10/23 霜降 神田祭

二十四節気シリーズです

霜降   そうこう  露が凍って霜が降りる頃  10月23日

そうこうって読むんですね
しもふりかと思いました。

神田祭
神田祭については一度書いていますので、そっちも見てね
江戸の娯楽と言えば、祭でしょ(神田祭)



江戸時代の神田祭は「秋祭り」だったんです。
現在の神田祭は5月中旬に行われていますが、もとは旧暦の9月15日です。

神田祭は山王祭と並ぶ天下祭
幕府のお墨付きの将軍に上覧できる二つだけの祭です。

当然その盛大さは群を抜いています。

余りに盛大になりすぎたので
神田祭は山王祭は年毎に交代でやろうということになったので
同じ季節の初夏にやっても良いんでしょうけど
それでもやっぱり、秋祭りでした。

5月へと変更になったきっかけは明治になってからです。

神田明神の江戸時代の祭神は
大己貴命(おおなむちのみこと)すなわち大黒様と、
平将門(たいらのまさかど)公。

ところが、明治になると、朝廷から見ると反逆者である平将門、
考慮せよ、とのお達し

末社(大きな神社の中にある小っちゃな社)に格下げされちゃいました。

何だとぉ
やってられっかい

神田っ子はブチギレ
祭をボイコット

引っ込みがつかなくなって、10年間も中止しちゃいました。

10年後の明治17年、ようやく鞘を納めることが出来て

よっしゃ、久しぶりにやったるで

10年分の鬱憤を吐き出すべく
過去最大級の祭の準備をしました。
山車もどでかい奴

江戸時代は、旧暦の9月15日なので、今の10月なんだけど
明治で新暦になっていますので、そのまま、9月。

いよいよ明治17年の当日。特大の台風に見舞われ、でっかい山車(だし)が倒れてけが人が続出。
名付けて「将門台風」
平将門の祟りに違いない。

結局、台風の季節は避けたいということになり、5月に変更

都市が大幅に電化していき、町に電線が張り巡らされると
山車は大幅に規模を縮小しないと通れなくなり
神輿(みこし)中心に変わっていく。

ならば、10月にさえすればとも思うけどね

ルート
山王祭の時は、そのルートを書きましたね
[小暑] 7/7 山王祭のルートを辿ろう

山王祭のルート

神田祭のルートはこうです。

やっぱり庶民の祭らしく、下町中心になりますね

御上覧所から常磐橋御門までの祭ルートは神田祭と共通になります。

常磐橋御門で、前半終了。
常磐橋御門で山車はお役御免となり
以降の後半戦は、神輿だけになるっていうのも
山王祭と一緒

ここからもう薄暗くなってきますが
本格的に下町を練り歩くので、
盛り上がりは、より加速していきます。

山王祭に比べると
下町の繁華街を行ったり来たりの、これでもかっ

神田明神に帰る頃にはすっかり日も暮れ
疲れきっちゃいますが
アドレナリン出まくりなので

でやんでい、べらぼうめ

索引はこちら
[暦]シリーズはこちら(少し下げてね)


コスモス

花カレンダー始めました

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です