[大暑] 7/23 富士山の山開き、嘉祥の儀

二十四節気シリーズです。

大暑
たいしょ 最も暑さの厳しい頃 07月23日

分かるなあ
今日も暑かったあ

大暑の時期に行われたのは、富士山の山開き、嘉祥の儀

富士山の山開き
富士山は太古の昔から、特別の山で多くの人々の崇敬を集めた
何故かは一目瞭然ですね

逆に言うと、富士山がたまたま日本にあったからこそ
日本で山が神様だという発想になったのかもしれない。
あの特別な美しさ
神様でなきゃ無理でしょ

江戸になると、富士講という互助会のようなものが発生し
富士塚という富士山のミニチュア版があちこちに出来る

富士講、富士塚については以前にも書いたので、そちらを見てね
富士講でありがたや

さらに、富士山は女人禁制だったんだけど
60年に一度、女人禁制が解かれる年の話や
女人禁制を解くきっかけになったパークスの奥さんの話はこちらを見てね
干支はここにもあそこにも

嘉祥の儀(かじょうのぎ)
嘉祥の儀は旧暦の六月十六日に行われた行事です。
一言で言うとお菓子を食べる日

不思議な日があったもんです。
しかも、国をあげて大々的に行われている。

江戸時代って不思議、って思ったらそうじゃなかった。

始まりはなんと、平安時代
承和十五年(848年)に、朝廷に白亀が献上されたことに始まります。
これを瑞祥として、仁明天皇がこの年を「嘉祥」と改元
群臣に十六種類の食物を賜りました。

室町時代以降となるとこの宮中行事が武家にも拡がり、
この日は16文で菓子を求めてこれを食するようになりました。

この16という数字が重要なようです。

さあ、江戸時代になりました。
江戸城ではこの日、将軍から諸大名や家臣に
十六種類の菓子盛りを与えています。

16×対象者全員ですから、その総数
1612膳
あれ?計算合わない?

いくらなんでも経費がかさむということで
十六の「十」って「一」の事だよね
1と6足して、7だから7種類だね
ああめでたい。七福神も七だし
という、無理矢理の納得のさせ方で
それ以降は七種類とはなりますが
お祝い自体は継続します。

それを聞いた庶民たち
参ったなあ
お城ではそんな風習が行われているらしいよ
我々も尊敬するお上のやることは、
うやうやしく真似させていただかないと

都合の良いものは、
お上を口実に広まっていく訳です。

そう
甘いお菓子を食べなきゃいけない日

江戸の初期は、
砂糖ってあるにはあるんだけど、とても高級品
調味料というより
薬という捉え方

江戸中期に、吉宗が砂糖の製造を奨励してから
値段もだんだん安くなっていく。

江戸も後期になると
白砂糖は無理でも
黒砂糖なら、庶民でも、何とかなるようになっていく。
黒砂糖で作った餡を使った饅頭、大福、羊羮、きんつば等が
普及していくことになります。

世界的に見ても
庶民が甘いお菓子を食べられているというのは
かなりまれなことらしいです。

十返舎一九の「餅菓子即席増補手製集」
オーブンがないので、大きな焼き釜でカステラを上下から炭火で焼いて作っています。

豊国 二十四好今様美人 甘い物好

しかし、何故今はやらないんでしょうね
それこそ、大手お菓子メーカーが大々的にキャンペーンを打てばいいのにね
旧暦6/16の嘉祥の儀をそのまま新暦でも6/16として「和菓子の日」
和菓子だけじゃなあ。

索引はこちら
[暦]シリーズはこちら(少し下げてね)


トウガラシ ブラックパール

花カレンダー始めました

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です