お彼岸に墓参り。中野編 その2

お彼岸に墓参り。中野編
の続きです。

功運寺
歌川豊国と林芙美子の墓まででしたね

■吉良上野介
超目玉
まさか、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)の墓が江戸にあろうとは思ってもいなかった
四十七士に関しては、切腹を分かった上での行動なので
感情移入出来るのですが
松の廊下の刃傷沙汰に関しては
どうしても浅野内匠頭の気持ちに寄り添えない
吉良上野介は高家の中で本人の努力で肝煎(きもいり)になったとても頑張り屋さんなんです
実力で手に入れた、「接待のやり方の先生」を精一杯つとめただけ

少なくとも「かたきうち」という言い方は間違っているのでやめてあげて欲しい
浅野内匠頭は吉良上野介を殺そうとして失敗した
吉良上野介はあくまでも殺人未遂の被害者
殺されたんなら敵討ちだけど、逆だもんね
なぜ再度、部下たちによってたかって殺されにゃならんのか

後の世に墓の前で手を合わせてあげなきゃ、やりきれんです

■旗本 水野重郎左衛門
出ましたっ、水野重郎左衛門

これも歌舞伎での超人気演目「幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)」で幡随院長兵衛の敵役
「怖がって逃げたとあっちゃあ名折れになる、人は一代、名は末代」
さらに「おわけえの、お待ちなせえやし」「待てとおとどめなされしは」
よければこっちも読んでね
神楽坂のおさらい。その2

■今川家代々
今川義元の子供の長得他

宝泉寺
功運寺のすぐ横
■板倉重昌

家康に幼少の時から仕えた忠臣
方広寺「鐘銘事件」で豊臣に言いがかりを付け、大阪冬の陣に繋げる
島原の乱では、鎮圧の責任者として抜擢され派遣されるがうまくいかなかった
じゃあ、と超大物の松平信綱が派遣されることになった
これは恥
松平信綱が着く前に、落城させようと、無理を承知で総攻撃
玉砕してしまった

願正寺
さらにその隣
■新見正興
アメリカ派遣正使に任命されアメリカで日米修好通商条約批准交換という大役を果たす
柳原白蓮は正興の孫

正見寺
■笠森お仙
結論からいうと見つかりませんでした
GoogleMapには写真も出ていて、場所も特定されているのですが
かなり長い時間探し回りましたが、茶色い墓石がありませんでした
これを一番見たかったんですがね
笠森お仙は茶屋の看板娘

青原寺
正見寺の隣
■朱楽菅江(あけらかんこう)
江戸に一大狂歌ブームを巻き起こした一人
残念、またもや墓が見つからず
執着の 心や裟婆に 残るらむ よしのの桜 さらしなの月

源通寺
そのまた隣
■河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)

歌舞伎の作者
聞いた事ある!って七五調の名ぜりふは、だいたい河竹黙阿弥
先ほどの
「人は一代、名は末代」
をはじめとし
「知らざあ言って聞かせやしょう」
「月も朧(おぼろ)に白魚の」「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」
「問われて名乗るもおこがましいが」
「しがねえ恋の情が仇(あだ)」「死んだと思ったお富とは、お釈迦様でも気がつくめえ」
「絶景かな、絶景かな」

高徳寺
さらにその隣
■新井白石
極め付きーっ

あら小さい。新井白石らしい
新井白石は6代将軍家宣の先生役
無茶苦茶頭が良い学者さん
家宣と新井白石の関係が感動的。
よろしければこちらも読んでね
[徳川名参謀]6 家宣→新井白石。空気を読まない、学者一徹

龍光寺
また、その隣
■柳沢吉保側室 飯塚染子

龍光寺は5代将軍綱吉の側近、柳沢吉保の作ったお寺
さすがに六義園を作った柳沢吉保だけの事はあります
ちょっとした庭もやっぱり違う

新井白石の隣に柳沢吉保か
この界隈、なんてすごい場所なんでしょう
墓の集まる寺町の位置関係はこんな感じです

電動アシスト自転車を返しましたら、
ありゃりゃ
2800円もかかっちゃっている
3時間980円のクーポンの使い方がやっぱり分からなかったなあ
おっと、3時間と7分かかったのか
だからダメだったのかな
残念!

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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