姫路城レポート、続きの続き。好古園、値打ちあったねえ

姫路城レポート
姫路城レポートの続き
の続きです。

好古園
父さんが来たことあって、良かったよ、との事
日本庭園です。

姫路城で好古園との共通券を買いましたからね
そういうのって、チケット途中でなくしちゃって大わらわ、なんてな事になるんだよね
大丈夫、そうならないように、バッグの奥底にちゃんと押し込んだから

あれっ

いくら探してもありません
バッグをひっくり返しても。
大わらわ、なんてな事になっちゃいました。

1040円のうち、好古園はいくらなんだろうとビクビクしつつ参ります。

途中、池のお堀に、船がいました。
今度、あれも乗りたいなあ。

300円なのか
助かったぁ

単なる日本庭園ではありません。
庭園がいくつもあって、さながら日本庭園のテーマパーク

今まで、色んな庭園を巡ってきて
確かに、それぞれ趣は違うんだけど
そんなに、色々集めてどんなふうになるんだろう。
まあ、見てみましょう。

築山池泉の庭
最初、築山池泉の庭から見始めました。
築山池泉というくらいですから、極めて標準的
日本庭園の標準的なものは、これですよ
まず、これを頭に入れてくださいよ、という主張なのでしょう

さすがです。


竹の庭
なるほど、こういう事が出来るわけですね
竹って、日本庭園では重要アイテムだから
色んな庭園に登場しましたが
竹というテーマだけで庭作りましたって、あまり見たことがない
日本庭園のテーマパークならではの贅沢な考え方です。


松の庭
来ましたねえ
竹が来たなら、松も来なきゃね


この庭が一番難しかったんじゃないかな
松って日本庭園で主役だから
どーんとあって、他は、松の引き立て役に回る感じ
主役級を揃えても、こうすれば成り立つという、絶妙バランス

夏木の庭
これは、落葉樹ばかりなので、紅葉の時期
すごいことになりそう

藤棚もあったので、今の時期も楽しめました

流れの平庭
水の流れを一番強調した庭
ここ、すごく好き
夏木の庭は、渋目に押さえてあるんだけど
こっちはぱあっと明るい



松の庭、夏木の庭、流れの平庭の三つは、同じ流れが続いていくので
連続しているんだけど
ちょっとした塀で分けて、雰囲気やテーマを分けることで違いを楽しめる
連続なのに非連続
うーん、憎いね

花の庭
松と、竹があったので、梅もないと揃いませんね
今の時期は、梅は咲いていませんでしたが
色んな花を集めた庭


茶の庭
城下町って感じの道を隔て

芝生が印象的な茶の庭
やっぱり、日本庭園にも芝生は合うなあ


ゆっくりお茶を楽しむ事も出来ます。

活水軒と御屋敷の庭
活水軒というレストラン
あら残念
レストランでお食事する方は、さらに素晴らしいお庭をご覧いただきましょうという趣向ですな

大丈夫。
今まででも十分楽しめました。
感謝感謝

横からちょこっとぐらい見れたりするかも知れないから
入り口ギリギリまで入ってみましょう

あれ?
横に道があるぞ

なななんと良心的な
食事しなくても、奥の庭まで行けるじゃないですか
しかも、滝っ
そういうと、今まであんなに色んな趣向があったのに滝だけなかった。

こんな立派な滝、なかなかお目にかかれません。

すごいです。ネーミングぴったり、超豪華な庭です。


贅沢の極み
姫路城の天守閣が借景です

いやあ、最後にこんなすごい庭を残していたとは。
すごい筈です。
後で分かったんですが
もともとここが、姫路城城主の下屋敷。
なんと、ここにあの吉原から今の金に換算して、億の金を出して身請けした
高尾太夫も住まわせていた。
好古園はここから広がっていったんですね
ほんとの御屋敷の庭だった訳です。

苗の庭
いやあ楽しかった
堪能しました。
帰り道はこっちかな

ん?

ここ、色んな花が咲いているぞ
日本庭園ではないんだけど、庭園に持っていくための植物の予備軍

それにしちゃここすごい
花カレンダーで花に興味を持った私としては、無茶苦茶楽しい
こんな最高級のおまけもあるなんて
ずいぶんここで時間を取りました。



いやあ、値打ちあったねえ
これで300円はすごいよね

正純は600円だけどね
そうだったそうだった。
600円だったとしても、値打ちあるよ

ずいぶん充実した一日でございました。

いっぱい並んで、いっぱい歩いて。

今年90歳になる父さんは、
さぞ疲れたかと思いきや
微塵も疲れた様子なし。

こりゃ、100歳まで生きちゃいそうです。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

「令和」の主、大伴旅人は愛妻家

決まりましたねぇ

私が一押ししていた「幸」の字は残念ながら落選

でも、この「令和」一目見てとても良い!と思い
さらにその出典を聞いて惚れました。

響き
音の響きがまず良くないですか
「れい」は素敵だわぁ

「礼」に通じるし
何と言っても「零」に通じるところが良い
零は0で和も輪だから
どちらも丸で良い時代になりそう。

良いなあと思ったのは、「和」って足し算の答えだから
0を足すってことですよね
0を足したら何にも変わらない。
良いなあ
何も変わらないという生き方
そのまま、ありのまま、ってことです。

昭和も平成も色んなものが足されて、発展してきて
もちろんそれは良いことだったけど
一度立ち止まり、そのままで良いじゃない、って世の中。
経済発展みたいな事より、今あるもので、楽しむってどうでしょうって。

万葉集
中国の古典からじゃなく、国文学からも含めて考える、みたいな事を言われていたけど
正直ピンと来ていなかった。

本当にそうしたんですね。
素晴らしいです。

ピンと来ていなかったのは、国文学って平かなのイメージがあったからで
漢字二文字なんだろうしなあ、って

なるほどそこかあ、って思いました。
万葉集なら、漢字です。
そもそも、かながまだ無かった頃です。
万葉がなは、日本の言葉を書き残すため
宛て字として漢字を使った。

初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ
良いですね
風和らぎなんて何て美しいんでしょう。
これも、全部漢字で書いてあった筈です。

大伴旅人(おおとものたびと)
大伴旅人ですって。
大興奮です。

大伴家持のお父さんですよ
かささぎです。
かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば 夜ぞふけにける
七夕ソングでしたね。嬉しいです。

大伴旅人なんてどれだけお洒落な名前なんでしょう。

大伴旅人は九州福岡の太宰府に赴任。
隼人の反乱を平定するための赴任なので、仕事ぶりを認められての事
でも、太宰府ってどうも都から外された人ってイメージが有りますね。

そんな人たちも実はとても素晴らしい人が多く
大伴旅人が彼らの本来持っている文化的素養を大きく引き出し
歌の世界では、太宰府グループが大きな地位を占めるようになる

その人たちを32人集めて、梅花の宴を催し、32首の歌を詠んだ
その時の序文が、
初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ
なんですね。

大伴旅人はとっても愛妻家。
太宰府に行くときは、60歳を過ぎていたんだけど
奥さんと一緒に赴任。
ところが、まもなく奥さんは亡くなってしまう。

旅人は、奥さん大好きだったから、それから詠む歌はほとんど奥さんがらみ

一仕事終えて、都に戻れるようになって
戻る最中に詠んだ歌

還(かへ)るべく時は成りけり 京師(みやこ)にて 誰(た)がたもとをか わが枕(まくら)かむ

(いよいよ都に還ることになった。だが、都に帰って、私はいったい誰の腕を枕にして寝ようというのか)

京師(みやこ)なる 荒れたる家に ひとり宿(ね)ば 旅に益(まさ)りて 苦しかるべし

(荒れたわびしい都の家に独り寝たならば、旅寝にもましてどんなにかつらいことだろう)

吾妹子が 見し鞆(とも)の浦の むろの木は 常世(とこよ)にあれど 見し人ぞなき

(妻が往路に見た鞆の浦のむろの木は、今も変わらずにあるが、これを見た妻はもはやこの世にいないのだ)

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元号の名付け方、その3。菅原さん、こっちが良いです。

元号の名付け方
元号の名付け方、その2
の続きです。

今回は手続き的なことをお話しましょう。

天皇
新しい元号を何にするか最終的に決めていたのは天皇です。

でも、天皇が膨大にある中国の文献に当たるのは無理
そこで、文章博士(もんじょうはかせ)なるひとたちが
候補を洗い出します。
そこから、公卿会議で吟味を重ね
最終的に候補を二つにする

天皇の出番

うーん
こっち!

良いですね。この制度
今回もこれでやったら良いんじゃないかな
今回は自分の名前にもなるわけですからね

二つのうちのひとつだったら、突飛なものにはなりませんしね
ゲートウェイみたいな

象徴は実質的な政治には関わっちゃいけないってことは分かるけど
二つのうちのひとつを選ぶことが実質的な政治じゃないでしょう。

文章博士
候補を洗い出す、文章博士はどういう人かですが
律令制度での朝廷の役職のひとつ

まさか、改元のためだけにいるの?

そんな訳ないですね
要は国語の先生。

大学寮という官僚の教育機関があるんだけど
その中で漢文学や歴史学を教えていた先生。
天皇にも教えていたし
他のお公家さんの提出すべき文章を代筆したりする
国語のスペシャリスト。

そんな天才もなぜか世襲になっていって
平安時代末期になると
大江家、菅原家、藤原家が独占。

さらに室町時代以降は
改元の候補出しに関しては、完全に菅原家が独占。
「寛正」「文正」「寛文」という3つの例外を除いて
全て菅原さん

国語の天才の家系と言えば今なら金田一さんですね

昔は、
えっ、菅原さんでらっしゃるんですか
へへーっ

菅原さん、この文章をお読みでしょうか
すごいですよ
あなたの祖先が全て元号を決めたんです。

現在
今は、文章博士という役職はないから
内閣総理大臣が選んだ、有識者といわれる人が
候補をいくつかあげて、提出
内閣官房長官と内閣法制局長官らが候補を数案に絞り
最終的に全閣僚会議で閣議決定

残念!
そこ、最後のところ
一つじゃなくて、二つにならんかなあ

こっち

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プリムラ

花カレンダー始めました

1/20 大寒 江戸の大晦日までの色々

二十四節気シリーズです

大寒  だいかん 最も寒さの厳しい頃  01月20日
(旧暦 12月15日)

年の市
煤払いも終わり、旧暦では正月へのカウントダウンということになります。
神社や寺院では、祀られる本尊と祭神の結縁日(けちえんにち)に市が立ちます。
今年最後というこの時期には、特別、年の市という名前になります。
水天宮は5日、薬師は8日、金比羅(こんぴら)は10日、祖師は13日、観音は18日、大師は21日、地蔵は24日、天神は25日、不動は28日という具合
お互いに少しずつずらして共存を図ります。
これ全部行こうとすると、えらい忙しいですね
正月を迎えるための色んな品物を買うための縁日市が立つ訳ですが
正直それだけが目的なら、最寄りの神社や寺院のどれかひとつに行けば事済む訳です。
でも、おそらく複数に出かける
金がもたないなら、別に何も買わなくったって
そういうところに行くのが楽しい。

遊びの天才。遊ぶために必死
翌月には、それぞれ、初水天宮だの、初薬師だのと、全部に初がついて大にぎわい。

縁日の出店もそれぞれ日にちがずれていれば回れますからね

寒念仏・節季候
小寒と大寒の期間の30日間を「寒の内」という
その間、鉦(かね)を鳴らし、念仏を唱えつつ山野を巡ることを「寒念仏」という
この声や音を聞くと、みんな季節感を感じていたんですね。

この仏教上の行事を真似てというかかこつけてというか
寒念仏の代行と勝手に言って、僧でもない人が「まかしょ、まかしょ」と言いながら家々を回り
金品をもらい歩く「まかしょ」

「節季候、節季候」(せきぞろ、せきぞろ)と言いながら家々を回る「節季候」もいる

江戸って、基本的にツケ商売で
代金はまとめておいて、年末に回収
今でも「これじゃ正月を越せない」と言うことがあるけど
当時は、本当に実質的に、正月を越すってことは重要な事だったんです

ここからが、私が江戸の人たちを大好きなひとつの要因です。
こりゃ年を越せないとなっても
深刻にはなりません。

「まかしょ」や「節季候」と言いながら誰かの家に行けば良いんです。
今年は若干でも蓄えが出来たという時は、めぐんでくれます。

いつ自分もそうなるか分からないんでお互い様って訳です。

餅つき
正月が近づいて来ると、正月用の餅をつく必要がある
裕福な家は自分の家でつきますが
一般庶民は、大体、年の市で買ってくるという事になります。

雪見
遊びの天才、江戸庶民の真骨頂が雪見
当時は、気候が今より寒く
江戸でも良く雪が降り、積もることも多かった。
雪は均等に降るから、そこいらで見ても十分綺麗なんだけど
雪の名所にわざわざ出掛けていく。

見晴らしの良いところが良いので道灌山(どうかんやま)飛鳥山(あすかやま)
湯島、谷中等の高台、
高輪海岸、上野の忍ばずの池、隅田川の堤など。

大晦日
そしていよいよ大晦日
商家はギリギリまで代金の取立てに走り回る

庶民たちは、最後の仕事を終え、一杯引っ掛けた上で
深夜営業の風呂屋に出かける

この日だけ、江戸は特別に、眠らない町となる

年越し蕎麦を食べる習慣は、元禄の頃に始まったようです。

索引はこちら
[暦]シリーズはこちら(少し下げてね)


ポインセチア

花カレンダー始めました