[名僧]村上専精。仏教を統一しましょう。

名僧シリーズ、明治です。

村上専精(せんしょう)
1851~1929年

明治の廃仏毀釈でガタガタになった仏教を立て直すべく立ち上がった男たち
その内の一人が井上円了でした。
続けとばかりに、この人、村上専精

丹波(たんば)の山中の極貧の寺に生まれます。
それでもお父さんは幼い専精に浄土三部経の読み方を仕込みます。
現在だと幼稚園に行っている年齢でお経が読めるようになります。

8歳で他の寺に預けられます。
いくつかの寺を転々としながら何とか食い繋いでいく日々
それでも、漢文の素読(意味は教わらず単なる暗記)をさせてくれる寺もあり
ひたすらに何度も読んで暗記します。

学問への意欲が押さえられず、姫路へ出ます。
漢学塾へ入学
働きながらだと学問の時間が取れないので、朝托鉢して回り
ひたすら漢学を学びます。

さらに、高度な仏教を学ぶべく、越後へ行きます。
その後、三河へ、京都へと移りながら学問を追究していきます。

京都では東本願寺の唯一の専門学校であった高倉学寮へ入学
でも残念。この時期、高倉学寮では色々あって、全学生が退学する大事件
やむなく、専精も一旦三河へ戻り、入覚寺という寺に養子に入ります。
ここで村上姓を名乗ることになります。

やはり学問への思いを絶ちきれず、寺の事を捨ておいて、学問ばかりしていたので、大クレーム
逃げ出すようにして、また京都へ
今度は東本願寺の教師教校へ入ります。

これ以降転々とはするものの、仏教への教育者の道を進むことになります。
東京の曹洞宗大学(駒沢大学の前身)に招かれ東京へ。

井上円了の自宅にも挨拶に行きますが、すでに相手は有名人。
緊張のあまりほとんど何も喋れなかったようです。

それでも円了の哲学館へ、講師として招かれています。

仏教教育者としての実績を積み上げていく一方
一般庶民に対しても仏教を広めるべく、神田に、仏教講話所を設け
布教活動も行っています。
教育者としては、大谷教校校長、東京大学講師と進んでいきます。

仏教研究
専精は日本の仏教を学問に高めた第一人者と言えます。

仏教を知の側面と情の側面でとらえます。

人には情的な人もいれば知的な人もいる
仏教を情ととらえるならそれは宗教
知ととらえるなら、まさしく哲学だとします。
表裏一体なので、仏教にも理論的説明が必要なのだと。
井上円了に通じますね。

仏教を理論として研究していくなかで、彼自身が自分の活動を三つの期に分けています。

第一期
あえて一般の人たちに分かりやすい表現で、布教を進めていった時代
先程の神田の仏教講話所が代表例です。
「仏教講話集」という本も出しています。

第二期
一期のような活動は、優秀な人材や機関が整ってきました。
もう彼らに任して大丈夫。
ここは、卒業

次なるテーマは仏教の歴史
仏教の歴史的研究が大きく遅れていると、自ら先頭にたって研究を進めていきます。

第三期
さらに、歴史的研究を発展させて、比較研究に入っていきます。

今までの仏教のアプローチは、各宗派の中でのみの研究にとどまっていました。
私は何宗ですから、と

専精は
私は各宗派を研究するつもりはない。仏教を研究する。

言いましたねえ
そんなですから、今まで仏教の「お約束」とされていたことにもズバズバ踏み込んでいきます。

一番物議をかもしたのが、大乗非仏説論

うわあ、それ言っちゃったのね、ってもの

仏教には、大きく大乗仏教と小乗仏教があります。
仏教を始めたのはお釈迦様
そのお釈迦様の教えだけに限定し、
僧が修行を行って解脱(げだつ=悟りをひらく)することを強く追求していくのが小乗仏教
対して、もっと広く、一般の在家信者も含めて救いの船に乗れるようにしましょう、というのが大乗仏教
中国や日本に伝わったのは大乗仏教です。
タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジアとかは小乗仏教です。
大乗仏教では、お釈迦様に限らず、もっと色んな追加された教えも認めていくことになります。

大乗仏教側の人達は、広さ、言い方を変えるとゆるさ、を良しとしますから
色んな事に、まあまあ良いじゃないですか、と約束事として目をつぶっています。

そもそもお経ってお釈迦様が書いたものではない。
むしろ、私の教えを文字にしちゃだめ、口から口への伝授しか許しません、と言って亡くなっています
にもかかわらず、全てのお経は、「釈迦が言いました」から始まっています。
阿弥陀如来だの、大日如来だの、普賢菩薩だの
架空の人物との問答集がお経になったりしています。

これ、少なくとも大乗仏教の人達にすれば「痛いところ」な訳で
指摘しちゃいけないお約束な訳です。

キリスト教で言えばノアの箱舟
天皇制で言えば、万世一系

初めて「違うものは違う」とちゃんと言いましょう、
その上で、内容として、優れているものを認めていきましょう、と

ここまでちゃんと聞くと、そうだよね、となるはずですが
最後までちゃんと聞かない人たちが、けしからん、となっちゃうのです。

職を解かれたりとか一時は不利益を被りますが
このおかげで、ちゃんとした議論が大きく沸き起こり
仏教は理論として大きく進むことになるのです。

そして、仏教を統一して考えるという事も大きく進んでいきます。

[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

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