中川船番所資料館に行ってきました。

(1/23[土]の事です)

週末だけど雨
こんなとき用に、博物館ものを取ってあるのさっ

ええっと
あそこやら、こっちやら

えっ うそー
どこもかしこも、臨時休館中

ようやくたどり着いた「中川船番所資料館」
江戸好きにはたまらない、重要ポイントです。

こんな場所にあります。

隅田川の西側は地形が複雑なので、京都のように碁盤の目的街作りが出来なかったんですが
東側は低地で平らなので、かなりきれいに縦横の街作りが出来たんです。
道と運河を作っていった。

ここで、縦と横は、今の地図の感覚とは逆
江戸城に向かうのが「縦」
竪川(たてかわ)と小名木川(おなぎがわ)
それに交差するのが「横」
大横川と横十間川です。

船番所
船番所は海路での関所です。

元々は、小名木川の西側入口にありました

こちらも以前確認してきました

明暦の大火で江戸中が火の海になったあと
防衛のための街作りから、経済や防災のための街作りに基本的考え方を転換
中心にかたまっていた機能を外側に移していくんです。
その一環で船番所も移転します。

3階の大空間の中に船番所が再現されています。

白黒のおじさんに近づくとしゃべり出します

今日は何をされに来たのかな

見学でーす

ほう。見学とな

すごい。ちゃんと認識して答えたぞ
色んな事を教えてくれます。
GoogleMap に出ていた親切なおじさんが教えてくれるというのは
このおじさんかな


こっちのおじさんは酒樽を数えるのが大変という話をしてくれます

江戸時代を通して、関所なので
入鉄砲と出女、というチェックをする訳ですが
人の移動手段は陸路
海路の方が速いに決まっていますが
海路は品物を運ぶためのもの

不必要な不正な人が乗っていないか通行手形でチェックする訳です。

酒樽をチェックするというのは、おそらく享保年間の事を言っていると思います。
大岡越前のとった経済統制の政策です
詳しくはこちら
船番所が、単なる関所から、経済政策の重要なポイントにランクアップした訳です。

船番所には、結構位の高い旗本が勤めます。
中川番を勤めた有名人では、藤枝外記(ふじえだげき)
吉原の遊女綾絹と良い仲になった
下手すれば藤枝家の身上をつぶすことになるから
色んな方面から圧力がかかる

いよいよ、会えなくなってしまう

「綾絹」
「外記さん」

しっかり手を握り、二人逃亡

ほどなく見つかってしまい、
もはやこれまで
心中してしまうのです。

この事件は江戸中で評判になり

「君とねようか五千石とるか なんの五千石君とねよう」
という端唄が大流行します

海運の流れや
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船の種類の解説もありました。
江戸検定やっていると、船の種類の名前を覚えないといけないんですが
どんな形なのかは分からなかったのでとても興奮


明治に入っても、船番所は廃止されましたが、
小名木川の海運は続きました
小型の蒸気船も行き交っていました。

展望
川を眺められる展望ルーム
雨の日なのに濡れずに展望できてラッキー


下に見える川の駅からは
水陸両用車が発着するそうです。

企画展
企画展は渋沢栄一

渋沢栄一ファンとしては嬉しい限り
大河ドラマにもお札にもなるので、どんどん盛り上がっていくでしょう。
渋沢栄一ゆかりの地はあちこちいっぱいあるので、やりやすいと思います。

ここでは、江東区でのゆかりの地
一時期江東区に住んでいましたし
渋沢栄一が立ち上げた会社は、江東区にも無茶苦茶いっぱいあります。
写真NGのものが多かったんで、あまり写真は取れませんでしたが
住居の写真や間取りなど
表座敷と名前のついている住居

江東区での会社の立ち上げ時の色んな展示物も。

銀行、電気、ガス、砂糖、セメント、肥料、製紙、印刷、船、鉄、鉄道
ありとあらゆる産業の立ち上げに全部絡んでますからね

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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