和算のターニングポイント。中根元圭

江戸の理系力シリーズ
前回は、関孝和についてお話ししました。
和算の関孝和、世界的数学者

今日は、その続きで
関孝和が創設した流派、関流がどう推移していくか

中根元圭
なかねげんけい 数学者 1662~1733

中根元圭は、関孝和の直接の弟子ではなく、孫弟子
建部賢弘(たてべたかひろ)の弟子です。

数学に限らず、江戸の理系技術に関しては大きく発展したターニングポイントがある

8代将軍吉宗、その人
江戸の理系力に関わるさまざまな分野で、何かというと出てくるのが吉宗
「吉宗に指示され」的な文があっちでもこっちでも

吉宗が、単純に理系的な事が好きだったということが大きいのだけれど
基本的な考え方が優れていたとも言える

その吉宗に意見具申したのが、中根元圭
江戸中期において、日本の理系技術は独自の発展を遂げ
関孝和のように西洋の技術を上回るものも出てきた。

ただ、だからといって
日本の技術が西洋を上回っていたかと言うと
そうは言えないと思う。

関孝和の行列式や代数等で西洋を上回っていたものはあるにせよ
それは一部分であって、全体レベルから言うと
やはり、西洋にはかなわない
これは素直に認めた方が良いと思う。

どうしても、部分的に優れたものがあると
ほらほら、日本は実は西洋を圧倒していたんだよ、と思いたい気持ちになるけどね

上様
これこれこうで、こうゆえに
やはり今、西洋の技術を取り入れるべきでございます。

ほんまか、元圭
良いこと言うな
そうしよう

キリスト教に関係しない科学の書物は解禁

現実的には
外国語が理解できる人がいないため
中国が西洋の書物を輸入して、漢字に翻訳したものがほとんどだったんだけどね

中根元圭で言えば
中国の数学者、梅文鼎(ばいぶんてい)の書いた「暦算全書」を輸入し
翻訳しています。

「鎖国」ということが一人歩きし
全くの井の中の蛙だったと言われることもあるけれど
実は科学に関する限り
この時の大きな方針転換で
厳密には鎖国じゃないんですね。

やっぱり日本は良いわ
程よい
もともと控え目で、外国さんたちにはかないませんわ
と言って良いところを素直に取り入れる
かといって卑屈になるわけでもなく
独自性を持てる力と気概もプライドも持っている

この程よさで、この後も行くわけです

中根元圭面白いなあと思うのは
音楽の理論も発展させている

音楽って、あの魔法の数字12が使われている
いつかテレビで外国の偉い先生が、素人にも分かるように
音楽の理論を解説してくれていた。
音って振動、すなわち波なんだけど
ある人が、二つの別の高さの音を綺麗に共鳴し合う音とそうじゃない音があるのを発見した
後に周波数を測ってみると共鳴が一番うまくいくのは丁度倍だったんだけどね
お互いの音の間の幅をオクターブと命名
その二つの音って、低いドと高いドだったってこと
そのオクターブを、3でも4でも割れる魔法の数字、12で割ると
その中にもそこそこ綺麗に共鳴出来る音があるのを発見
ほらね

で、その12個の音が出る楽器を作ってポロロンってやると、何とも心地いい
音楽の始まりですね

その中でも、より心地いいレギュラー選手がドレミファソラシド
補欠選手がピアノで言うと黒鍵たち

レギュラー選手の決め方が西洋と東洋で違うだけで、12で割るのは世界共通

おそらくこういったことをちゃんと理論付けていったという事だと思う。

音楽って理論は数学なんですね
心地よさを計算しちゃうなんてすごいです。

偉いぞ元圭
どみそっ ジャーン

久留島義太
くるしまよしひろ 数学者 1690~1758

久留島義太についても触れておきましょう

まだ、関流にくみしていない頃
古本屋で「新編塵劫記」を入手
和算はここから始まった。吉田光由
要は塵劫記のまがい物

数学の塾を開いて、分かりやすく説明し大人気
こういうことで食っていけるんだから
やっぱり良い時代です

通りかかった中根元圭、
「数学」の看板に引かれ、ぶらっと中に

いらっしゃい

数学の話でしばし盛り上がる
でもだんだん久留島の方が寡黙になっていく

中根さん
私、今日を限りに、数学塾の看板を降ろします。

ええっ
な、何てことを

中根さんとお話させていただいて
今まで自分がやって来たことが恥ずかしくなりました。
情けない

でも、元圭が受けた印象は全く逆だった
こんな人がいたんだと愕然とした。

久しぶりなんです。この感覚
関先生のお話を伺った時以来
情けないなんてとんでもない。

以来、二人は切磋琢磨しながら、同じ道を歩むことになります。

索引はこちら
[江戸の理系力]シリーズはこちら(少し下げてね)

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