[三十六歌仙]13 藤原兼輔。紫式部のひぃおじいちゃん

藤原兼輔
みじか夜の ふけゆくままに 高砂の 峰の松風 ふくかとぞきく
(美しい琴の調べを更けゆくほどに聞きほれていると、まるで高砂の峰の松風が吹いているようではないか)

藤原兼輔
兼輔は、藤原氏が摂関家一族として地位と政治力をほぼ独占していた時代に生まれました。
高貴な一族の1人として、兼輔も生涯を通し順調に出世し最終的に中納言となります。

その頃暮らしていた屋敷が鴨川堤にあったため「堤中納言」と呼ばれていました。
屋敷は芸術のサロンとして多くの貴族のたまり場的存在。

紀貫之や凡河内躬恒という超一流の歌人たちと日常的に触れあっていました。
歌の感覚は磨かれるはずです。

古今集(4首)など勅撰歌集に58首が入首されています。

そして、その才能はDNAに乗っかって、受け継がれることになりました。

ひ孫としてあの紫式部が生まれています。

紫式部としても、ひぃおじいちゃんに藤原兼輔がいたのは嬉しかったようです。

「源氏物語」の中に兼輔の歌が引用されています。
それが、冒頭の歌

みじか夜の ふけゆくままに 高砂の 峰の松風 ふくかとぞきく
(美しい琴の調べを更けゆくほどに聞きほれていると、まるで高砂の峰の松風が吹いているようではないか)

琴の名手であった清原深養父の調べを聞き
あまりに美しい音色に感嘆し、全力で讃えた歌です。

当時使われていた琴(きん)は、中国から輸入されて間もない楽器で、
弦の数や奏法、音色ともに現在の箏(こと)とは違うものだったようです。
その琴の音を松風に例える表現も、共に中国から入ってたものでしたが、
芸術の様式として日本でも使われていきました。

松を吹き抜ける風音のような平安の琴はどのような音色だったのでしょうか

古今集にも載っていて、「夏部」の歌とされています。
松風は秋の季語なので、夏から秋にかけてあっという間に更けてゆく
「夜の短さ」を歌った歌でもあります。
ふけゆく、は夜がふけるのと、夏から秋にかけて季節が変わっていく両方を意味しています。

百人一首ではこれ
みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ
(みかの原からわき出て流れるいづみ川の「いつ」ではないが
いつ見た訳でもないのに、なぜあの人がこんなに恋しいのだろうか)

まだ顔を見たことない人に恋しちゃった不思議な歌です。

それでは、もう一首

君がゆく 越のしら山 しらねども 雪のまにまに あとはたづねむ
(あなたの行かれる越の白山はその名の通り「知ら」ないけれども、
雪に積もった足跡をたよりに尋ねて行きましょう)

情景もリズムもとっても気に入りました。

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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