[勝海舟] 西郷隆盛や坂本龍馬との出会い

[勝海舟] 不良父ちゃんだったけど
[勝海舟] 船の上で死ぬなら本望
の続きです

咸臨丸でアメリカにいる間に、日本で大事件がおきます
桜田門外の変で、井伊直弼が暗殺される
さらに時代が大きく動いていきます。

39歳で、今度は江戸の講武所で砲術の師範役
40歳で、軍艦奉行と着実に出世していく中で
有名な坂本龍馬との出会いがあります

坂本龍馬が勝海舟を殺そうとして邸宅を訪れたが
その人柄に惚れ込んでしまい、逆に弟子になる
色んな歴史ドラマで面白く描かれる場面です

将軍の家茂(いえもち)に軍艦操練所というのを作りたいんですけど、と提案し許可を得る

翌年神戸に開設

坂本君、君も軍艦操練所に来ないか

はい、師匠

勝海舟が42歳の時です
この年、西郷隆盛と大阪で対面、お互いを認めあっています
この事があったので、後の江戸城無血開城会談にも影響したのだと思います

ところが、軍艦操練所のメンバーが問題を起こします
尊皇攘夷が吹き荒れているのでみんな血気盛ん

海舟も良からぬ事を考えているのではないかと疑われ
神戸の軍艦操練所が閉鎖になってしまいます

仕方なく、海舟は江戸に戻ります

一方の坂本龍馬はここから行動を別にすることになります

海舟は、あくまで幕府の人間

坂本龍馬は弟子である認識はあるものの
結果として幕府に弓を引くことになる、薩摩と長州の薩長同盟をまとめあげている
皮肉なものです

海舟は江戸にいるのでその事を知らない

第二次長州戦争が起こり、幕府は長州征伐しようとするが、大敗を決する
協力してくれるはずだった、薩摩が(なぜか)動かなかった

幕府で停戦交渉役をおおせつかったのが、勝海舟で停戦交渉をまとめる

結局のところ、勝海舟は軍艦奉行という勇ましい役職ではあるものの
自分から戦争を仕掛けようとは一切していない

敵を作る性格ではない
少なくとも、薩摩や長州を敵だとは考えていない

このあと、大詰めの幕末をむかえるが
なぜ、勝海舟が幕府側の「代表」という立場になり得たかというと
この「考え方」によるものだと思う

その大詰めは、シリーズの次回
[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

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