[天皇]67 三条天皇。大人の天皇の眼

百人一首ファンとしては、三条天皇はひとつの盛り上がり処

三条天皇
1011~1016年

一条天皇が急病で亡くなり、ずっと待たされていた、いとこが即位
三条天皇、この時すでに36歳です。

今なら、36歳って、働き盛りで一番油の乗りきった状態ですが
当時は、初老に差し掛かったというイメージ

平安時代が始まってここまで、36歳で即位は異例と言えるほどない
多くが幼くして天皇になっている
さらに言うと、そもそも36歳の段階で天皇である人もほとんどいない
その前に譲位してしまう。

ちょっと違和感ありますね。
あれれ、ずっと待たされていたということは、一条天皇はもっと歳いっていたんじゃないの?
違うんです。
三条天皇はずっと皇太子でしたが
一条天皇より7歳も年上だったんです。

ということで、久々の大人の天皇
本人も気合い十分です。

対する藤原氏はピークの超権力者道長。
藤原道長ってずっと摂政・関白だったイメージだけど
実は、一条天皇の時、三条天皇の時は摂政・関白になっていない。
どちらかというと本人の希望で、明確な摂政・関白にはつかず
実質摂政・関白。
摂政・関白を名乗ると、大臣としての職務は行わないのが通例
バリバリ仕事をしたい道長は、大臣としての仕事もしつつ、実質摂政・関白の仕事もしたかった。

三条天皇も関白を任命していない。
三条天皇からすると、自由にはさせまいぞ、と。

ただ、最初から確執。
道長から、次の皇太子の件と、奥さんの件を突きつけられたからです。

三条天皇としては、自分の次は自分の子供に継がせたかった。
親の気持ちですね

でも、円融天皇系と冷泉天皇系が交互に天皇を出すというのが
約束事になっていた。

皇太子は、道長の娘彰子が生んだ敦成親王(後の後一条天皇)
最も権力を握れるのは天皇のおじいちゃんになることですから。

まあ、それは譲るとすると、さらに次は冷泉天皇系に戻ってくる筈
その時にこそ娍子(せいし)との間に生まれた子供達。

ところが道長が自分の娘、姸子(けんし)を中宮にと送り込まれる。
早く姸子との間に男の子を作って下さいよ。

姸子を立后した。

ただ、ここで抵抗する。
長らく寵愛してきた娍子「も」立后した。
となると、平等になる。
もし、姸子との間に男の子が生まれたとしても、どっちか決まっている訳ではなくなる。

この事は決定的に、二人の間を険悪にした。

一条天皇の時にそうだったように
そのあと様々な嫌がらせを受けることになる

元から大人の三条天皇はそれでも果敢に抵抗する。

ただ、内裏が二度に渡って家事で焼失するという不運が起き
少しずつ弱気になっていく。

そして、気力が続かなくなったのが、自らの病気。
眼病にかかってしまった。

日に日に視力が落ちていく。
結果として、約5年という短期間で譲位となる

いつ失明するのか
そんな時に詠んだのが
心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな

ああ、今日眠ったら、明日は目覚めるのだろうか
毎日こんな風に気に病むくらいなら、目が覚めない方が良い。
でも、もし、長らえてしまうのならば
辛うじて見えている、今日の美しい月
もう見える事はないだろうから、
思い出として恋しく思い出すことにしよう。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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