[小暑] 7/7 山王祭のルートを辿ろう

二十四節気シリーズです

小暑
しょうしょ 暑さが本格的になっていく頃 07月07日

この表現は合ってますね
暑さが本格的です。

7/7は七夕でしょと思いますが
旧暦だと7/7じゃないんですね
七夕、旧暦の7月7日は立秋の時にお話ししますね

山王祭
江戸時代のこの時期には、日枝神社の山王祭が行われます。

江戸に祭は数々あれど、天下祭と呼ばれているのは
山王祭と神田祭だけです。

山車(だし)や神輿(みこし)が江戸城まで入ることが許され
将軍の上覧を受けることが出来る

一年おきで、山王祭の年と神田祭の年が入れ替わります。

ルート
それでは、江戸時代の山王祭のルートを辿ってみましょう

スタート地点の山王権現(日枝神社)は、明暦の大火の2年後、
万治2(1659)年に、4代将軍家綱が赤坂の溜池を望む松平忠房の島原藩邸地を
社地に定め、社殿を権現造で新しく造営しました。

山王権現が立地する場所は江戸城から見て裏鬼門に位置します。

将軍徳川家の産土神として定められたんですね。

山王権現に集結した山車や神輿は、武家屋敷地が一帯を占めるエリアを通り、
高低差のある道を左へ、右へと曲がって行き、
井伊家上屋敷の裏手に出ます。
今の国会議事堂に立派な庭園がありますが、ここが井伊家上屋敷です。

ここから永田町梨木坂を下り、桜田濠のダイナミックな風景を目の当たりにします。

桜田濠の先に見える半蔵御門から、山王祭の行列が江戸城にねり込んでいきます。
そのねり込みの様子を描いた広重の浮世絵です

江戸城内に入ります。
吹上の広い庭園内の脇を濠に沿うように進み、将軍が待つ御上覧所に向かいます。

おお
今年は一段と見事じゃのう
誉めてつかわす。

御上覧所から常磐橋御門までの祭ルートは神田祭と共通になります。

ここまでで、前半終了。
常磐橋御門で山車はお役御免となり
以降の後半戦は、神輿だけになります。

さあここからは町人ルート
いっそう盛り上がります。

不思議なことに、江戸名所図会の山王祭の日本橋の絵には
山車も書かれています。
おそらく理由は、
せっかくだし

象まで行列しちゃってます。
まあ、せっかくだし

越後屋を皮切りに
賑わいの街中を通り
熱狂の渦

行列は、西堀留川沿いの小舟町を通り、小網町の親父橋を渡り、
さらに小網町を東に進みます。

右に曲がり、湊橋を渡って霊岸島に入ります。
霊岸寺は埋め立てによってできた島に寛永元(1624)年に創建された広大な境内がありました
明暦の大火後には深川へ移転しました。

その境内跡には、豪商で建築·土木に長けた河村瑞賢の手によって
万治3(1660)年に開削されたといわれる新川が掘られます。

御旅所に着きます。
御旅所とは、日枝神社日本橋摂社
支店みたいなもんですね。
今もこの場所にあります。

この辺りでもう暗くなってきますが
その中をさらに進みます。
まだまだ、これからだいっ

さあ来ましたよ、日本橋
左に折れて、いよいよ銀座へ

銀座には、恵比寿屋という呉服の大店(おおだな)がございます。
祭の日は売上がガンガン上がるんでしょうけど
店員だって江戸っ子
てやんでいっ、商売なんてやってられっかい

再び、武家屋敷エリアに入って来たときはかなり暗くなっています。
広島藩浅野家だったり
福岡藩黒田家だったり

到着
長くエキサイティングな一日が終わります。

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