[源平 北条]3 頼家から実朝へ。時政から義時へ。

[源平 北条]16。鎌倉殿の13人
[源平 北条]2 頼家は、泥の中に咲く蓮の花の如し
の続きです。

評定衆の緊急会議
2代将軍頼家が病気になって、緊急会議が開かれたところでした

頼家が寝込んでいるので欠席裁判

頼家の息子の一幡に将軍を譲る
関東は、一幡だが関西は千幡(後の3代将軍実朝。頼家の弟)のもの

本当は実朝に譲らせたかったんだけどあからさま過ぎるので。

頭に来た頼家派の大幹部比企能員(ひきよしかず)は挙兵の準備

でも、北条側にばれちゃっていた

法事をしますのでご出席下さい。

北条時政から比企能員に使者が

危ない。そんなところに行ったら殺されるに決まってます。

ただなあ。断ったら断ったで怪しまれるし。

みんなが反対したけど出掛けて行ったら、やっぱり殺されちゃった。

許せん!
残された、比企一族が頼家の息子の一幡を擁して挙兵

でも、北条側もすでに準備万端
返り討ちで壊滅
その時、一幡も焼死した。

一幡の焼死は想定以上

そして驚いた事に、朝廷に報告が行った

頼家も一幡も死にました。
即刻、頼家の弟の実朝を征夷大将軍として任命してください。

はい、どうぞ

頼家まだ生きてますけどーっ

幾分良くなってきた頼家は、はらわた煮えくりかえった
ずっといがみ合っていた母、政子の元へ

諦めて出家なさい

話にならん

そのあと、修善寺に幽閉され
何者かに暗殺される。
まだ23歳だった。
実朝は12歳。

さすがにその日、政子は部屋にこもり、手を合わせて経をあげ続けた

畠山重忠(しげただ)
北条時政とその妻牧の方の娘は京都の守護、平賀朝雅(ひらがともまさ)のところに嫁いでいた
その平賀朝雅と鎌倉幕府の功労者、畠山重忠の息子の間にいさかいが起きた。
牧の方の言いなりの時政は、
息子の義時に、畠山重忠親子を誅伐せよ

義時としては、それは出来ないだろうと思いつつも
結果として北条一族のためと思い直す
畠山重忠としては、全く予想だにしていなかったのであっさりと討たれてしまう。

義時へ
次なる勢力争いは、北条氏内部
政子義時兄弟と
時政牧の方

牧の方が平賀朝雅を将軍につかせようとしていると噂を流し
時政を追い込んでいく。

観念した時政は出家
いよいよ、義時の執権がスタートする

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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