菅原道真、このたびは〜

百人一首シリーズです。

このたびは、ぬさもとりあえず手向山(たむけやま)
もみじのにしき かみのまにまに

今度の旅では、ぬさの用意も出来ぬままに、慌ただしく出発してきてしまいました。
ですから、この手向山でたむけるぬさと致しましては
今ここに見事に織りなされているもみじの錦を、私の捧げ奉るぬさとして、神の、みこころのままにお受け取りください。

解説
この歌の詠まれた段階はまだ失脚前。
宇多上皇のお供をして、奈良に旅をした際の作。

ぬさって何かなんだけど、
当時、旅人は、路傍の道祖神の前で、
ぬさと呼ばれる細かい色とりどりの紙片や布片を撒き散らして神に捧げ
道中の無事を祈るのがならわしだった。

そのぬさを準備し忘れてしまいた。
とりあえず、というのがそれなんですが
今使われる、「とりあえずビール」のあのとりあえずではありません。
準備しわすれたという意味です。

でも良くみると、紅葉があたかもぬさのように色とりどり
このもみじをもって、ぬさをたむけたとさせてください。

ぬさはかなり重要なことで、法皇と御一緒する旅で
菅原道真ほどの人が準備し忘れるとは思いがたい。

美しいもみじを見て、
忘れたふりをして、もみじをぬさに見立てた方が
興がのると判断したのでしょう。

ともすれば、重要な忘れ物を非難されかねないリスクをおかしつつ
宇多上皇の風流心から
おお、道真よ、今日のぬさは最高だ
と言ってくれるはず
と読んだ自信。

さらにこの度とこの旅をかける掛け詞
神のまにまに、という絶妙のフレーズ

紅葉が美しかったら
こっちの作戦でいくぞと
あらかじめ歌も詠んで準備していたかも。

菅原道真
菅原道真は超有名ですね。
一度、このコラムでもお話ししましたが
おさらいしてみましょう。

菅原道真は、当時、藤原氏ばっかりの世の中で
藤原氏以外で出世した数少ないひと。

宇多天皇に重用され、さらに次の醍醐天皇にも。
順調すぎて、藤原氏が面白くありません。
藤原時平が、醍醐天皇に、
菅原道真があなたを陥れようとしていますよ、と根も葉もない耳打ち。
太宰府に飛ばされてしまう。

大事にしていた梅の木が、
道真を追いかけて飛んでいった飛梅の話は有名ですね。

天神さま
菅原道真は、浮かばれることなく、失意の内に太宰府で生涯を閉じる。

問題はここからです。

まずは藤原時平が、不審な病死。
その他にも関係した人が次々に病死。

さらに、関係者が多く会議していた、清涼殿に、まさに会議中に落雷。
死傷者が多く出る。

その後、間もなくして醍醐天皇も病死。

これは、どう考えてもたたり。

何とか、道真の怒りを鎮めるため、
お祀りしましょうと
北野天満宮を作ってお祀りする。

普通に考えて不思議だなあと思うのが
天神さま、という神様としてお祀りするというところ

関係者としては、次は私の番?
みたいなことで、お祓いしたいという位のところまでは分かるけど
神様とするって不思議ですよね。
明らかに人間です。

昔から怖いものって、怖れ多いと言うことで
神様として拝む対象。
山なんかは、暗くて怖いので神様が住んでいる。

典型的なのが雷。
災害をもたらすし、ゴロゴロドッシャーン。
こんな怖いものはないけど
雨がわんさか降るので
農作物にはメリット膨大。
これは神様でしょうと。

清涼殿落雷事件で雷が絡んだことで一気に神様になっちゃった。
天神さまで天の神様。

桑原町
桑原町は京都のど真ん中。
でも誰も一人も住んでいない。
何故なら、幅の広い道路が通っているその上だけだから。

何でそんなところに町名が付いているかというと
元々菅原道真のお屋敷が有ったところだから。

京都中に雷が落ちまくったときにも
桑原町にだけは雷が落ちなかった。
だから、くわばら くわばら、って言うんですね

雷が怖いときはぜひ桑原町に逃げてください。

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