[天皇]45-3 聖武天皇。ただ仏に帰依する晩年。

[天皇]45 聖武天皇。未曾有の大感染。
[天皇]45-2 聖武天皇。ど、どこ行くの
の続きです。

奇行の先に
未曾有の大感染で壊滅的になった国を立て直したい
精神的に拠り所となるものとして、仏教に傾注していきます。

それ自体悪いことではないですが
取った行動がいかにもおかしい。
カネのかかる遷都を繰り返し
自分は紫香楽宮を仏都にすべく都を留守にする日々

紫香楽宮では地震が多発し、結局は逃げ出し、向かった先の難波宮では自分が大病にかかってしまう。

ああ、自分は一体なんてことをしてきたんだ
これは天罰に違いない。

病気で弱気になったということもありますが
考え方を大きく変えるに至ったのには、ある男の生きざまがありました。

行基
行基は、聖武天皇とより多少年齢はいっていますが、同時期に生きた僧。

心身ともに疲れている人々を救うため、仏教を熱心に説いていきます。
さらに、貧しいものたちを支援するために、布施屋(ふせや)というものを作ります。
度重なる宮の建設は民衆に大きな負担を強いますが
そのためにかり出された人たちへの簡易宿泊所

さらに作ったのは院
お寺なんですが、お寺って、当時はあくまでも国家のためのものだから、民衆が勝手に作ってはいけません。
ある場所を柵で囲っただけの簡単なもの

とは言え、実態はそこで説法とかも行われる訳ですから、法逃れではあります。

朝廷は行基の行動を弾圧します。

ところが活動が縮小されるわけではなく
民衆がどんどん集まる一方です。
「知識」という名の組織になっていきます。

そうなると国も黙っちゃおれません。
クーデターを起こし政府転覆の動きに発展するかも知れません。

正直、政治が悪いので民衆が苦しんでいる訳です。
国からするととても怖い状態。

本当にそういう動きをしようと思えば出来る規模になってきました。

ところが、行基はそういう方向には進まなかった。
「知識」のみんなを引き連れて、今度は橋を作り、溜池を作り出した。
宮の建設は押し付けられた苦役だったのに
「知識」のみんなは自ら進んで過酷な労働を行っている
もちろん無収入なのに、それこそが仏教の修行だととらえている。

弾圧しようとしていた聖武天皇はとても驚きます。

行基とはなんてすごい人間なんだ。
仏教とは、なんてすごいんだ
今まで自分は災害続きの現状から逃避し、仏教に逃げていただけだ
本当の仏教とはこういう事なんだ。

仏教で国を作ろう。

国分寺
全国に寺を作ろう
県庁所在地みたいに、国ごとにひとつずつ
国分寺と言います。

そして平城京のこの地に、全国の国分寺の象徴として、大きな寺を作り
そこに大仏を作ろう
紫香楽宮では、大仏を作ろうとして失敗したけど
今度こそ本当の大仏を作るんだ

ボランティアを募集しよう
こんな事考えてますけど、協力してくれる人募集
色々材料持ってきてね

嘘つけ、それはまた苦役なんじゃないの?
そう思うでしょ
散々今までおかしな行動を取ってきましたしね。

正直、実態としてどれ程ボランティア的活動だったのかは分かりません。

ただ、ひとつだけ事実として分かっている事があります。
行基が協力を申し出て来たのです。

もし、この聖武天皇の問いかけが形だけのものだったら
行基は反発していたんじゃないでしょうか

行基と聖武天皇は同じ方向を向いた。
仏教による国作り、そして大仏作りを始めます。

さらに強力な支援者が現れます。
八幡神社です。
仏教で国作りをしようと言っているのに
神社の二番手が全面協力すると。

八幡様って、財力もあるし、鉄とかの金属の技術で発展してきています。
とっても頼れる。

ただ、困ったのが金メッキ
大仏様を金メッキして金ぴかにしたい

でも日本で金がまともに産出したことはありません。
外国から輸入しないといけない訳ですが
こんな大きな大仏さんのまわりですから困難をきわめます。

ところがある日グッドニュースが飛び込んできます。
東北で金が出た!

日本の歴史上初めてと言って良い
今までの元号、天平に二文字くっつけて「天平感宝」と改元
同年の、孝謙天皇の即位の時に「天平勝宝」
その後、「天平宝字」「天平神護」「神護景雲」と四文字元号時代が22年間続きます。

疫病で100万から150万人の人が亡くなる壊滅的事態
しかもその後、聖武天皇の奇行と遷都で財政は破産寸前だったのに
このあと、V字回復で豊かになっちゃうんです。

ある程度軌道に乗ってきたところで譲位します。
皇太子として指名していた娘に譲る
自分は太政天皇です。

今まで、太政天皇って天皇の補佐役をやっていました。
初めて聖武天皇は補佐をしなかった。
自分は出家する
実際、病気で体がついていかない。
自分は政治をする資格がない
長くないであろうこの先の人生
仏にのみ捧げたい

奥さんの光明皇后に、頼みます。
娘の孝謙天皇の補佐をしてやってくれまいか

もうあと聖武天皇の命が持たないだろうと
首から上のメッキが出来た状態のとき
まだ、鋳型の土に首から下が埋まっておりましたが、
大仏の開眼法要
目を書き入れます。

天平勝宝4(752)年、4月9日です。

この時の様子はこちらも読んでね
ハッピー還暦!

眼を書き入れる筆の先に紐をつけて孝謙天皇、光明皇后、そして聖武太政天皇がしっかり握って結縁(けちえん)
残念!ちょっと前に行基は亡くなってしまっていました。
一緒に祝いたかったろうに。

天平勝宝8(756)年、聖武太政天皇は56年の生涯を閉じます。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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