[建武]1 後醍醐動く。役者が揃いました

新しいシリーズを始めます。
鎌倉時代から、南北朝時代への革命を書いていきます。
天皇シリーズとも行ったり来たりしながら。

元弘の変
後醍醐天皇が倒幕へと動き出したのは、こちらを読んでね
[天皇]96 後醍醐天皇。おしまいではなかった。始まりだった

一回目の倒幕計画はばれちゃったけど、おとがめなし
その事件の真相は怪しい感じもするんですが。

「悪党」を味方につけていきながら、その日へ向けて着々と準備
「悪党」というのは、今の言葉でいう悪党とは違っていて
幕府とか朝廷とかいうどこにも所属していない武士達の呼び名です。

そして、その日がやって来ます。
1331年
後醍醐本人の計画よりはちょっと早かった。

ばれちゃったんです。
今度は本当の本気ですから、かなりヤバい

大急ぎで三種の神器を抱えて御所を抜け出して
京都郊外の笠屋山(かさぎやま)で挙兵します。

でも、準備万端の挙兵ではなかったため
すぐに捉えられてしまいます。

もう許さんぞ

1221年の、後鳥羽上皇の起こした承久の乱でも同じ事がありました。
その時、後鳥羽上皇は捉えられ、隠岐の島へ島流しされ、隠岐の島で生涯を終えました。

幕府としては、その時と同じだと強調したいために
捉えた後醍醐天皇を隠岐の島に島流しします。

ただ、結論から言うと、その時と同じにはならなかった。

ひとつは、後醍醐天皇が類いまれなる精神力の持ち主で
諦めるということをしなかった。
このあともそうなんですが、何度も何度も不死鳥の如く甦る

ふたつには、後醍醐天皇が捉えられたあとなのに
呼応する動きが出たということ

護良(もりよし)親王
息子の護良(もりよし)親王は幕府の追及を逃れるため印南町各地を通り、
山を越えて北山村へ逃れます

熊野衆徒を味方につけ、熊野詣を装って山伏姿で移動、
切目王子に泊まった際、夢で

「熊野では大義が成し難い。これより十津川に向かい、時が至るのを待つがよい」
というお告げを受ける

よしっ。逃げている場合じゃない
俺もやってやる

切目川沿いに十津川を目指します
十津現地の土豪を味方につけて吉野を占拠し、
全国の武士に討幕を呼びかけました。

楠木正成(くすのきまさしげ)
呼びかけに反応した男が、河内の悪党、楠木正成

男を上げるチャンス!

500人ほどをかき集め挙兵

すぐに包囲され、仕方なく、赤坂城に立てこもります。

包囲する側の幕府軍はどんどん増えていき
とうとう10万人にまで増えます。

どうやっても勝てる訳ないのですが
なんと1ヶ月近くも持ちこたえます。

たった500人なのに、いつまでたっても落ちないというのがとっても重要
武士達の気持ちに変化をもたらします。

さあ、護良親王や楠木正成を討つため
全国から狩り出された武士達の中に
重要な人物が二人いました。

ひとりは、足利高氏(あしかがたかうじ)
あれ、間違えた?
いえ、この時は尊氏ではなく高氏という漢字でした。

そして、新田義貞(にったよしさだ)

役者が揃いましたね

このあと、役者たちが、敵味方入れ替わりながらの
大バトルが繰り広げられていきます。

続きはシリーズの次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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