東京はリアス式海岸だった

東京ミステリーという本を読みました

東京という地域を縄文時代から時代別に辿っていって
色んな謎に答えましょう、というもの

かなり視点が面白く
自分が東京中を歩いてきた実感から
そう言われると、って部分があちこち

極論本的な部分もあるものの
面白けりゃ良いじゃない、というのが私のスタンスですので
その辺は割り引きつつ読んでいただければと思います。

まずは、昔の昔のその昔から

半分海
東京はずいぶん昔、本では「ほんの5000年前」という表現をしていますが
半分海でした

これ自体は、何区だったかの郷土資料館でけっこう詳しく見たのですが
本には色んな追加情報
まずは、ここからの話になります

具体的には、下町と呼ばれている場所
浅草とか向島、千住、本所など、どっぷりと海でした

グレーになっている部分は海

埼玉県の南部にまで達しているので
埼玉県民の、神奈川県民に対して持っている「海がない」コンプレックスは解消です

まあ、最近はそうかも知れないけどさあ

すごいのが貝塚の分布
点々が貝塚で綺麗に昔の海岸線に沿っている

東京23区のほとんどの郷土資料館には行きましたが
判で押したように貝塚と土器の話から始まります。

ハイハイあの辺ね、と思い当たるところは
本で書いてあるように決まって坂の上
なるほど、そうだわ
坂の下には貝塚はない

東京の貝塚は思いきり多いんですが
それは、関東が栄えていた証拠
昔は西日本の方が栄えていたイメージがありますが
もうひとつ前は、むしろ関東の方が栄えていた

東京の貝塚は京浜東北線に沿った帯状に南から北にかけてのみ存在します
久ヶ原貝塚(大田区久が原/海抜17メートル)
東山貝塚(目黒区東山/海抜20メートル)
丸山貝塚(港区芝公園/海抜19メートル)
羽沢貝塚(渋谷区広尾/海抜25メートル)
旧本丸西貝塚(千代田区千代田/海抜26メートル)
小石川植物園内貝塚(文京区白山/海抜20メートル前後)
大蔵省印刷局内貝塚(北区西ヶ原/海抜20メートル)
染井墓地内貝塚(豊島区駒込/海抜23メートル)
赤塚城址貝塚(板橋区赤塚/海抜26メートル)

赤塚城址貝塚なんて、行ったけど、うわあ、あんな高いところかい

ウォーキングイベントで何度か出したクイズ
東京の山の手と下町の境には、ある線が引かれています
何という名前の線でしょう

はい
京浜東北線

東京の標高を色別に表したマップ

色の境目が京浜東北線です
京浜東北線に乗ったら横を確認してください
けっこう長く高い崖が続きます。

上野の西郷さんは、その端っこに立ちます

江戸城(皇居)も端っこで
半分が山の手の高台で半分が下町の低地
境目は急な崖で、石垣で固められている。

面白いのがこの色の境目の形
すなわち昔の海岸線

まずは断層で出来た
どーんと上下にずれた
だから基本はまっすぐ

でそのあとは山の手の台地を長い間かけて波が侵食していく
岩が柔らかいところが削られていき
ガタガタになる
リアス式海岸

山の手を歩いているとよーく分かるんだけど
平坦な高台ではない
リアス式海岸の端っこを上がったり下がったりしながら歩く訳なので
坂の多いこと多いこと

貝塚の話で面白い事が書いてあった
北区の中里貝塚は貝塚の中では最大級の規模を誇るのだが
貝塚の中では例外パターン
上中里の坂を下ったところにある
高台ではない

ということは少し時代があとかも
これだけ大規模というのは
貝を集中的に加工する工場的なものがあったのではないかと推察される

東京の低地はゼロメートル地域、すなわち海面より低い地域もいっぱいある
なぜ水没していないかというと、巨大なスーパー堤防に守られているから
ウォーキングしているとそのへんも良く分かる

地球温暖化で海面が上がると、水没しちゃうわけだけど
どうなんだろう
シャカリキになってストップ温暖化とか言っているけど
地球からするとちょっと前に戻るだけだよね
って話かも知れない

このあと、京浜東北線沿いにある神社の話に発展していって面白いんだけど
続きはシリーズの次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

東京はリアス式海岸だった」への1件のフィードバック

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