな話が出来た

長女は大手学習参考書の出版社で小論文の責任者をしている
一人だけみたい
リモートで仕事を続けるんだけど
新居の方に段ボールで15箱も運んだらしい
出版社ってまだまだ「紙」での仕事もある
チームで仕事をしていたら、ごそっと資料を持っていかれても困るから
ホントに一人なんだな

もう一度戻ってカミさんを拾う

荷物の運び出しをするわけではないので
力仕事ではないけれど
疲れがどっと出た

池袋まで送る

じゃあ、またね

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東京はリアス式海岸だった

東京ミステリーという本を読みました

東京という地域を縄文時代から時代別に辿っていって
色んな謎に答えましょう、というもの

かなり視点が面白く
自分が東京中を歩いてきた実感から
そう言われると、って部分があちこち

極論本的な部分もあるものの
面白けりゃ良いじゃない、というのが私のスタンスですので
その辺は割り引きつつ読んでいただければと思います。

まずは、昔の昔のその昔から

半分海
東京はずいぶん昔、本では「ほんの5000年前」という表現をしていますが
半分海でした

これ自体は、何区だったかの郷土資料館でけっこう詳しく見たのですが
本には色んな追加情報
まずは、ここからの話になります

具体的には、下町と呼ばれている場所
浅草とか向島、千住、本所など、どっぷりと海でした

グレーになっている部分は海

埼玉県の南部にまで達しているので
埼玉県民の、神奈川県民に対して持っている「海がない」コンプレックスは解消です

まあ、最近はそうかも知れないけどさあ

すごいのが貝塚の分布
点々が貝塚で綺麗に昔の海岸線に沿っている

東京23区のほとんどの郷土資料館には行きましたが
判で押したように貝塚と土器の話から始まります。

ハイハイあの辺ね、と思い当たるところは
本で書いてあるように決まって坂の上
なるほど、そうだわ
坂の下には貝塚はない

東京の貝塚は思いきり多いんですが
それは、関東が栄えていた証拠
昔は西日本の方が栄えていたイメージがありますが
もうひとつ前は、むしろ関東の方が栄えていた

東京の貝塚は京浜東北線に沿った帯状に南から北にかけてのみ存在します
久ヶ原貝塚(大田区久が原/海抜17メートル)
東山貝塚(目黒区東山/海抜20メートル)
丸山貝塚(港区芝公園/海抜19メートル)
羽沢貝塚(渋谷区広尾/海抜25メートル)
旧本丸西貝塚(千代田区千代田/海抜26メートル)
小石川植物園内貝塚(文京区白山/海抜20メートル前後)
大蔵省印刷局内貝塚(北区西ヶ原/海抜20メートル)
染井墓地内貝塚(豊島区駒込/海抜23メートル)
赤塚城址貝塚(板橋区赤塚/海抜26メートル)

赤塚城址貝塚なんて、行ったけど、うわあ、あんな高いところかい

ウォーキングイベントで何度か出したクイズ
東京の山の手と下町の境には、ある線が引かれています
何という名前の線でしょう

はい
京浜東北線

東京の標高を色別に表したマップ

色の境目が京浜東北線です
京浜東北線に乗ったら横を確認してください
けっこう長く高い崖が続きます。

上野の西郷さんは、その端っこに立ちます

江戸城(皇居)も端っこで
半分が山の手の高台で半分が下町の低地
境目は急な崖で、石垣で固められている。

面白いのがこの色の境目の形
すなわち昔の海岸線

まずは断層で出来た
どーんと上下にずれた
だから基本はまっすぐ

でそのあとは山の手の台地を長い間かけて波が侵食していく
岩が柔らかいところが削られていき
ガタガタになる
リアス式海岸

山の手を歩いているとよーく分かるんだけど
平坦な高台ではない
リアス式海岸の端っこを上がったり下がったりしながら歩く訳なので
坂の多いこと多いこと

貝塚の話で面白い事が書いてあった
北区の中里貝塚は貝塚の中では最大級の規模を誇るのだが
貝塚の中では例外パターン
上中里の坂を下ったところにある
高台ではない

ということは少し時代があとかも
これだけ大規模というのは
貝を集中的に加工する工場的なものがあったのではないかと推察される

東京の低地はゼロメートル地域、すなわち海面より低い地域もいっぱいある
なぜ水没していないかというと、巨大なスーパー堤防に守られているから
ウォーキングしているとそのへんも良く分かる

地球温暖化で海面が上がると、水没しちゃうわけだけど
どうなんだろう
シャカリキになってストップ温暖化とか言っているけど
地球からするとちょっと前に戻るだけだよね
って話かも知れない

このあと、京浜東北線沿いにある神社の話に発展していって面白いんだけど
続きはシリーズの次回

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