[三十六歌仙]4 僧正遍昭。世捨て人は微妙な心持ち

三十六歌仙シリーズ

僧正遍昭(そうじょうへんじょう)

いその神 布留の山べの 桜花 うゑけむ時を しる人ぞなき

(石上の地、布留の山に咲く古い桜。この木々を植えた時代を知る人々はもういない。)

この歌にある「いその上」は石上神宮のことと言われています。
天皇家の始祖に関わる大変古い神社で、その辺りの土地は昔「布留」と呼ばれていたことから、
「いそのかみ」の枕詞として使われました。

時代は移り変わっているんだなあ

桓武天皇が下級女官に産ませた皇子がありました。
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)の父、
良岑安世(よしみねのやすよ)です。
安世はおそらく母親の身分の低さゆえ、
良岑朝臣という姓を賜って臣下となりました。

しかし安世は臣下として大納言まで昇進し、
最澄の比叡山草創を援助したり、
淳和天皇(桓武天皇の第三皇子、安世には異母兄弟)の命を承けて
勅撰漢詩集『経国集』の撰者となったり、
平安時代初期の文化の発展に貢献しました。

その子、遍昭は、俗名が良岑宗貞(よしみねのむねさだ)
桓武天皇の孫ということになります。
順調に出世を重ね、仁明天皇の時代には要職に就いていました。
美男子で仕事もできて歌もうまい
マルチな才能でもってもて

仁明天皇が崩御すると、もう良いかな、って感じで大葬の役も辞退し出家、
比叡山に入ります。
あまりに突然で失踪事件の大騒ぎになります
その時のエピソードを百人一首シリーズの方で書いていますので
よろしければお読みください。

天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

修行後は天台宗の僧侶となり、
花山の元慶寺(京都)を建立、仁明天皇の王子より紫野の雲林院を譲られます。

いその神の歌も、
単に、桜を植えた人はもういないなあ、という叙情とともに

昔はもてはやされたり、もてたりしたけれど
世捨て人となった今では
みんな自分の事など忘れちゃってるんだろうな

もちろん、自分で望んでそうしたわけですが

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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