[三十六歌仙]17 源宗于。人目も草も かれぬと思へば

源宗于(むねゆき)

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば

山里は冬こそ寂しさが増すように感じられることだ
人が訪ねてくることもなくなり
草も枯れてしまうと思うので

百人一首と同じ歌になります。
山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば

この歌には本歌があります。藤原興風が是貞親王歌合の時に詠んだ一首がそれです。

秋くれば 虫とともにぞ なかれぬる 人も草葉も かれぬと思へば
「かれぬと思えば」という句に、
人のいなくなる「離(か)る」と草木が枯れる「枯る」の意味が
掛詞として掛けられているのが同じですね。

本歌の方は秋になっていますが、
宗于のこの歌は、より「枯れる」というイメージが強い冬を選んでいます
むちゃくちゃ枯れているぞ、と

作者の源宗于は、天皇の孫でありながら臣籍に下ったように
地位が低く不遇だった

自らの境遇を嘆く歌などもよく詠んでいます。
歌物語の「大和物語」にも右京太夫として登場し、そのような一首を詠んでいます。

おきつ風 ふけゐの浦に立つ浪の 名残にさへや我はしづまむ
(風よ 吹上げの浦に打ち寄せた波の残りの浅い水たまりにさえはかない我が身は沈んでしまう)
吹上の浦は和歌山の名所
歌によく歌われます。

和歌山の歌のテーマパークである六義園にも吹上浜があります

そこにある、とても立派な吹上松

もう一首
今はとて わかるゝ時は 天の川 わたらぬさきに 袖ぞひちぬる

今はもう(貴女と)別れねばならない時だが、天の川を渡る前に(涙で)袖は濡れてしまった。

彦星が天の川を渡って戻ろうと。
川で濡れるより先に、涙で袖が濡れちゃったよ

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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