紀貫之、人はいさ~、仮名の大先生

人はいさ 心もしらず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほひける

あなたのお気持ちは、さあどうか分かりませんが
古都奈良では、梅の花が昔と変わらずに香り、
美しく咲いて迎えてくれています。

予めお話ししますと
いつもなら、人物の紹介に続き
歌の鑑賞へと続いていくのですが
今日は、大物過ぎます。

2回に分けさせてください
今日は歌については触れず
人物紹介のみです。

紀貫之
出たっ、超大物
百人一首を色々見ていくと
何かにつけて紀貫之
紀貫之とくらべて、とか、紀貫之のように、とか
間違いなくトップランナーのスーパースター

古今和歌集の選者でもあり、
六歌仙を選んだ人
評価される側でなく、評価する側
スター誕生でいうと
森昌子や山口百恵ではなく
阿久悠や都倉俊一ですね

歌人として超一流だということもそうなんだけど
日本語としての恩人
紀貫之があってこそ、今のこの日本語の形がある
土佐日記の作者なんだけど
漢字仮名混じり文を開発した人、と言っても良いんじゃないだろうか

古今和歌集の仮名序
古今和歌集に、序文があるんだけど
二種類ある
仮名(漢字仮名混じり文)で書かれたものと
漢字のみで書かれたもの
仮名の方を仮名序、漢字の方を真名序と言います
仮名序の方を書いたのが紀貫之で
真名序の方はほぼ同じ内容なんだけど、別の人

そもそも、なんで仮名というかというと
本当の文字は、漢字だから真名
仮名は仮の文字
一段低く見られていた訳です。

そこに、当時の最高権威者が
もの申す

仮名で書きますよ

おおっ
紀貫之大先生が自ら仮名で文章をお書きになった
今後は男性女性関わらず、誰しもがどんな場面であれ
漢字仮名混じり文で書いても良いことになりますね

助かったー

なぜ仮名なのか
紀貫之先生は、なぜ仮名で文章を書こうと思ったのか
当時は、特に男性は、漢文で文章を書くべしとなっていたわけだけど
それだと、自分の書きたい喜怒哀楽の感情がうまく伝わらない
唯一、男性でも、仮名で書いて良かったのが
短歌なんです。

その短歌の世界での第一人者が
短歌以外の文章を書いた。
それも、仮名で。
それが、まずは仮名序であり
追い打ちをかけるように登場したのが、土佐日記な訳です。

日本語が、単なる記録する道具から
感情を表す道具に
もっと言えば
文学というものが、生まれた瞬間だった。

土佐日記
それほどの意味があり
おそらく本人も、歴史を作ってやるぞ
的な意気込みを持っていたはずの
土佐日記という作品。

変な風に始まります。

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

女性になりすまして書くという手法をとります。
男性は漢文という時代だからというのは分かりますが
先生!
仮名こそが文学に必要だという信念はどうなっちゃったの?

おかげで、オカマちゃん達からは、神のように崇められることになるのですが

不思議
それにしても変です。

そんな小細工すべきほどの小者ではありません
紀貫之先生が白と言えば、どんなに真っ黒けでも白
誰に遠慮することもありません。

そして、内容を読んでいくと誰がどう読んでも、
男性が書いていることがまるわかり

そもそもが、当時から
紀貫之の土佐日記とみんな知っています。

面白い説がネットに出ていました。

女性になりすましたのではない説です。

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

当時は濁音というのがまだありません。
雨がじとじとも、雨がしとしと、としか書けません

濁点を付けてみましょう。

男もず なる日記といふものを、女もじ でみむとてするなり。
男文字=漢字で書くはずの日記を、女文字=仮名で書きますよ。

最初がもず、で次がもじ、なので多少の無理はあるのですが
こう解釈すると
なりすましではなく、高らかなる宣言だということになるのです。

実は多少の無理くらいは良い
紀貫之の得意な短歌の世界に
掛詞というのがあるじゃないですか

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

男もず なる日記といふものを、女もじ でみむとてするなり。
の掛詞

土佐日記の中を読むと
冗談や、だじゃれのオンパレード
とすると
ここ
ひょっとすると、紀貫之が練りに練って仕組んだ自信作かも

持ち越し
予めお話ししたように、歌そのものについては、次回回しにいたします。

紀貫之、人はいさ~、仮名の大先生」への1件のフィードバック

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