[首相]27-2 東条英機。辞表はどうしましょう。

[首相]27 東条英機。南無阿弥陀仏を20回唱えて寝ているよ
の続きです。

関東軍
関東軍の参謀本部長となる
日清戦争で、中国の遼東半島の旅順と大連が日本の委任統治下になる
関東軍とは、その旅順と大連に常駐している日本軍

日本から距離的に離れていることもあって
日本の参謀本部の言うことを聞かない、暴走ぶりが目立っていた。

東条英機が参謀本部にいるときは、
関東軍の石原莞爾(いしわらかんじ)が言うことを全く聞かず
ついには、1931年には、満州事変を起こす。

その関東軍へ

ところが、関東軍に来てみると不思議なもので
途端に気持ちが好戦的になる

ソ連軍の脅威があるように感じ
日本の参謀本部へ、しきりにこちらから先制攻撃すべきだ、と打電
ソ連へ、蒋介石率いる国民政府へと。

歴代関東軍首脳部がかかった、陸軍中央部を無視する満州独特の「熱病」に陥った

打電の10日後に、ソ連軍とちょっとした小競り合いがあった。
すると、熱病にかかっている東条は、独断で一個師団を送りこんだ。
しかも悪いことにウラジオストクからやってきた砲艦まで攻撃

やってもうた

明らかな権限逸脱行為
かつて押さえる方の立場だったからすぐ分かる
辞表を準備した。

そうこうしているうちに、1937年7月7日が来る

盧溝橋(ろこうきょう)という場所で今度は中国軍と小競り合い
これはいわゆる手違いの類い。
なのに、現地の兵士達はいらんことしちゃっているらしい。

終わったぁ

タイミングが悪すぎる。
かつて先制攻撃すべきだなんてなこといっているし
辞表を書くべきほどの事をやっちゃったすぐ後だし。
全て自分のせいにさせられる。

ところが、参謀本部の方で不思議なことが起きる。
意見が割れた。
あの石原莞爾は立場逆転で、今は参謀本部にいるんだけど
事を起こすことに大反対。
でも、このきっかけで中国に戦争を仕掛けてしまえ、という意見も出ている。

最終的には、首相の近衛文麿の判断で、「行け」っという方向になった。
太平洋戦争まで含めて15年戦争と言われる始まりの「日中戦争」(支那事変)に突入する

辞表どうのこうのと全く違うレベルになってしまった。
東条自身も兵を率いて、戦地に向かうことになる。

最初、東条は関東軍の精鋭舞台が向かえば、ほどなく決着すると楽観視していた。
でも、事はどんどん大きくなっていき、泥沼化していく
最初は日本政府は北支事変と呼び局地戦と考えていたが
中国全土へ広がりを見せ、支那事変と名前を変える。

参謀本部の方では、意見が分かれて採用されなかった方の石原莞爾を
煙たく思うようになっていた。

いまこそ君の力が必要だ、ってな事を言って
石原莞爾を関東軍に体よく左遷する。
関東軍参謀軍副長
東条英機のすぐ下。

今まで一度たりとも意見が合ったことが無い。
異常なほどに頭の切れる石原莞爾と
はっきり言って戦争の事が良く分かっていない東条

一刻も早く日中戦争をやめるべし、と思っている石原
かつて満州事変を起こした事を棚に上げて、と言う気もしますが。
一方で気持ちがノリノリになっている東条
毎日のように大喧嘩
というか、東条としては、口では絶対に勝てないので
ひたすらに無視。

日本国内では、改善が見られない日中戦争の状況に
近衛文麿首相は、陸軍大臣の杉山元に責任を取らせようと考えた。

後任として考えたのが石原莞爾。
ただ、正直石原は敵が多すぎるので
石原に近い、板垣征四郎
固辞する板垣を説得して納得させた上で
退任を渋る杉山元に再度強く迫った。

分かりました。ただ、ひとつ条件があります。
人事です。

分かった、言ってみろ。

次官として、東条英機を採用していただきたい。

えっ

続きはシリーズの次回ね

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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