塙保己一の群書類従を見てきました
[塙保己一] 3年間手を貸してやろう
の続きです
大日本史
保己一の躍進を見るに、人と人とのつながりからというのが実に多い
推薦を受けて、水戸藩に紹介されて源平盛衰記の校正を手伝うのだが
その仕事で気に入られて、あの水戸藩の大作「大日本史」の校正をあずかることになる
水戸藩と繋がったことは世間から大きな信頼を得ることになる
保己一が多くの弟子を持つ国学の学者であることは間違いないが
他の学者とは大きくイメージが違う
通常、学者でイメージするのは、強く自分の考えを持ち、それを表す本を書き、他の学者と論争していくものだろう
自説を展開したのは一回しかないし、自分で本を書いたこともない
弟子がいっぱいいるので、口述で本は書けるはずだが、それをしていない
論争には勝ち負けができるし、敵を作ることにもなる
この時、保己一が「勝った」とイメージできる事は一つもない
どんどん、保己一を助けてくれる人が倍々ゲームで増えていった人生の気がする
若い時のエピソード
本を自分に読み聞かせてくれる人はとても貴重
ある人が読んでくれるということで、蚊帳の中
読んでもらう立場の自分が同じ蚊帳の中は失礼と、自分は蚊帳の外
蚊にさされ放題だが
つい、蚊がブーンとやってくると、無意識にパチンと叩いてしまうもの
それでは本に集中できないと、両手を縛って、読んでくれるのを聞いたという
万事、そういった人との向き合い方だったから、みんなに好かれたんだろう
群書類従(ぐんしょるいじゅう)
群書類従をいつから取り掛かったのかは明らかではなく
色々な説がある
保己一自身は金に全く頓着ないのだが
いわゆる「商才」的なものが全く無いわけではない
価値のあるあらゆる本を版木にして残そうと発案した時点で、
膨大な金がかかる事は分かる
群書類従を収入に結び付けなければならない
当時人気の狂歌の太田南畝と知り合いになり、意気投合した保己一は、
太田南畝の雑誌に広告を出している
「今物語」の版木を作り
それを見本にして、こんなふうに版木を作っていっぱい摺る事ができますが
予め注文いただけませんか、という広告
次第に採算が合うようになっていったようだ
群書類従という名前だが
群書とは、その言葉どおり、いっぱいの本
類従というのに意味がある
今の言葉で近いのは「分類」だろう
保己一は分類学の学者だとも言える
散在してしまった貴重な本を執念で探し求めるという面の一方で
裕福な向学心旺盛な人の家には大量の本が眠っている
集めることに喜びを感じ
本人も途中から何を持っていたか分からなくなっているケースも多い
そんな本たちを、とても貴重なものとそれほどでもない本に識別し
貴重な本を、目的別にすぐひもとけるように分類した上で
版木にして永遠の命を与える
和学講談所
時代は、松平定信の寛政の改革
儒学は朱子学以外許されなくなり、昌平坂学問所が官立になる
ただ、朱子学だけというのは儒学に限ったことで
日本古来の和学(国学)すなわち古典は奨励される
朱子学は林羅山に始まる林大学頭(だいがくのかみ)林家
ならば、和学は私にお任せくださいと名乗りを上げた
大規模な敷地を与えられ
和学講談所の設立です
多くの資金も貸してもらえ
おかみのお墨付きの総合大学
大量のその後の日本を担っていく人物を育て上げていく
ヘレン・ケラー
昭和12年4月26日
三重苦のヘレン・ケラーが塙保己一の温故学会にやってきた
塙保己一像や、塙保己一愛用の机に触れる


「私は子どもの頃、母から塙先生をお手本にしなさいと励まされて育ちました。
今日、先生の像に触れることができたことは、
日本における最も有意義なことと思います。
先生の手垢の染みたお机と、頭を傾けておられる敬虔なお姿とには、
心から尊敬を覚えました。
先生のお名前は流れる水のように伝わることでしょう。」









