成田屋留次郎は朝顔おやじ

江戸の理系力シリーズ

天文学、数学、医学、機械工学と来ましたね

さあ今日から、遺伝学と参りましょう
要は植物学ですね
ソメイヨシノの時期に、割り込みで伊藤伊兵衛やっちゃいましたけどね
ソメイヨシノを作った男は伊藤伊兵衛?

今回のテーマは朝顔
江戸の庶民に大ブームを2回もたらした。
第一次は、文化・文政年間(1804~1830)
第二次は、嘉永・安政年間(1848~1860)

まず、第一次ブームから

入谷
今でも入谷の朝顔市は有名ですね
第一次ブームは入谷から発祥するのですが
そのきっかけになったのが、丙寅の大火
下谷一帯は焼け野原になり、広い空き地ができた

江戸の警備とかを担当していた御徒組(おかちぐみ)という武士たちの屋敷が
下谷で焼けてしまう。
仕方ないので、この広い空き地で栽培をはじめたのが朝顔

その中でも一番熱心だったのが、大番組与力、谷七左衛門
大輪の花を咲かせたり、珍しい形の花や葉を作り出すことに成功。
変化朝顔と言います。
「朝顔屋敷」と呼ばれて、大勢見学に訪れる。

牡丹咲きというのは、この頃から出来てきたもの
牡丹を思わせる華やかな朝顔。


この第一次ブームで裾野が大きく広がることになります
植木屋はどっと増え
この時期は富裕層も増えていたので
珍しい朝顔のためなら、金に糸目はつけないという好事家も多くいました。

そんな中での第二次ブームです

成田屋留次郎
なりたやとめじろう 遺伝学者 1811~1891

変化朝顔って、人工交雑などの品種改良では出来ないんです。

普通の朝顔はその種を撒くと翌年も同じような花が咲きます。

変化朝顔の場合は、また咲くかも知れないし、咲かないかもしれない
根気よく何度も繰り返すしかない。

成田屋留次郎は全国から、変化朝顔が咲いたという情報を入手しては
そこへ出向いていって種を手に入れる
珍しいものであればあるほど種も高い値段になるが
好事家達のネットワークがあるので
今の値段に換算すると500万円もするような種でも買ってくる

例えば好事家の〇〇さんのお金で買った種
さあ、どうでしょう

ダメでした。普通の花

ほんまか、しゃあないな

ここで、文句を言ったら次に買ってもらえなくなります。

そんな博打のようなことを繰り返していても
根気よく、膨大な実験を繰り返していくなかで
留次郎は
こういうタイプの花や種であればこういう確率でこういう花が咲くという
法則性を見いだしていきます。

メンデルがエンドウ豆でメンデルの法則を発見する15年も前の事になります

三都一朝という本も書きます。


ちなみに成田屋というのは
市川団十郎の大ファンだったので
団十郎の屋号成田屋をそのまま、植木屋の屋号にしています。

索引はこちら
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ツルハナナス

花カレンダー始めました

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