小石川七福神巡り。その1

もう、お正月の七福神巡りを考えるべき季節になったなあ

小石川七福神巡り
もう、5回目になります。
日本橋七福神巡り
雑司ヶ谷七福神巡り
谷中七福神巡り
港区七福神巡り

これやらないと年が明けないからなあ

今度は、小石川七福神巡りで行ってみよう。
茗荷谷駅から後楽園駅までのコース

かつて歩いたことあるコースと結構だぶっている

林泉寺
七福神ではないんだけど
茗荷谷からってことになると、林泉寺に寄らない訳にはいきません

えっ、どこ?
行ったことあるのに分からない

あったぁ。全然違う
こんなにきれいに建て替えちゃって

しばられ地蔵です

今日もまた気合いの入った縛られ具合

深光寺
恵比寿様です。

唯一の日本出身の神様です。

南総里見八犬伝の滝沢馬琴の墓があります。

徳雲寺

このコースの面白いのは、男弁天と女弁天の二人の弁天様が入っていること。
こちらは男弁天です。

今はご開帳の時期ではないのですが、正月の1/1から1/7までは、
蛇がとぐろを巻いてその上に顔が着いた弁天様が見れるそうです。
要するに、蛇の神様、宇賀神ということです。
弁天様と宇賀神は同一視されています。

播磨坂
松平播磨守のお屋敷があったので播磨坂
桜の次期は超人気スポットです。
この播磨坂沿いに、高橋泥舟と、山岡鉄舟という幕末の三舟のうちの二人がお隣で住んでいました。
(あとの一人は勝海舟)
山岡鉄舟は高橋泥舟の義理の弟ですのでね

へえ、お隣なんだと、幕末地図アプリで調べてみました。

ほんとだぁ。ああ嬉しい。

きっと二人で肩を組んで
僕たちお隣でしゅう。
というギャグを言っていたに違いありません。

播磨坂の真ん中に銅像
あら恥ずかしい

すぐ近くに、石川啄木の終焉の地がありました。

ここに書いてあるのは、石川啄木が死ぬ直前に書いた二つの短歌

すぐ横に石川啄木顕彰室というのがあったので、入ってみました。
二つの短歌についても書いてありました。

呼吸すれば 胸の中にて鳴る音あり
凩(こがらし)よりも さびしきその音

かなり病気が進行していたんですね

眼閉づれど 心に浮かぶ何もなし
さびしくもまた 眼をあけるかな

そして、顕彰室にあった、ひとつの言葉に、びっくり
「相馬屋の原稿用紙に綴った最後の歌」
相馬屋ぁーっ

慌てて、先程の碑を再度見に行った。
原稿用紙に書かれている啄木の字の碑

相馬屋とは
先日行った神楽坂の現在もある古くからの文具屋
近くに住んでいた尾崎紅葉の再三の改善要求に、作り上げた最高の原稿用紙

名だたる作家は、わざわざ、相馬屋に買いに行っています。
石川啄木もその一人と、本に書いてあったのを思い出しました。
それがこれなのかぁ

極楽水
小石川パークタワー敷地内
了誉聖冏上人(りょうよしょうけいしょうにん)が、庵を結んだ所
ここに、女弁天があります

宗慶寺
ここは、寿老人です。

そして、何がすごいって、家康の側室、茶阿局(ちゃあのつぼね)の墓碑がある

キリシタン屋敷跡
線路を越えて向こうになるのですが
いつか行きたいとずっと思っていた、キリシタン屋敷跡が近くにあります。
行きましょう。

シドッチと新井白石と世話係を任された長助・はるという老夫婦の辛く悲しい物語
こっちを読んでね
シドッチ。鎖国を知りつつやって来た日本オタク

と思っておりましたら
何と今回さらに一人
ジュゼッペ・キアラという人がこのあと関わってきます。
その2で書きますから、覚えておいてね。

ということで、まだまだあるこの続きは明日ね

おでかけマップ

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