[三十六歌仙]23 藤原敦忠。叶わぬ恋、そして命

藤原敦忠

いせの海 ちひろのはまに ひろふとも 今は何てふ かひかあるべき

伊勢の海の広大な浜に行って拾うとしても、今はどんな貝があるというのでしょうか。
もはや伊勢斎宮となられたあなたを、いくらお慕いしても、何の甲斐もないでしょう。

藤原敦忠
あの藤原時平の三男です。
時平と言えば、菅原道真を陥れ、太宰府へ送ったライバル。

藤原敦忠は若くして亡くなります。
しかも、自分が若くして亡くなることを予言しています。

なぜだか分かりますね
菅原道真の祟り(たたり)です。
時平は原因不明の死を迎えます
人々はそりゃそうだ、祟りに決まっている

となると、次は自分
祟りは当時完全に信じられていましたから。

限られた人生なのであれば
と、目一杯人生を楽しむ
超プレイボーイです

百人一首の右近の歌
忘らるる 身をば思はず 誓いてし
人の命の 惜しくもあるかな

は、藤原敦忠へ向けての歌です
忘れられる私のことはいいのです。
でも神様に愛を誓ったあなたにばちが当たって
命を落としてしまわないかと心配です。

祟りで命を落とすことはみんなの共通認識なのでしょう

百人一首ではこちらになります
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり

鑑賞
いせの海 ちひろのはまに ひろふとも 今は何てふ かひかあるべき

伊勢の海の広大な浜に行って拾うとしても、今はどんな貝があるというのでしょうか。
もはや伊勢斎宮となられたあなたを、いくらお慕いしても、何の甲斐もないでしょう。

伊勢の海で貝を拾うことを
伊勢斎宮への恋に何の甲斐もないとかけています。

先ほどの右近との恋ではありません。

醍醐天皇の第四皇女、雅子内親王が
伊勢の斎宮に卜定された翌朝、
榊の枝に挿して内親王のもとに差し出して置かせた歌です。
榊は神事に用いる木であり、また常緑樹であるから変わらない心を意味しています。

三十六歌仙シリーズ前回の
よろづ世の 始めとけふを いのりおきて 今行末は 神ぞしるらん
に続いての斎宮に行く女性への歌です

いくら恋しても叶うことのない恋です。

同じ雅子内親王へ向けての歌をもうひとつ

にほひうすく 咲ける花をも 君がため 折りとし折れば 色まさりけり

彩り淡く咲いた花ですが、あなたのために心を込めて折りましたので、
こんなに色が濃くなったのです。

そして、雅子内親王からの返歌
をらざりし 時よりにほふ 花なれば わがためふかき 色とやはみる

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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