[吉岡宿の奇跡]4 金のなる木と熊野牛王符

[吉岡宿の奇跡]1 吉岡宿を救いたい
[吉岡宿の奇跡]2 大きな一歩
[吉岡宿の奇跡]3 せがれの気持ち
の続きです。

肝煎(きもいり)
大肝煎の千坂仲内を同志とした話はしましたね
これって一足跳びの行為で、間の肝煎を跳ばしちゃっている。
大肝煎りが部長さんなら、肝煎りは課長さん
他の藩では肝煎りは庄屋と呼ばれています。

そろそろ肝煎の幾右衛門に話さねば。
吉岡宿を統括してくれているのはこの幾右衛門
吉岡宿の行く末が細っていくのを誰よりも困っている
吉岡宿の年貢取り立ての責任をおっているから
年貢を取れなくなって牢に入れられるのは幾右衛門

さらに、心配なのが息子の桃吉
息子を溺愛しているので、桃吉の代に「吉岡宿の終わり」が来るのが何よりも怖い

十三郎と菅原屋は、幾右衛門を呼び出し、計画をていねいに説明した。

そういうことで金がいるなら、家財道具一切がっさい全部売り払っても良い
ずた袋を下げて物乞いをして歩いても良い
桃吉の行く末を思うと。

本音だった
これで同志が6人となる

三浦屋
それから2ヵ月ほど経ったとき、動きがあった

仙台藩の豪商の中の豪商、三浦屋から十三郎に手紙が届いた

こたび、私は鋳銭御用(ちゅうせんごよう)を仰せつけられました。
鋳銭場に、人柄を吟味して役を仕切れる確かな人物を14~5人申し付けるようにとのこと
ついては、音右衛門にお願いできないでしょうか

三浦屋はとても遠いが親戚と言えば親戚
どこかで音右衛門の評判を聞き付けたのかも知れない。

とはいえ、音右衛門は今やこの計画の一番中心になって動いてくれている
十三郎は途方にくれた。

菅原屋に相談に行くと、以外にも大喜び
運が大きくついてきましたぞ十三郎殿

鋳銭御用とは何かというと徳川幕府が進めたとんでもないこと
世界中いつの時代も中央政府の専権事項であった、お金を作るという事業
金貨はさすがに幕府が作ったけど、銭は有力諸藩に作ることを認めた。
ただ、そのためには膨大な初期投資が必要。
藩自体も手掛けられず、その中の豪商にやらせる。

文字通り金のなる木

菅原屋の読みはこうだ。
三浦屋と繋がっていさえすれば、向こうから絶対に言ってくるだろう。

軌道に乗るまで、いくら金があっても足りない

金を貸して欲しいと。

金を貸して恩を売る
何せ、金のなる木を手に入れたのは三浦屋
絶対に戻ってくる。
かなり高額の利子だとしても。

でも狙いは、利子にあるのではない。

数百両単位で金を貸す。
返してもらうとき、今度は逆にそれ以上の金を借りる

音右衛門は三浦屋へ
そして
すばり読みが当たった。

550両の借金を申し入れてきた。

来たっ

なにぶんの高利にても苦しからず
そう言ってきた。

同志6人、死に物狂いで金を集める。

菅原屋の作る茶の薫りは特別の物だった
京まで聞こえ、ついには、九条家から和歌をもらった

春風の かほりもここに 千世かけて 花の浪こす 末の松山

菅原屋が生涯かけてやって来たことへの褒美
生きてきた価値と言っても良かった

それさえも質に入れた。

聞いた十三郎は
あんた、命の次に大切にしてきたじゃないか
それだけは

すました顔で、菅原屋

なあに、人が驚くような事からやるものさ
そうするとみんなが本気になる

450両が集まった。
吉岡宿復興の呼び水となる金

約一年半が経過した正月
音右衛門が正月休みで戻ってきた。

朗報
三浦屋は儲かっている。

そうか
よし、今から行くか

三浦屋はなかなかたぬき
払えないだ、待ってくれだのと、言ってきていた。

貸した450両を利息ともども取り戻した上に
三浦屋から資金を借り出してくる

さすがは菅原屋。
最初金を貸すときから、そこまで約束して証文を取っている
相手は、喉から手が出るほど金が欲しい時期だっただけに
何も言わず判子を押している

三浦屋に乗り込んだ

三浦屋ともなれば、正月のこの時期、そうそうたる有名人たちで賑わっていた。

それを前に、菅原屋の大演説が始まった。

証文をたてに、取り立てるのかと思うとさにあらず

本来ならば払っていただかなくてはなりませんが、こたびは我々が折れましょう。
実は私たちは五六人の仲間をつのり、念願していることがございます。
お上に一旦大金を差し上げ、年々利息をいただいて、吉岡宿のみなの衆に配分したい
用立てたのは、そのための大切なお金でした。
また、三浦屋さんからお金をお借りするお約束もしてありました。
でもこうなった以上、お借りするのは諦めます。
でも、お貸しした分だけはお返しいただきたい。
利息も、お約束とは違い、もっと少なくても構いません。

まあ、そう言わずとも
気まずそうに三浦屋が言った。

(よしきた)

では、あらためて三浦屋さんにお願いします。
お金を用立てていただきたい。

懐から、一枚の紙を取り出した。
例の証文かと思うとそうではない。

熊野牛王符(くまのごおうふ)

私たち二人は、お借りする金を決して私事には使いません。
このままでは吉岡宿はつぶれてしまいます。
それを救いたい一心でございます。
かくのごとく熊野三社に誓ってございます。

最初に二人で作った血判状が生々しかった。

そ、そういうことなら承知した。

本当に合わせて千両を引き出してしまった。

続きはシリーズの次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です