[三十六歌仙]7 紀貫之。大先生ありがとうございます。

右チームのリーダーです。

紀貫之

むすぶ手の 雫に濁る 山の井の あかでも人に 別れぬるかな

(両手で水をすくうと、手からしたたる滴で濁ってしまい
山の泉(水飲場)は浅くて満足に渇きを癒せない。
これと同じく、もの足りない思いであの人と別れてしまったのが残念だ)

分かりにくいですね。解説しましょう

旅の途中、水飲み場で、美しい女性を見かけた

声をかけたいな。でも変な風に思われないかな
迷っているうちにその人は行ってしまった。

えらい失敗した。
こうやって手ですくって水を飲もうとしても
うまくいかない。それと同じだなあ

「少しも(親しくなれなかった)」の「あか」を
仏壇に供える水の「アカ」にかけたことで(仏壇の水はとても少ない)、
山の泉の浅さと縁の浅さを併せ持って心情を表している
また「アカ」、は「飽く」にもかかりますので、もの足りない思いがさらに追加される

分かるなあ。
美人には声かけられないからなあ
奥手なボク

百人一首はこちら
人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

出ました。かなの功労者
仮名を使うことで、日本の文学を一気に開花させた大先生です。

紀貫之先生がいなければ
いまだに我々は公式な場では漢字以外使っちゃダメで
仮名はこっそり使うしかなかったかも知れない。

唯一仮名を使う事が許されていたのが短歌
当時、紀貫之は泣く子も黙る大先生
その大先生がタブーに挑戦した

先生、古今和歌集に、序文を書いてもらってよろしいでしょうか

ええよ。任さんかい。
仮名で書いたろ。漢字仮名混じり文ね

か、仮名ーっ
ええんですか、ほんまにええんですか

仮名って真名(まな)に対する言葉
真名とは漢字の事で、ちゃんとした文字は漢字だけど
一旦、仮にかなも使って良いよ。あくまでも暫定措置ね
というはずが、
紀貫之大先生が、正々堂々、醍醐天皇の命令で作った古今和歌集に
仮名で序文をつける。

ちゅうことは、もう大っぴらに仮名を使っても良いのね
し・あ・わ・せ

さらに、追い打ちをかけるように
「土佐日記」という物語を漢字仮名混じり文で書いちゃった。

はいスタート
日本文学の本格的幕開け
それまで、女性は仮名を使っていたから
最初は女性がリード
紫式部や清少納言

それでは、紀貫之の無茶苦茶多い短歌の中で、水すくい繋がりでもう一首

袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ

立春の日に詠んだ歌
(去年の夏に)袖を濡らして (納涼のために水辺に出て)すくった水が
(冬になって)凍ってしまった
立春の今日 吹く風が(その氷を)とかしているだろう

去年の夏に納涼のために訪れた水辺ですくった水が、秋を過ぎ冬になると凍ってしまった。
立春の今日、風が吹いて、その氷が解かしているだろう、

こりゃまたスケールが大きい
一年にわたる季節の時間の経過を、一首の歌で詠んでしまうなんて
さすがとしか言いようがありません。

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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