神楽坂のおさらい
の続きです。
わらだなと地蔵坂
神楽坂のおさらいでお話しした、相馬屋は、
以下の幕末時点の江戸の地図で言うと緑の場所になります。
青い筋を入れたのが、太田南畝の産まれた家です。
途中の道が急な坂になっているんですが
藁店(わらだな)と書いてあります
馬の餌である藁を売っている店があったから、わらだなです。
くいっと曲がって、その先も急な坂で地蔵坂
このあとお話しする光照寺の本尊は地蔵菩薩です。
この坂で太田南畝が転びました。
それを見ていた子供達は大笑い。
でも、さすがは太田南畝
狂歌で切り返します。
「子供らよ笑はば笑へ藁店の、ここはどうしょう光照寺」
子供にも分かりやすい洒落が二つも入って、
ギャハハハハ
おっちゃん、おもろいなあ
地蔵坂は、お地蔵さんが、出没するから
坂をガシャンガシャンと音を立てながら往き来するお地蔵さんが何度か目撃される
さては、光照寺に住む狸だな
尻尾を捕まえてやろうと、待ち伏せ
そこへ現れたお地蔵さん
ここで会ったが100年目
棒をふりかざしてエイヤッ
こらこら、何すんねん
懇意にしている友達だった。
あれぇ
おかしいなあ
友達は実はタヌキで、お地蔵さんに化けていた?
いやいや、お地蔵さんは実はタヌキで、友達に化けていた?
もう、訳分かりません。
それ以来、この坂が地蔵坂と呼ばれるようになりました。
光照寺
神楽坂で粋に浸る
でも松山藩、藩主の墓の事で、お話ししました
本を読むと、それどころじゃなく
実に色んな話のてんこ盛り
時系列的に言うと
1.元々は、この辺りを支配していた、牛込氏のお城、牛込城だった
2.由井正雪(ゆいしょうせつ)の正雪道場があったところ
3.地蔵菩薩の逸話。難産で苦しむ人に、はいこれどうぞ、と宝珠をプレゼント
4.松山藩(現在の山形県飽海郡松山町)藩主の菩提寺
何と言っても一番すごいのが、2番の正雪道場だったってことでしょう
光照寺が神田から引っ越ししてきて、立ち退きするまでは、
由井正雪の道場だった。
由井正雪は、慶安4年(1651年)に起きた、慶安事件(由井正雪の乱)の首謀者
江戸時代260年の間に、政府を転覆させようとした、クーデター事件は慶安事件のみ
(大塩平八郎の乱も含めるとすると2回かも)
この近くに住んでいた、楠木正成の子孫だと名乗る楠木不伝(くすのきふでん)
の道場が元々あり、そこに弟子入り。
不伝の娘と結婚し、道場を継ぐ
立ち退きの後は、近くの東榎町から天神町へかけての3000坪の広大な新道場
4000人も弟子がいたという話まである
弟子の中には、共犯者、丸橋忠弥もいた
乱自体は、内部に裏切り者が出て、実行前に幕府に密告され
駿河で事を起こした、実行直後に取り囲まれてあっさりと終わる。
由井正雪はその場で自害。
丸橋忠弥は同日江戸で事を起こす
京都でも予定していたので、同時多発テロです。
丸橋忠弥は捕まって、鈴が森の処刑所で死刑
天下統一がなった後、武士が戦による報償を得られなくなり
不満がたまっていたピーク。
乱自体は、すぐに鎮圧されたが
幕府は色々反省して、武断政治から文治政治へと様々な政策を転換していくから
大きな転換点となった事件です。
天文台
さっきの地図で、黒く丸をしたのが天文台のあった場所
貞享2(1685)年の渋川春海の貞享暦(じょうきょうれき)に変わって、
宝暦5(1755)年、宝暦暦(ほうりゃくれき)が作られます。
宝暦暦は、はっきりいって失敗作なので、即刻修正する必要がありました。
明和2(1765)年、新暦調御用所(しんれきしらべごようしょ)即ち天文台が
見晴らしの良いこの地に作られ、修正作業が行われました。
暦ファンとしてはたまりません。
天明2(1782)年には牛込天文台から浅草天文台に移転します
移転の理由は、隣の光照寺にあった大木が大きくなりすぎ
天文観測に支障をきたすようになったから。
貞享暦と宝暦暦については、こちらを読んでね。
渋川春海。暦を作った人は碁打ち
麻田剛立。月の表面に名前を残した男
幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)
天文台の隣あたりにあったのが、旗本水野屋敷
ここでは、講談で超有名な、幡随院長兵衛の話が残る
時代は江戸時代初期、由井正雪の頃
どうして良いか分からなくなった失業武士達が
傾き者(かぶきもの)と言われ、無茶するようになっていた。
旗本奴(はたもとやっこ)と言われる集団が6団体形成され、暴力を繰り返した。
水野屋敷の水野十郎左衛門が形成したのは、大小神祇組(だいしょうしんぎぐみ)
今の神戸山口組みたいな感じ。
それに対抗して、町人にも町奴というのが出来る
旗本奴を止めるための正義に満ちた集団なのか
同じような反社会的勢力なのかは分からない。
その中の一つに、浅草にあった幡随院長兵衛の組織
幡随院長兵衛は口入れ屋です。
昨日お話しした紀ノ国屋善兵衛と一緒ですね。
旗本奴と町奴はことごとく対立
そして、この旗本水野屋敷で事件はおきます。
幡随院長兵衛が水野十郎左衛門に殺害される。
怖いですね
ただ、こういう話は庶民は大好き
早速、講談の話となって、大人気を博します。
水野邸に呼び出された、幡随院長兵衛
周りは止めます。
怖がって逃げたとあっちゃあ名折れになる、
人は一代、名は末代
啖呵を切って振り切り、
殺されるのを承知で一人で水野の屋敷に乗り込む。
チャチャンチャンチャン
困りました。
またこんなに長くなりました。
神楽坂の面白い話はまだあります。
さらに続きは、明日ね