染井霊園と本妙寺

大塚先儒墓所から
要町からウォーキング
の続きです

染井霊園
霊園は青山霊園、多摩霊園、雑司ヶ谷霊園、谷中霊園等色々行って、著名人のお墓参りをしてきました
まだ行っていないところがあって、染井霊園
せっかく巣鴨まで来たのなら、行きたいな
ごめんね、付き合わせちゃって

予め、GoogleMapでチェックしていたのは、
高村高雲と芥川龍之介

高村光雲
高村光太郎のお父さんで彫刻家
上野の西郷隆盛像も高村光雲です
行ってみるとありがたや
高村光太郎や智恵子さんも一緒に眠っておられました

だいたい、霊園に行くと、予めチェックしておいたの以外にも、GoogleMapをグイっと広げてみると、おおっこの人もか、と見つかるもの
広げてみました
いたいた

下岡蓮杖(れんじょう)
幕末から明治初期の写真家で、上野彦馬とほぼ同時期に、
日本に写真というものを取り入れていった人

次は芥川龍之介にまいりましょう
あれれ?この辺だけど塀で仕切られちゃっているなあ
どう入りゃ良いの?

Sさんが、以前イベントで来たらしく、入口を教えてくれました
厳密にいうとそこは染井霊園ではなく、慈眼寺というお寺の墓地
この辺りは大きなお寺の墓地が全部隣接しています

芥川龍之介

ここでも、GoogleMapをグイっと広げてみるとありました

司馬江漢(しばこうかん)
江戸時代の画家

谷崎潤一郎

ありがとう。満足

で、本妙寺も行っても良い?

(図に乗ってますね。さっき満足って言ったのに)

本妙寺
すぐ横の本妙寺は超大物

1657年に起きた、明暦の大火という江戸中を焼き尽くした大火事の出火元
この時、江戸城の天守閣は大爆発し、それ以降、江戸には江戸城はありません
江戸の町造りは明暦の大火より前と後で大きく考え方が変わります
前は防衛のための都市造りだったが、後は災害に強い都市造り

江戸時代の出来事の中で、最も大きい出来事と言えるかも知れないので
ここは、どうしても来たかった
詳しくはこちら
八百屋お七は、哀しき16歳

ただ、この場所が、出火元の場所ではないんですけど。
明治41までは本郷にあり移転した。本郷が出火元

何せ大きなお寺なので、著名人のお墓も多い

本因坊
代々の囲碁の大家

遠山金四郎景元
遠山の金さんです
この桜吹雪に見覚えがねえとは言わせねえぜ

千葉周作
北辰一刀流です

そして、明暦の大火の供養塔
静かに合掌

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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