「ん」がなかった

『ん 日本語最後の謎に挑む』(山口謠司著)を読みました。

何故これを読んだかというのは
理由があります。

「あいうえおでお話」をするためです。
ん、は他の文字と違って
んで始まる言葉がないから
ん 自体の話を仕入れておく必要があります。

ありがたいことに、
似たように、を、で始まる言葉もありませんが
ありがたいことに
をに関しては以前話したことがあるのでバッチリ。
を は へ、変な助詞には歴史がある

同じ本で、んが昔なかったことは知っていたんですが
もう少し掘り下げて知りたいと思っていました。

いやあ
ん だけで、本一冊書いちゃうなんて
それも予想以上の内容で大興奮しちゃいました。

あんまりすごいので、一回では終わりません。
まずは、初回

ん、て不思議
ん、て不思議ですね
清音でも濁音でもない。

おっと、これを見ただけで魅了されました。
ん 
考えたこともなかったけど、そうなんだ

そして、50音の外にある

んで始まる言葉がない
しりとりを盛り上げる道化師役

いろは順を最初にあいうえお順に変えた辞書
言海 には、ん、という見出しがありません。

ここからは、本にはなくて自分で考えたんだけど

唯一、最初から最後まで口を閉じたままで発音できる
水の中でも発音オッケー

うん
うううん
YesもNoもこれだけで表現できる唯一の音

ハミングでどんな歌でも歌える

超スペシャルでブラボーじゃないか

んがなかった
江戸時代の国学者、本居宣長が
上古の日本語には、んがなかったと言い切っています。

本居宣長先生が言うのであれば
絶対に間違いない

じゃあ、いつ頃生まれたのか

そもそも、んの音もなかったのか
文字だけの話なのか

少なくとも『古事記』や『日本書紀』『万葉集』など上代の書物に「ん」を書き表す文字が見当たらない。

この辺、ヒントですね。

そもそも、日本語にひらがなもカタカナもなかったころからの歴史が関係している


ん の音自体はさすがにあったんじゃない?

口を閉じたままで発音できる音がなければ
口が乾いちゃいます。

本居宣長先生がおっしゃるので
古事記を見てみましょう。

古事記は、ひらがなもカタカナもなかったころに書かれた。
漢字で書いてあります。

でも、漢文ではありません。
当て字です。

あい、と書きたければ
安伊、と書いてある。
仮借(かしゃ)と言います。

この、仮借には、借音と借訓という二つの方法があります。

~かも、って言いたいとき
可母、って書いてもいいんだけど
鴨、って書いた方が楽。
可母が借音で、鴨が借訓
いずれも意味ではなく、音に当てて漢字を書いていきます。

さあ、古事記の ん の音ですが
陰陽という言葉を表したい場合
いんようの4つの文字を当ててある?
いえ
陰陽を表す、日本の言葉は、「めお」、なんですが
めお、と二文字当ててある
天地、は「あめつち」
ひょっとして日本語には、んが、もともとなかった?
〇〇天皇は〇〇ノミコト
アマテラスオオミカミ
オオクニヌシノミコト
確かに、んがない。
ひょっとするとひょっとする

でも、これに関しては確証がない。
この辺出来たら後でもう一回話すかも。

いずれにしても、音の、んはすぐに日本に確立される。
なぜなら、中国に、んの音があるから。

中国での、ん
一旦、中国の方の、んに行きますね。
あとでまた、日本に帰ってきますので。

中国でも、音と文字の両方で考えましょう。

まずは、音から
中国には、音の、んは存在します。
しかも、三種類も。

この話をすると長くなるので
さらっと行きますね。

どこが一番頑張るかで三種類
舌、喉、唇
発音記号で言うと
n、ŋ、m
そういうと英語でもそうですね。

英語では、んに当たる文字は二種類ですね
nとm
ひょっとしてngも、ん、ってことかな
次に続く文字がmかpかbであればm

これについては話があって
高校の時落ちこぼれていた私は
英語の単語のスペルを覚えるのに苦労した。

やみくもに書いて覚えるしかないの?
なんか法則性無いの?

日本人に、ん、と聞こえる所
nだったりmだったり
ああ、いやらしい。

必死で何百何千と書き出して
とうとう法則を見つけた。

次に続く文字がmかpかbであればm
それ以外は全部n
stampとstand

唯一の例外はinput
これは、inとputの結合語だから

ついでに言うとqの後ろには必ずuがつく
唯一の例外は国名のIRAQ
Qが最後だから

さらについでに言うと
単語の中でのアクセントの位置さえ覚えておけば
発音記号は前後の文字で全部分かります。
例えば、日本語のあ、に当たるのは発音記号でめったやたらに色々ありますね
aとeがくっついたのとかvがひっくり返ったのとか
高校当時、パソコンなんてないから
笑かしてくれるで外人さん
とか言いながら
紙いっぱい広げて
あっちに書き写し、こっちに書き写し

ずいぶんたって
娘が高校生になったとき、ふと思い出し

英語のスペルでmとnの使い分け知っとるか?

うん
mかbかpの前だとmだよ

えっ
何で知ってんねん

そんなのヘボン式ローマ字と一緒だよ
学校で習うじゃん

が、学校で習うんかい
お父さんどれだけ苦労した思てんねん
お父さんの青春を返せっ

ほなら
発音記号やけどな
・・

そんなの、全部ちゃんと発音し分けながら覚えてるから大丈夫だよ。

お前なあ
それは、本来の覚え方やがな
そんなん関西人に発音できるかい
お前はもう、関西人とは認めん!

失礼しました。
横道にそれ過ぎました

始まったばかりで、こんな文字数に
続きはシリーズの次回で。
まだまだ続くよ

白虎隊の生き残り、電線を張る

「幕末維新あの人のその後」という本から、白虎隊の話題です。

白虎隊
白虎隊は有名なので、ご存知の方が多いと思いますが
最後のところをおさらい。

6つの隊に分けられていたうちの、二番隊
兵糧をもたずに出発してしまった。

隊長の日向内記が
ちょっと待っててね

でもなかなか帰ってこない

何かあったんだね
仕方ない、進もう。

隊長のいない彼らに対して
敵の一斉射撃
二手に分かれて逃げる

一方のグループ十九人の眼下に
会津城や町が炎と黒煙に包まれている光景が広がっていた。

実は勘違いだったんだけど
てっきり会津城が炎上したと思い込んでしまった。

もうだめだね
どうしようか

顔を見合わせて
最も哀しい結論

自刃

飯沼貞吉
うちでただ一人、
最年少で数え十五歳の飯沼貞吉だけは一命を取りとめた。
脇差でのどを突いて気を失ったところ

息子を捜しにきた別の隊士の母親に発見される

貞吉ぃーー

生き残り
自分だけ、生き残ってしまった。

つらい。

生きているということが
大切なのに
おそらくそれは彼も分かっているけど

毎日がつらい。

それから四年間ほどの彼の足跡はわかっていない

時間が必要

仕事
明治5(1872)年8/26日に名を貞雄と改め、
新たな出発をする。
工部省からの辞令を受け取って、
赤間関(現・山口県下関)局に勤務することになった。

このときから、飯沼は工部省(のちの逓信省)の電線技師の仕事に
生涯を捧げることになる。

文明開化によって日本じゅうに電線が張り巡らされていった時代に
その先駆けとして活躍し、明治20(1886)年には
逓信省工務局第一課長に昇進している

明治27(1894)年に日清戦争がはじまると、
彼は京城(現・ソウル)―釜山間の電線架設を担当した。
日本軍が征服した土地での仕事だから、
きわめて危険である。

ピストル持っておいた方が良いよ

いえ
わたしは白虎隊で死んでいるはずの人間です

自ら、白虎隊の名前を口にし
穏やかにニコニコと笑っている

あれから、26年という歳月が流れた時の話です。

江戸のリサイクル商売

江戸の卵は1個400円!という本を読みました

ものの値段を通じて、江戸時代をとらえてみましょうという意欲作

その中からいくつか紹介したいのですが
今日はリサイクルの話

リサイクル
江戸って、リサイクルが徹底していて極めてきれいな街
同じ時代の他の国の大都市と比べると、群を抜いて清潔
伝染病もあまり大きなのが流行っていない

それも、庶民一人一人にリサイクル意識が徹底していたから

今日は、そのリサイクルに関わる商売でどういうのがあったか、紹介しましょう

古骨買い
唐傘と言われたことからもわかるように、傘は中国から入ってきた物

ただ、これは日傘として貴人が使用する物で、朝廷の使用許可を必要とした。
しかし、やがて雨傘も使用されるようになり、主に京坂で作られた。

そのうち江戸でも作られるようになったが、傘は高級品。
傘骨を五、六〇本使用した「蛇の目傘」が一本六〇〇~八〇〇文(1万2000~1万6000円)
高ーっ
一文あたり20円をかけてみればおおよその感覚が分かります。

安手の「番傘」でも二〇〇~三〇〇文(4000~6000円)はした。

これだけの高級品だから、古くなっても捨てることはせず、
古骨買いが買い取って修理・張り替えを施し、再使用された。

古傘を買い取る値段が四~一二文(80~240円)

傘の紙をはがし骨の傷みを直して新しい油紙を貼る工賃が約一〇~二〇文(200~400円)。
そうして再生された傘は二〇〇文(4000円)前後で「張り替え傘」
これでなんとかね。

まだまだ終わらないよ。

はぎ取った紙には油分が残り、防水性があるので、魚や味噌の包み紙としても再利用
古骨で凧を作っちゃいましょう。
これは主に浪人の仕事で、凧一枚が一四文(280円)、一日に二〇〇文(4000円)くらいは稼げたという。

おおっ。傘買えるじゃん。

ろうそくの流れ買い
江戸の灯りといえば行燈。
火皿に油を入れ、そこにそえた灯芯に火を灯して灯りとしたが、
とても今のように明るくなく、薄ぼんやりと相手の顔が見える程度

行燈より多少明るいのが蝋燭だった。

この前、がす博物館でガス灯と蝋燭の明るさの違いを実演で見せてもらったけど
行燈や蝋燭暗いことといったら

でも、蝋燭って高級品で、大型の百目蝋燭は一本で二〇〇文(4000円)もした

傘買えるよ

その貴重な蝋燭も、灯すと蝋が流れて落ちる。
これって勿体なくない?
流れ落ちた蝋を買い集めて再生するのも、また商売。

おちゃない
おちゃないってどんな商売だと思います?

ヒントは、
女性が頭の上に袋を乗せて
「おちゃないか~」と言って街中を歩いて回る








はい、その通り
落ちた髪の毛を集める商売ですね
(って、そんなヒントで分かるかいっ)

おちゃない は、落ちたものない?ってこと
落ちた髪の毛は、かもじ(今で言う部分かつら)屋に売った。

この商売
私のところには来ませんね

おちゃないかぁ

目が合ったとたん

失礼しました。

はい。落ちるものがもともとございません。

とっかえべえ
これもまた、可愛い名前の商売

子供相手だからです。

子供たちが拾い集めた鉄くずと飴を取り替え

子供にとってみれば、鉄くずなんかより
飴は宝物ですから
決して子供をだまくらかしている訳ではありません。

献残屋(けんざんや)
これは、江戸検定とかで出てくる、有名な商売

武士とかには
中元、歳暮とかで色んな贈り物が送られます。

おぬしも悪よのう
みたいな感じとも限らず
礼儀の範疇ってことも多い

周りがそんたくしてくれるかも知れないし

そんな多くの品物を買い取ってくれるのが献残屋
で、献残屋から次の贈り物を買う

これぞリサイクル

みんな分かっているから
献残屋に出しやすいものが好まれる。

おお、今年もこれか
はい、お好きでらっしゃるので
これには目がなくてなあ

失礼しました。
こんなところに醤油染みが
おっと、すまんすまん
去年醤油をこぼしてしもうた。
??

灰買い
かまどや火鉢の灰を買い集めた。
灰は肥料や繊維の脱色、皮革の脱脂、焼き物の釉薬などと用途が広く、盛んに売買された。
灰の売買で巨万の富を築いたものもいる

古着屋
これは、今でもありますね
江戸では、長屋暮らしの庶民が新しい着物をあつらえることはほとんどない
一大産業です。
木綿の古着なら、一〇〇文(2000円)前後でたいていの衣服を買うことができた

日本橋の富沢町が特に古着屋が多く集まる町として有名ですが
そこに住んでいたのが、鳶沢甚内(とびさわじんない)。
大盗賊集団の親分です。

捕まって

はい。申し訳ございませんでした。
これからは真面目な商売にせいを出します。

そうか。
ようやく分かってくれたか
わしに出来ることがあったら何でも言ってくれ

始めたのが古着屋商売。

幕府にお墨付きをもらい
どんどん大きくなって
界隈の古着屋の総元締めとなる。

なぜか

古着って、盗賊達が持ち込んでくることも多い。

親父さん、その節は。

おお久しぶり。
元気でやってるようで安心したよ。
今後もごひいきに頼むよ。

へい。

これもまた、別の意味でのリサイクル。

幕府の側もいざとなったら
色々情報収集できる。

持ちつ持たれつ。

お分かりですね
富沢町は
鳶沢甚内の鳶沢転じて、富沢町です。

[百人一首]53 嘆きつつ~。じめじめチャンピオン

百人一首シリーズ
第53首に入って参りました。

このあたりから、有名人が目白押しになってまいります。

嘆きつつ ひとりぬる夜の 明くるまは
いかに久しき ものとかは知る

私が悲しみに嘆きながら、独り寝で過ごす夜が明けるまで
いかに長いか、あなたにはわからないでしょうね。

右大将道綱の母
道綱の母は超有名人。
蜻蛉日記の作者なんです。

でも名前が分からない。
藤原兼家との間に道綱をもうけ
「道綱の母」と呼ばれている。

幼稚園のママ友の間で
〇〇ちゃんのママと呼び合う感覚でしょうか。

それにしても、そんな有名な文学を残しておきながら
〇〇ちゃんのママ、しか分からないって本当かなあ
蜻蛉日記には作者の名前って書いてないんでしょうね
印税はどこに入るんだろう。

兼家は歴史上有名な大物政治家。
道綱の母は家柄的には大したことないので
玉の輿ではある

かなり美人で文学的才能も超一流。

兼家はとっても女性が大好き。
高貴なお方から、庶民まで幅広くまめに付き合う。

当時の結婚のシステムが基本的に通い婚なので
せっせと色んなところに通う。

正妻とか側室とかの区別なく
全員対等。
道綱の母もその中のひとり。

もちろん一人に決めてという男性もいるけど
兼家は、ひとりの女性も自分の家にはあげていない。

そういう社会的風習と、兼家という典型的な男性がいて
蜻蛉日記が出来上がります。
この歌もね。

恨み辛みを赤裸々に書き、大勢の女性の共感を得て
大ベストセラー。

詞書(ことばがき)
この歌がどういう時に書かれた歌かという解説、詞書が
二種類の文に残っています。

ひとつは「拾遺集(しゅういしゅう)」
夫の兼家が訪ねてきたとき、彼女は門を開けようとしない
兼家が「待ちくたびれた」
それを聞いた彼女が詠んだ歌。

ちょっと
それは私のせりふでしょ
って感じかな

もうひとつ、解説がある
そうです。
本人の書いた「蜻蛉日記」そのものです。

すなわち、拾遺集に書かれている解説は
蜻蛉日記に書かれている背景を読んで
多少ソフトに加工した。

真の背景
兼家との間に息子が誕生して間もない頃
彼女は、兼家に新しい女性が出来たことを知る

兼家が他の女性に宛てた恋文を発見した。

兼家、脇あまっ!

そのあと、自分の家に来たとき
今日は用事があるので早めに失礼。

さては

尾行して確かめると案の定。

さあ、大変

次に来たときに、戸は全く開けなかった。
「待ちくたびれた」
どころじゃない。

そして、そのあと、枯れた菊と一緒に送りつけたのがこの歌。

恐ろしいーっ

蜻蛉日記ってそういうじめじめ話がいっぱい書いてあるらしい。
これがまた、当時の女性たちに大受け

こりゃまた恐ろしい。

愛情
読んだわけではないけど
田辺聖子さんによると
蜻蛉日記を読んで分かるのは
彼女が、兼家をひたすら愛していたということ

独占欲が極端に強く
キッつい性格だったけど

そして、兼家も彼女を愛していた。
他の女性も、なんだけど

ああ大変

ほんと、うちは良かったなあ。
カミさん一筋だから平和。

ひとつだけ問題があって
カミさんが私に愛情を持っていない。

たったそれだけ。

家庭内片想い。