「ことば日本史」からのシリーズ、前回に引き続き、飛鳥・奈良時代です
がらんどう がらんとした・
サンスクリットで寺院の敷地をいうサンガーラーマが、
中国で僧伽藍摩(そうぎゃらんま)と音訳され、これが日本で伽藍(がらん)と略され、
奈良時代になって寺院の建造物をさすようになった。
伽藍に関しては、以前寺社建築シリーズの中でお話ししました。
[寺社建築] 寺の建物の名前
大規模な寺院については、備えるべき七種の堂があって、七堂伽藍(しちどうがらん)という
本堂、講堂、塔、僧房、経楼、鐘楼、中門を含む回廊が揃っています。
転じて、大きなお寺の事を七堂伽藍と言ったりもします。
伽藍の中で堂と付く金堂本堂講堂などは、比較的大きな建物
お寺ですから、イベントがなければ通常は静寂に包まれている
広々として静か
「がらんどう」です。
動詞になって「がらんとした」
啖呵を切る
天台宗の教学では、小乗の教えにこだわっている者を叱りつけることを、
「弾呵(だんか)」といった。
時代が巡り、江戸時代。
江戸っ子のまくしたてる言葉の勢いをいうのにも使われるように変化
では、どうしてそれを「切る」というんでしょう
せきをともなう激しい痰を痰火(たんか)といい、そちらを語源とする説もあるので
少なくとも「切る」というのは、痰を切るという表現
そのあたりがぐちゃぐちゃっと混ざり込んだんでしょう
ちなみに、「てやんでい」は「何を言っていやがるのだえ」のなまったもの
「べらぼうめ」の「べらぼう」は穀物を潰す”へら棒”が語源で、
「穀潰し(ごくつぶし)」の意味であるともいいます。
えたいが知れない
僧侶の衣姿を「衣体(えたい)」といい、その衣の色で宗派や格が判別された。
例えば、聖徳太子の冠位十二階ではこんな色
その衣体がはっきりしないと、どういう人かわからない。
ということで生まれた言い回し。