11/22 小雪 紅葉狩りと初海苔

小雪   しょうせつ 小雪がちらつき始める頃  11月22日

そうですか、雪がねえ
二十四節気は中国のものを持ってきたから、若干早い気もしないではないですが
それにしても、冬になったんだなあ

紅葉狩り
出ましたっ、紅葉狩り
江戸中期以降に爆発的に人気になります。

もちろん、江戸時代を待たずして
紅葉狩りは、風流の代名詞ですからね

このたびは、ぬさもとりあえず手向山 もみじのにしき かみのまにまに

でも、京都と江戸じゃ、紅葉の楽しみ方がちょっと違う

京都は、嵐山に代表されるような紅葉の名所で
船を浮かべたりして、風情を楽しむ

江戸は、まあとにかく何でもかんでも行事という行事は全て取り込んじゃいますから
王子にある飛鳥山や、下谷の正燈寺、品川の海晏寺(かいあんじ)など
紅葉の名所には人々がこぞって押しかけた。


「友禅雛形」と呼ばれる小袖(着物)のデザイン本が
女性の間で評判となり、紅葉の名所をデザインした小袖を着て
紅葉狩りに出かけるのがひとつのステータスとなった。

出ましたよ、江戸検定1級の問題に。

【問】
(    ) 真赤なうその つきはじめ
これは、ある紅葉の名所を詠んだ川柳で、
紅葉を見に行くといって、近くの遊里へ行く男を揶揄したものです。
( )に入る名所とは、どこでしょう?
い)飛鳥山 ろ)海晏寺 は)滝野川 に)根津権現

さすがですね、1級
紅葉の名所を選択肢で3つ並べるとは
い)飛鳥山 ろ)海晏寺 は)滝野川 ともに紅葉の名所
それぞれの場所と、いくつかの遊里との地理が分かっていないと解けない

に)正燈寺を入れなかったのがせめてもの良心です
正燈寺は吉原に近いですから、正燈寺入っていると8割方正燈寺って回答するでしょうから

この問題を解いた時点では、海晏寺の存在も、場所も知らなかったんですが
根津権現はツツジだから、紅葉関係無いし
飛鳥山と滝野川は遊里には遠いよなあ
消去法で海晏寺
品川だったんですね
吉原に次ぐ2番目の場所

紅葉狩り婿やるまいぞやるまいぞ

って川柳もあります

新海苔
江戸は初物が大好き
初がつおの話はしましたね

この時期は初海苔

江戸の海苔と言えば浅草海苔
江戸時代が始まったばかりの時に
海苔が初めて取れたのが浅草
海苔発祥の地です。

ええっ
あんな内陸の地で、どうやって海苔が取れます?

そうなんです。
江戸が始まってすぐの頃は、浅草はすぐ前が海でした。
そのあとすぐに大埋め立て工事が始まり
浅草は海に面しなくなった。

でも、海苔の加工技術を持った職人さんはいっぱいいる。

良いこと考えたっ

新しい海苔の産地、品川や大森から海苔を仕入れれば良い。
最後に板海苔にする工程だけを、浅草で受け持って
はい、「浅草海苔」

品川や大森の海苔の漁民たちは
画期的な方法を産み出しました

それまでは、水中を漂う海苔をかき集めて採っているだけだったんだけど
ヒビという木の枝みたいなのを海中に立てて置けば
そこに海苔が付着し、さらに、勝手に海苔が育って増えていってくれる。

大幅に生産性が向上

品川や大森も浅草もほっくほく

品川や大森も気づいちゃいます。
自分達で加工までやっちゃえば、利益総取り

品川海苔、大森海苔の誕生だ!

でも、不思議なことに
根が控え目なのか
今までのお得意先の浅草を立てたのか
名前はそのまま、浅草海苔で販売

その後ほぼ、加工については浅草は手を引きますが
それでも名前は浅草海苔

産地かつメーカーとしての品川大森と、海苔の問屋としての浅草

まあ、みんな仲良く、が江戸っ子の良さですね

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アワコガネギク

花カレンダー始めました

日本庭園の、生け垣と刈り込み

生け垣
出ました、生け垣

庭園からのアプローチではなく
「木」からのアプローチでも、生け垣って大きなテーマ

歩いていて、木を楽しもうとすると
まず一番手っとり早いのが、生け垣と街路樹

それぞれ、使われる木が違う
生け垣に落葉樹とか使っちゃったらスカスカになっちゃいますから

住宅街は生け垣だらけです。

刈込
庭園は自然を模しているわけです
これは、二つの事を意味しています

ひとつは、出来るだけ自然を再現しようと言うこと
ただ、全く自然のままならば、自然を見れば良いわけです。
自然を持ってきて、より美しく見せる
すなわち、自然に手を入れて初めて庭園
自然のままなら、ぼうぼうです。

この相矛盾する二つは永遠の課題です。

刈り込みは
一見それと分からぬほどの、自然なものから
きっちり刈り込まれたものまで色んなレベルがあり得ます。

自然なものが大刈り込み
きっちり刈り込まれているのが小刈り込みです。

室町時代は大刈り込みです。
刈り込む事で、下まで日が当たるよう、葉や枝を適度に落とす。
木の健康増進です。
ここで、重要なことは
刈り込みしたことを悟られないということ。
あくまでもコンセプトは自然。

不思議です。

日本の庭園なら
大刈り込みだけな筈です。

日本の庭園は、自然に無いものは違和感を覚えるから
左右対称とか、直線とか無いし、水は上から下、石は出来るだけ加工しない
西洋の庭園は、自然に無いものこそを作り出した喜びを感じるから
左右対称、直線、水は下から上、石は彫刻してから置く

この大原則からすると、小刈込は
異端児であり、裏切りもん

でも、江戸時代に大流行しています。



特に、ツツジやサツキは小刈込は必須ですね

調べて見ると面白い事が分かりました。

小堀遠州
小刈込を始めたのは、幕府の作事奉行、小堀遠州
江戸時代が始まってすぐの頃に
後陽成天皇が宣教師に対して
「宮廷付工人」であった遠州へ

西洋の庭園の技術を教えてあげて

イエッサー

1611年、遠州の造営したの寛永度内裏に花壇や刈込が突如出現した

当時、まだキリスト教は禁じられていなかったし
鎖国でもなかった。

ギリギリセーフです。

それ以降、低木は小刈込というのが当然のように定着します。
おそらくみんな西洋に教えてもらったと知らずに
人工的な美しさも、それはそれでアリだと思っちゃったし
これぞ日本庭園、とまで思うようになった。

日本庭園を見て、いつも
いやあ、日本人に生まれて良かったなあ
この本当の良さは外国人には分かるまい
と思うわけですが

今後は、ちょっと思い方を変えないといけません

いやあ、この良さは外国人には分かるまい(小刈込を除く)

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ツリフネソウ

花カレンダー始めました

家康1、人質時代。我慢我慢ひたすら我慢

以前にやった15代将軍シリーズ

シリーズあれこれ


私の中では原点に近くて、何かにつけて読み返しています。

でも、その中で、一人だけ扱っていない将軍がいる
家康です。

あまりに大物過ぎること
戦国時代は苦手であること

一旦パスして、2代目秀忠から始めますね、と。

ふとした事で、その事を思い出しました。

忘れ物を取りに帰ろう

覇王の家
色々ある家康の読み物の中で何読もうかな
山岡荘八、徳川家康全26巻?
うーん、ご勘弁
やっぱり、迷ったときは、司馬遼太郎大先生
覇王の家、上下巻
2巻で良いの?
先生ありがとう。

今、上巻を読み終えたところです。
家康、ほんとにすごいですね
司馬遼太郎先生も最高

さあ、何回に分かれるか分かりませんが
進めてまいりましょう

まずは、その1

幼少期と言えば、人質
カミさんの田舎、三河でございます。

はじまりはじまり

奥三河
カミさんの田舎東栄町の奥三河
ここで、松平家が興ります。(今の愛知県西部)
(徳川は、松平家の家康が松平では征夷大将軍になれないために勅許を得て自分で作った姓です)

偉大ですね
カミさんは天下取りです。

西には尾張(おわり)の織田、
東には駿河(するが)の今川
大国に挟まれ、怖い怖い

尾張、三河、駿河は性格的に全く違います
尾張は、商売人気質
常に一旗上げてやろうという派手なイケイケ
経済的にもかなり進んでいる大都会。

駿河は、雅
元、室町の守護大名で
特に今川義元は、雅好き
土地的にも、海はあるわ、富士山あるわ
とっても雅

間の三河は、ど田舎
この平成に至ってもど田舎なので
当時はいかほどのものか。
そもそも、ど田舎であることに誇りを持っています。

三河人の性格はと言えば
まあなんちゅうか
30年一緒に生活してみてください。
これ以上の事は、とても私の口からは。

この気質の違いが、ことごとく武将の行動を決定付けることになります。

家康のおじいさんがとても優秀で、領地をどどっと広げる
なのに、お父さんがね
ちょっと残念な感じ。
結局半独立国となってしまいます。
今川に助けてもらわないと何ともなりません。

絶対に今川様には逆らいませんから
何とぞお守り下さいませ。
その証拠と言っては何ですが
この跡取り息子を、人質としてお渡し致しましょう。

家康、幼名、竹千代は、哀れ6歳にして駿河へ

三河岡崎衆と言われる三河の武士たちは竹千代が大好き

可哀想な若殿はどうしておわすであろう
心配でたまりません。

ところが、さらに竹千代を不幸が襲います。
何と、駿河に到着しなかった。

道の途中の豪族、戸田氏に誘拐されてしまうんです。

こいつぁ良いのをひっつかまえたぞ
織田に売ったらえらく高く売れるぞ

そんな無茶苦茶な
運命を司る神様はどこまで意地悪なんでしょう

大喜びの織田氏の元へ

2年の月日が流れます。

そこで、不思議なことが起こります。
小豆坂合戦

駿河の今川勢が、尾張の織田信秀を小豆坂というところで
大いに破った

実は頑張ったのは、三河岡崎衆なんですけどね

織田は信長のお兄さん、信広が捕まっちゃった

何とか信広の命だけは

分かった、じゃあこうしよう
お宅のところにいる竹千代と信広を交換

えっ、それで良いんですか
はいはい。どうぞどうぞ。

ということで、晴れて(?)竹千代は、駿河へ

ちゅうても、やっぱり人質です。

人質ってどういう生活なんでしょうね
いざという時に役立てないといけませんから
拷問とかはしないでしょうけど
そもそもが駿河者は、三河者を徹底的に馬鹿にしています。

そしてまた、哀しいことに
三河者は、それが当たり前だと思っている。
どんなに戦の最前線で使い捨てされようとも
今川に守ってもらえなければ
あっという間に織田の餌食という認識がある

岡崎城は、城主として今川方の大名がやって来て
三河者は何と給料ゼロ
仕方なく、木を切ったり、魚を取ったりして食いつなぐ
それでも、どんな仕事を言いつけられても
はいはいと一生懸命に働く

彼らの共通認識は
そうやっているといつか今川も同情して、竹千代様を返してくれるんじゃないか
それほどまでに、竹千代の事が大好きなんです。

竹千代がああしたこうしたという噂が流れてくる度に
おお、立派になられて、と涙する日々

当の竹千代は、元々の三河気質に加えて
この人質時代に培われた人格が
善きにつけ悪しきにつけ行動規範に繋がっていきます。

竹千代14歳になったときでした。

今川義元は
竹千代に施しを与えてやろうと思い付きます。

なかなかわしも、良いことするじゃないか
という自己満足

今川家の家来、関口親永というおじいちゃんの娘を嫁にくれてやろう

関口親永は大不服
なんで人質ごときに、わしの娘を。

この娘、24歳
竹千代より10歳も年上です。

ちょうど良いじゃないか

今でこそ、24歳はまだまだピチピチギャルですが
当時は、行き遅れた大年増

ご存知、築山殿です。

このあと、歴史は大きく転回していきます。

続きは次回。

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マユミ

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[昭和歌謡]62 赤とんぼの唄

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズ

赤とんぼの唄
あのねのね
作詞 清水国明 作曲 原田伸郎
1973年

♪赤とんぼ 赤とんぼの
羽根を取ったら あぶら虫

不思議な歌でした。

仲の良い友達同士でワイワイ騒いで夜中になって
とても変なテンションになり
一人が言い出したちょっとした事が大爆笑になって

無茶苦茶おもろいっ

明くる日になってあれは何だったんだろうって
若いときにはよくあることです。

なぜかそれが、世の中に出ちゃった。
そんな歌ですね

ところが、不思議な事に仲間内だけのノリが
全国の若者のノリに直結して

無茶苦茶おもろいっ

になっちゃった。

当時、若者の端くれだった私には、何が面白いんだかさっぱり分からなかったんですが

ノリってものは元々そういうもので
何が面白いんだか、なんて考えてはいけませんね

赤とんぼの羽根を取ってもあぶら虫になるわけないやん
色も形もちゃうがな

と言ってしまえば、そこで終わりですから。

こんな事は最近の話でもなくて
昔からあったことのようです

江戸の恋川春町の戯作本
「」なんてまさしくそれ

ストーリーは極めて単純で
茶屋で団子頼んだ主人公がうとうとしちゃって、夢を見る
その中で遊び呆けて、親に勘当されちゃう
ふと目が覚めて、ああ夢で良かった。

ただ、それだけ

そこから、黄表紙なる一ジャンルが築かれたほどの歴史的大ヒットになるんだけど
今の人が読むと、面白い要素は何一つ感じられない。
どうも、ちまたでその当時流行っていた流行語があちこちに散りばめられているようで
みんな大爆笑しながら読んだらしい。

当時から今まで、全く進歩なしかい、って
なるけれど

「世の中のためになる」「心揺さぶられる」みたいな
ちゃんとしたこと、と
取るに足らないこと、って
ひょっとしたら両輪で

取るに足らないことは、
どんなに時代が進歩しようが、同じように繰り返す。
人間ってそんなもん。
じゃなきゃ、息詰まるよね。

プハーっ

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みかん

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