神戸震災記念館に行ってきました。

昨日、姪っ子の結婚式で神戸に行った話をしましたね。

せっかく、神戸まで来たんです。

一つくらいどこか観光してから帰りたいな
でーこんの考えそうな事でしょ

朝、どこ行こうか考えていた。

開国
まあ、普通に考えると異人館なんだろうけど
でーこん的に考えると、
神戸と言えば開国
幕末から明治維新、文明開花のいろんな遺跡がいっぱいあるのではなかろうか
勝海舟と坂本龍馬の神戸海軍操練所とかね

神戸の開国についての歴史を分かりやすくまとめた博物館みたいなのがあると良いなあ

検索すると、意外にないのね
神戸はそんなネタで観光客呼び込まなくても
一大ブランドですからね

唯一ひょっとしたらこれって期待した、神戸市立博物館
工事中でお休みでした。

異人館巡り
神戸異人館巡り
昨日お話しましたが
これって予想外に降って沸いたような話。
単純にプラスオン

あっ
神戸と言えば
大きなテーマを完璧に忘れていた。

こんな大きなテーマを今更思い出すなんて
関西人としては、完全に失格ですね。

阪神淡路大震災です。

阪神淡路大震災
1995年1月17日
あの時は福島県郡山に住んでいた。

親兄弟は兵庫県

朝起きたら、えらいことが起きましたってテレビでやってて
ええっ
これが神戸?
あの神戸?

すぐに親兄弟に電話かけるけど
誰にも全くかからない

何度も何度もかけて
それでも全くかからなくて

仕事どころじゃないので
すぐに帰ってきて、テレビ見て
そしたら、時間を追うごとに死者の数がどんどん増えていって
とうとう1000人越えちゃったよ、と思ったのに
それどころじゃなくて、2000人とか3000人とか

電話しか出来ることがないから
電話かけ続けるんだけど全くかからなくて

翌日になっても状況は変わらず
火の海の映像が広がるばかり

親と妹は加古川なので、ちょっとは離れているんだけど
姉は、宝塚。
宝塚もニュースでどんどんやっている

公衆電話の方がかかりやすいらしいよって情報があって
十円玉いっぱい持って、公衆電話にいっても全く一緒

これはもう、どうにかなっていると考える方が順当だろう
救出に行くしかない

東京側から向かっても大阪を突っ切れる訳は無さそうなので
岡山まで飛行機で行ってそっち側から戻って来よう
電車で行けるところまで行って
後は何日歩いてでも。

当時携帯電話持っているのは金持ちだけだったので
本部長に頼み込んで携帯電話を借りた。

空港に行った。
岡山行きのチケットを買う前に
公衆電話から、もう一回だけ電話してみよう。

プルルルル

はい、もしもし

生きてたあ

こっちは揺れたけど全然大丈夫
姉ちゃんの所も家具はほぼ全部倒れて壊れちゃったけど全員怪我もなく無事
こっちには来なくても大丈夫だよ
やっぱりこっちからもそっちに全然電話かからなかったねえ

結局行かずに引き返した。

姉ちゃんの所のマンションはヒビも入らなかったから
数日は色々苦労したらしいけど
生活的には何とかなった

大変だったのは姉ちゃんの旦那さんの仕事の方
旦那さんの職場は、神戸市役所ですから。

ちなみに、妹の旦那さんは西宮市役所
こちらも大変だったらしい


震災の事を聞くと
もう今は、市役所の人達も話題にすることがないらしい。
20年経った今は
所員としてあの時を経験していない、若い人の方が過半数になってしまったから

それはそれで、とも思うんだけど

私としては
結局あの時駆けつけなかった

たまに実家に帰っても
神戸にまでは、行くことはなかったので
結局この20年、「あの現場」は
あの時のテレビで見た範囲を越えていない。

私はやっぱり兵庫県民なので
それは許される事ではないと思う。

偉そうに言っても
20年間わすれていたので
不届き者には違いないんですけどね。

神戸震災記念館
正式名称は
人と防災未来センター
地図

最初に7分間の映像
1995年1月17日5時46分に
神戸の各地に起きたことを再現映像にしてある

アクション映画を見ているような錯覚に陥るんだけど
全てが現実に起きたこと

ただただ衝撃で

ごめんなさい
感想の書きようがありません。

どんな言葉で表現しても
嘘の感想を書いている気がして

次の映像を見る場所へ行くまでの間
当時の町が再現してある
ここ、撮影NGだったので、お見せ出来ないのが残念なんですが
すごかったなあ
町ってこんな風になってしまうもんなのか

でも薄暗くって良く見えない
演出なのか
もうちょっと明るくしてもらった方が
と思って、ふと気づいた

ライフラインが全て寸断されている情報で
灯りなんてあるわけがない
真っ暗な中でのまさにこの風景だったんだなって

演出だなんて考えた自分が恥ずかしい

ここにあるものや、映像やらは
ただただ、事実を出来るだけ忠実に再現しようとしただけのもの

復興
次の部屋で15分間の映像を見ます
テーマは復興

その時どうだったのかも、見たかったけど
復興はどうだったのかも見たかった

正直、今の神戸で
当時の事がかいまみれる場所がない
では、復興はどのようになされていったのだろう

これは、映像だけでなく
そのあとの部屋のおびただしい量の展示物で少しずつ感じとれます

長くなりすぎましたね

まだ続きますので
分けさせて下さい。

続きはまた明日。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

神戸震災記念館に行ってきました。」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 神戸震災記念館。復興はどのようになされたのか | でーこんのあちこちコラム

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