佐原の伊能忠敬記念館に行ってきた

はとバスで水郷佐原へ行きました

その続きで、伊能忠敬のところだけ

伊能忠敬はこちらも読んでね
伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?
伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?(続き)

伊能忠敬
伊能忠敬の町なので
伊能忠敬関連がいろいろ

伊能忠敬の銅像
伊能忠敬の旧宅
忠敬橋
そして、伊能忠敬記念館

伊能忠敬記念館
素晴らしいの一言につきます。
唯一文句があるのは
撮影禁止
ごめんなさいね
全く写真がございません。

入ったときがちょうどガイドさんが説明を始めたところ
便乗して全部ガイドを聞けました。
このガイドがまた素晴らしい。

前半生の商人時代の話も
実際の直筆の数々の資料を見ながらフムフム
伊能家に婿養子に入る縁談
ここで初めて奥さんの道さんに出会います
これが「ミチとの遭遇」
ギャグも洗練されています。

江戸に出てきてから
高橋至時に弟子入りしたときの天文学の漢文で書かれたテキスト
自宅から天文台までを測った時の詳細な図
蝦夷まで測った第一回の地図
実物の迫力はすごい
引き込まれます。

測量の道具がまた良かった
それぞれの道具の使い方
メリットデメリット
使うべき場所を丁寧に説明してくれる

ビックリしたのがどでかい象限儀(しょうげんき)
星の角度を正確に測るものなんだけど
これをずっと馬二頭に分けて持ち歩いたということ

ああっ
望遠鏡
これきっと、間重富のやつ

そしてやっぱり
日本地図の実物
国宝に指定されている
ああ、これずっと見ていたい

大図(一番詳細なのもの)中図(それを縮小したもの)小図(さらに縮小)
中図の浅間山の絵のところに、噴火の煙が書いてあった
こんな小さな遊び心にほっこりします。

質問して教えてくれたんだけど
大図、中図、小図の前に下図というのがある
曲線ではなく、測量地点を全て細かく直線で結んだもの
これは、測量しながら作る
その下図の下に紙を敷いて、点を針でプスプス
その点を元に曲線を描いていく。(大図)

次に大図用の下図を縮小して中図用の下図にする
支点を決め、そこから下図の全ての点への長さを測り
計算で何分の一かにする
正確な角度も測って縮小された方の紙に点を打つ
角度だけでは狂うから
それぞれの点の間の距離も縮小計算して
微調整していくんでしょう
気が遠くなりますね

下図から大図、中図、小図を起こすのに
何人もがかかって何年もかかっている
その途中に実は伊能忠敬は死んじゃってます。

3年もの間その事実を弟子たちはひた隠しにし
発表の時は、「伊能忠敬の作った」日本全図です。
その後で、実は伊能忠敬は死んでました。
弟子たちの気持ちですね

カミさんが一番食いついたのは
家族に宛てた手紙
もう、歯が一本だけになっちゃいました。

えっ、その状態でそのあと何年測量で歩いたの?
老人ホームの看護師さんやってますのでね

手紙が1812年に書かれているということは
その後4年、測量で歩き回り、
さらにその2年後に死去している

実は私が少しだけ引っ掛かっていた事が
今日、解説を聞いて分かってとても嬉しい。

伊能忠敬は天文学者で、やりたかった事は地球一周の距離を知りたかった事
でも、幕府に許可を得るために方便として「地図を作ります」
将軍が、その出来映えの良さに喜んじゃって
あっちもやってくれ、こっちもやってくれ
嫌ではなかったと思うけど、どうだったんだろうと思っていた。

答は、墓の墓石側面に書いてあった
レプリカが展示してあって
漢字ばかりで良く分からないんだけど
解説してくれた。

幕府から測量の許可が出たとの知らせを受けると
途端に満面の笑顔になり
その日の内に出掛けていった。

ガイドさんの締めの言葉

伊能忠敬はお分かりいただけたように類いまれなる偉人です
でも、この偉業には
名前の出てこない数多くの人たちの、協力なくしては成り立たなかったことを
忘れたくないものです。

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