家康1、人質時代。我慢我慢ひたすら我慢

以前にやった15代将軍シリーズ

シリーズあれこれ


私の中では原点に近くて、何かにつけて読み返しています。

でも、その中で、一人だけ扱っていない将軍がいる
家康です。

あまりに大物過ぎること
戦国時代は苦手であること

一旦パスして、2代目秀忠から始めますね、と。

ふとした事で、その事を思い出しました。

忘れ物を取りに帰ろう

覇王の家
色々ある家康の読み物の中で何読もうかな
山岡荘八、徳川家康全26巻?
うーん、ご勘弁
やっぱり、迷ったときは、司馬遼太郎大先生
覇王の家、上下巻
2巻で良いの?
先生ありがとう。

今、上巻を読み終えたところです。
家康、ほんとにすごいですね
司馬遼太郎先生も最高

さあ、何回に分かれるか分かりませんが
進めてまいりましょう

まずは、その1

幼少期と言えば、人質
カミさんの田舎、三河でございます。

はじまりはじまり

奥三河
カミさんの田舎東栄町の奥三河
ここで、松平家が興ります。(今の愛知県西部)
(徳川は、松平家の家康が松平では征夷大将軍になれないために勅許を得て自分で作った姓です)

偉大ですね
カミさんは天下取りです。

西には尾張(おわり)の織田、
東には駿河(するが)の今川
大国に挟まれ、怖い怖い

尾張、三河、駿河は性格的に全く違います
尾張は、商売人気質
常に一旗上げてやろうという派手なイケイケ
経済的にもかなり進んでいる大都会。

駿河は、雅
元、室町の守護大名で
特に今川義元は、雅好き
土地的にも、海はあるわ、富士山あるわ
とっても雅

間の三河は、ど田舎
この平成に至ってもど田舎なので
当時はいかほどのものか。
そもそも、ど田舎であることに誇りを持っています。

三河人の性格はと言えば
まあなんちゅうか
30年一緒に生活してみてください。
これ以上の事は、とても私の口からは。

この気質の違いが、ことごとく武将の行動を決定付けることになります。

家康のおじいさんがとても優秀で、領地をどどっと広げる
なのに、お父さんがね
ちょっと残念な感じ。
結局半独立国となってしまいます。
今川に助けてもらわないと何ともなりません。

絶対に今川様には逆らいませんから
何とぞお守り下さいませ。
その証拠と言っては何ですが
この跡取り息子を、人質としてお渡し致しましょう。

家康、幼名、竹千代は、哀れ6歳にして駿河へ

三河岡崎衆と言われる三河の武士たちは竹千代が大好き

可哀想な若殿はどうしておわすであろう
心配でたまりません。

ところが、さらに竹千代を不幸が襲います。
何と、駿河に到着しなかった。

道の途中の豪族、戸田氏に誘拐されてしまうんです。

こいつぁ良いのをひっつかまえたぞ
織田に売ったらえらく高く売れるぞ

そんな無茶苦茶な
運命を司る神様はどこまで意地悪なんでしょう

大喜びの織田氏の元へ

2年の月日が流れます。

そこで、不思議なことが起こります。
小豆坂合戦

駿河の今川勢が、尾張の織田信秀を小豆坂というところで
大いに破った

実は頑張ったのは、三河岡崎衆なんですけどね

織田は信長のお兄さん、信広が捕まっちゃった

何とか信広の命だけは

分かった、じゃあこうしよう
お宅のところにいる竹千代と信広を交換

えっ、それで良いんですか
はいはい。どうぞどうぞ。

ということで、晴れて(?)竹千代は、駿河へ

ちゅうても、やっぱり人質です。

人質ってどういう生活なんでしょうね
いざという時に役立てないといけませんから
拷問とかはしないでしょうけど
そもそもが駿河者は、三河者を徹底的に馬鹿にしています。

そしてまた、哀しいことに
三河者は、それが当たり前だと思っている。
どんなに戦の最前線で使い捨てされようとも
今川に守ってもらえなければ
あっという間に織田の餌食という認識がある

岡崎城は、城主として今川方の大名がやって来て
三河者は何と給料ゼロ
仕方なく、木を切ったり、魚を取ったりして食いつなぐ
それでも、どんな仕事を言いつけられても
はいはいと一生懸命に働く

彼らの共通認識は
そうやっているといつか今川も同情して、竹千代様を返してくれるんじゃないか
それほどまでに、竹千代の事が大好きなんです。

竹千代がああしたこうしたという噂が流れてくる度に
おお、立派になられて、と涙する日々

当の竹千代は、元々の三河気質に加えて
この人質時代に培われた人格が
善きにつけ悪しきにつけ行動規範に繋がっていきます。

竹千代14歳になったときでした。

今川義元は
竹千代に施しを与えてやろうと思い付きます。

なかなかわしも、良いことするじゃないか
という自己満足

今川家の家来、関口親永というおじいちゃんの娘を嫁にくれてやろう

関口親永は大不服
なんで人質ごときに、わしの娘を。

この娘、24歳
竹千代より10歳も年上です。

ちょうど良いじゃないか

今でこそ、24歳はまだまだピチピチギャルですが
当時は、行き遅れた大年増

ご存知、築山殿です。

このあと、歴史は大きく転回していきます。

続きは次回。

索引はこちら
[徳川十五代将軍]シリーズはこちら(少し下げてね)


マユミ

花カレンダー始めました

家康1、人質時代。我慢我慢ひたすら我慢」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 家康2、感動の里帰り | でーこんのあちこちコラム

  2. ピンバック: 家康3、人質生活が終わる。桶狭間の戦い | でーこんのあちこちコラム

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