家康6、武田崩れたり!富士山見たい

家康5、信長からの命令。妻と子を殺せ
の続きになります

武田家
圧倒的実力を持った武田家
信玄から勝頼に変わろうとも、脅威には違いありません。

ところが歴史的な勝利が織田徳川連合軍に訪れます。
長篠の戦い
初めて戦で鉄砲というものを有効に使った。

武田勝頼甲州へ逃げ帰ります。

今こそ長年の脅威、武田を討つとき
追撃して、息の根を止めましょうぞ

家康は信長に進言

ところが、信長は不思議な判断をします。

放っておけ
追わずとも、いずれ立ち腐れる

信長ってやっぱり得体が知れません。

確かに最終的に武田は崩れ落ちるんだけど
それまで7年も待つことになります。

その間に例の築山殿が武田勝頼と通じたりもしています。

そして、勝頼は決定的にまずいことをしちゃった。
それまで、北条と仲良くやっていたのに
上杉の分裂騒動で、親北条じゃない方に肩入れしちゃった。

怒った北条
いよいよその時がやって来たと、家康が北条に連絡を取ります。

織田徳川連合と申します。どうでしょう。こっちの仲間に入りません?

約束を取り付けた

「高天神山」 という丘陵が、掛川の南方にある
武田の領地で、武田領としてはちょっとはずれ。高天神城がある

家康は、城の周りにぐるっと土を盛り上げて、虫一匹出させないような厳重警備

この城に物資を運ぶには、北条領を通る必要がある

さあ、出てこい勝頼
どう見てもおびき出し作戦

城を守る横田甚五郎という甲州侍は勝頼に手紙を出す

来てはなりませぬ
そうすれば、長篠の二ノ舞になって武田家はほろびましょう。
自分たちがこの城で死ねばすむことでござる。
捨て殺しになされよ。

さすがは、甲州侍
こういう人がいるから、武田は恐れられているんですね

勝頼は

いやあ、悪いねえ
お言葉に甘えて、そうさせていただきます。

城の侍たちは、飢えに苦しみ、悲惨な最期を遂げる。

勝頼は言われた通りにしたわけで
確かに、戦略的に、行くことにメリットは無いように見えますが
それは、人間としてどうなのかと。

この事で全てが決まりました。

強い結束を図ってきた、武田の家臣たちは、雪崩を打ったように
織田徳川北条連合に寝返って行きます。

強い気持ちで繋がってきた人たちに、それだけはやっちゃいけなかった。

一気に武田攻め
織田軍は北側から侵攻し、大虐殺を繰り返しつつ進んでいく。

南側から侵攻の徳川軍は、ちょっと違っていて
無駄な戦はするな

すると、
いらっしゃいませ
って感じで、寝返る準備をして待ってくれている。
簡単!

武田家の勝頼ともあろうものが
結局、織田や徳川と一戦も交えることなく
逃げ回ったあげくに自刃

この戦の大勝利で、信長から家康に
「駿河一国を与える」

もうちょっともらっても良いとは思いますがね
三河遠州駿河に増えました。

今の県でいうと
愛知県の半分と、静岡県全域
まあ、地道でございます。

富士山
結局、信長自身は甲州にまで至らずに終わりました。

実はこの事、信長本人にとっては、ちょっとだけ残念な事

信じがたい事ではありますが、信長ほどの男が
産まれてからここまで、富士山というものを見たことが無い。

それまで、武田家の脅威のために容易に近づけませんでしたからね。

富士山というものは、綺麗なんだろうなあ

それはもう。

あまたの絵にあるように、美しいのか

いえいえ、それ以上でございます。

分かりました。
この家康。全身全霊、ご案内いたしましょう。

おお、家康殿がか
こんな嬉しいことはない
良い冥土のみやげとなろうぞ

本当に冥土のみやげとなってしまうんですけどね
最初で、そして最後の、富士山観光になります。

史上最高の接待
家康が信長を接待する
考えただけでも、すごいことになりそうだが
実際には、もっとすごいことになった。

家康は信長とともに歩くようなことはしない
信長に歩いていただく道を先回りし、万全の準備

甲府を発って、最初に笛吹川を南へ渡る
元々この川には橋がなかった。

橋がないなら

先回りした家康
可能な限りの何千という人夫を動かし
一日で橋をかけてしまった。

心きいたことよ

信長ご満悦

最初に泊まるのは姥口というところ
そこまでの道は実に狭い。

また先回りで、道を広げちゃった。

泊まる宿は、これまた一日で御殿風の宿
それだけではなく、信長の家臣のために百もあろうかという小屋。

ここは高台で眺めが良かろうと思うところは
木々を全て伐採して、見事な眺めを広げる

川だ山だと、風流なものをより風流に。

見事じゃ。見事じゃ。

元来、家康はドケチで金を使うのが大嫌い。
風流な遊びとは全く無縁で生きてきた。
そもそも、接待などということは生まれて初めて。

ある意味、加減が分からないということはあったかもしれない。

とはいえ、やり方は全く分からない筈。

ここが、家康の可愛いところ。
あらかじめ、信長に頼んであった。

ご側近の、長谷川秀一殿をお貸しくだされ。

この人、信長の趣味的な部分は全て取り仕切っている人。
信長とて、元は田舎侍なので、この長谷川秀一に頼りっきり
お師匠さんとも言える。

信長がどういうことで喜ぶか
あるいは本人より知っているかも知れない。

おおっ。これは
長谷川の仕業だな

最初から種明かししているようなもんだが
やはり喜んでもらう方が良い
元々無理な事が分かっているなら、素直になればいい。
自分への評価より、実を取った

でも、長谷川の提案は全て、倍の規模で作り上げる訳だから
常にサプライズも伴っている。

いよいよ、富士山が見える

みなの言ったことはまことじゃったぁ

そして、白糸の滝

萬を持して、家康が出迎える

よくぞよくぞおもてなし下された。

感激した信長、名馬や、宝物や思い付く限りのものを進呈

そしてとどめが、天竜川

例によって、ここに橋をかけたのだが
舟橋というタイプの
舟を並べてその上に板を渡す橋。

信長が渡るときに崩れてしまったら元も子もない

なんと、上流をその時だけせき止める
どうやったかというと、家臣がよってたかって、上流にびっしりと並ぶ

信長は
今回の事、生涯忘れん。

今度お返しをさせてもらえんか。

わしが案内する
ぜひ、ぜひ京へ来てくだされ。

今度は、信長が全身全霊

そしてその最中にあのようなことが起ころうとは。

続きは、シリーズの次回でね

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[徳川十五代将軍]シリーズはこちら(少し下げてね)


カンツバキ

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テレビが壊れた!大騒動

土曜日の事になります。

夜、スーパー銭湯でくつろいでおりますと
カミさんからライン。

テレビが壊れた

いよいよか

5年前に買った、今時のでっかい液晶のテレビですが
2年ほど前から調子が悪い
リモコンでピッとやっても、うんともすんとも反応がない
色々やってみて、リモコン側の問題ではなく、リモコンの電波を受け取る側のテレビ側の故障であることが判明
修理しようとすると、こんな大きいの梱包出来ないから、出張して来てもらわざるを得ず
バカ高い金を取られる
大きいのも考えものですね

テレビのところまで出掛けていって何とかしておりました。

帰ってみると
地上デジタル放送を受信できません、とのエラーメッセージ

むなしい

バンっと叩けば直った昔が懐かしい。

でも、実を言うと私は大して困らない
ブログ初めてから、くそ忙しく、テレビを見ている余裕が全くございません。

次女は録り貯めてある「あめとーく」とか「乃木坂48」とかを食事の時にチラッとかけるくらいで
リアルタイムでテレビを見ることが全くない

長女に至っては、テレビを見ている姿を見たことがない
本が大好きで、本ばっかり読んでますから。

不思議ですよね
我々の世代は、何かっちゅうとテレビでしたよね
学校行ったら、友達と
昨日のあの番組見た?

今の若いのに
家で何してんのん?って聞いたら
特に何も
敢えて言ったら、ゲームしたり、動画見たりかなあ

不思議な時代になったものです。

ということなので
うちで、テレビがないとどうにも困るのは、カミさん

結構スポーツが好きで、特にフィギュアスケートとバレーボール

そして何と言っても韓国ドラマ
ずっと見てます。
そんなに面白いもんなんでしょうかね

日曜日
日曜日になりました。
今日中に新しいテレビ買って、見れるようにしといてね
と言い残し、カミさんは会社へ

さあ大変

まずビデオに録った番組は映るという事は、映す機能は壊れていない

アンテナが壊れたか、部屋の中のケーブルがおかしいか、テレビの受信機能が壊れたか

新しいケーブルを買ってきたりしてすったもんだ。
結局原因の特定には至りませんでした。

もともと、テレビは調子悪かったし
よしっ、買うか

どうせだったら置けるギリギリの大きさまで一回り大きいのにしよう、との事だったので
サイズを計って、
いざ、ヤマダ電機に行かん

ドンドドーン

購入
一番最初に目が止まったのが、ちょうどギリギリのサイズ

なんだか他に比べてこれだけ安い

お正月の特別セールで売れ残ったやつなんです

分かりました。これ下さい。

良いお客さんでしょ。どうせ説明聞いたって良く分かりません。

配送してもらうと結構先だと言うので、
持って帰りますっ

車に乗せるとギリギリ。

古い方のテレビは、リサイクル法がどうだかで
電機屋さんに引き取ってもらう必要があって、3700円
はい、あとで持ってきます。

組立、配線、設定
組立と配線が思った以上に色々あって大変

これで大丈夫な筈。

さあ、初期設定だ。

ここ押して、チャンネルスキャン

「受信できません」

えっ
ええええーっ

えらいこっちゃー

お休み中の管理人さんに何とか連絡を取った。

すみません。テレビが映らなくなりましてね

そうでしょう
昨日から、一部のお宅でそうらしいんです。
アンテナの修理業者に連絡しておきました。

そんなぁ
テレビが故障だと思って、テレビ買っちゃったんですけど。

慌てて、ヤマダ電機に電話

すみません。さっきテレビを買ったものなんですけど
テレビの故障かと思ったら、アンテナの方の故障だと判明したんです。
返品って出来ますでしょうか
梱包開けて組み立てちゃったんですけど

申し訳ございません。
それですと、返品は受けかねます。

ですよねー

仕方ない
古い方持っていくか
一応ラインでみんなに確認

これこれこうで
古いテレビをヤマダ電機に持っていくけど良いよね

長女からライン

待って待ってーっ
私テレビ欲しい

ややこしいやっちゃ
こんなでかいテレビ、自分の部屋に置いても邪魔で仕方ありません。
そもそも全くテレビを見る習慣がないくせして。
やっぱり要らん、と音をあげるに決まってますけど
とりあえず何でも欲しいと言ってみる性格です。

リモコン
リモコンは便利ですね

この2年の苦労が報われる時がやってまいりました。
テレビに近付かずとも電源を消せたりします。
誰がこのような便利なものを開発したのでしょう。
座布団3枚でも足りないくらいです。

しかも、今時のテレビですので、dボタンなるものが付いています。
毎朝、テレビ朝日のグッドモーニングを見ているんですが
「林先生のことば検定」なるクイズにお茶の間から参加出来たりします。
昔はずっとやっていてポイントを貯めたりしていたんですが
リモコン壊れてからは諦めていました。

でかい
ものすごいでかい
狭い部屋なので結構すぐ前で見るんですけど
自分より顔のでかい人が目の前にいるっていのは
まあ暑苦しい
向こう行って!

身の程というのを考えないといけませんね。

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オウバイ

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センター試験に挑戦!

世間では、センター試験なるものをしているそうです。

懐かしいなあ。
私の時から「共通一次試験」なるものが導入されたのよね
「共通一次試験」第1号世代です。

毎年、センター試験が行われた翌日に、新聞に問題と答が発表されますね。

今、日本史をこちょこちょやったりしているので
去年も、
ひょっとしてある程度センター試験分かるようになってたりして
と、問題を解きかけて、とんでもなく難しい事に気付き早々と断念。

今年は、去年よりは出来るようになってるかもよ
何と言っても、江戸検定2級を合格した訳ですから。
江戸時代以外も、苦手の戦国時代も、家康でちょっとかじり
平安時代、鎌倉時代も、百人一首とかでちょっとずつかじった。

それにしても、日本史の問題を解いてみようと思うなんて自分でもビックリです。
日本史になんて全く興味がなく
というか苦手
豊臣秀吉が漢字で書けませんでしたから
落ちこぼれ(歴史編)
4年前にウォーキング初めてからですからね

挑戦
うわっ、やっぱり全然分からん。
日本の大学生たちはどんだけ賢いのでしょうか。

とはいえ、最初の問題は万葉集がないことは分かったため二分の一の山勘
採点するとたまたま正解してたんですけどね。

正解が分かる問題はひとつも無いんだけど
そこそこ、選択肢が絞られる問題はあったりします。

なかなか江戸時代にならないなあ。

来たっ、江戸時代


惜しいっ。
角倉了以は、最近、井沢元彦さんの逆説の日本史で読んだばかりで正解
後ろの手伝普請と小物成がなあ
江戸検定2級では小物成までは出るんだけど、性質上どっちもあり得るとても難しい問題
私は、④を選び、正解は③
問2は、江戸検定知識でほぼ特定できて②正解

ようやく完全に分かる問題が出ました。これ


大田南畝も寛政の改革も大得意
問4は④正解、
問5は、③だけ天保の改革だから③正解
問6はⅡとⅢの順番迷ったけど、あてずっぽで、②正解

結果として、江戸時代だけに関して言えば、10問中7問正解
バンザーイ

採点
全問採点すると、50点ぴったり

良いんじゃないでしょうか
上々です。

それにしてもこんなの解けるなんて
賢こすぎます
日本の大学生に将来を任して大丈夫ですね

ちなみに、長女に聞いてみたら
世界史を選択したらしいですが
95点位だったらしいです。

次女は理系ですが
総合得点は長女とほぼ同じくらい。

我が家では、分からない事があれば、娘たちに聞くことになっています。

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アザレア

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1/20 大寒 江戸の大晦日までの色々

二十四節気シリーズです

大寒  だいかん 最も寒さの厳しい頃  01月20日
(旧暦 12月15日)

年の市
煤払いも終わり、旧暦では正月へのカウントダウンということになります。
神社や寺院では、祀られる本尊と祭神の結縁日(けちえんにち)に市が立ちます。
今年最後というこの時期には、特別、年の市という名前になります。
水天宮は5日、薬師は8日、金比羅(こんぴら)は10日、祖師は13日、観音は18日、大師は21日、地蔵は24日、天神は25日、不動は28日という具合
お互いに少しずつずらして共存を図ります。
これ全部行こうとすると、えらい忙しいですね
正月を迎えるための色んな品物を買うための縁日市が立つ訳ですが
正直それだけが目的なら、最寄りの神社や寺院のどれかひとつに行けば事済む訳です。
でも、おそらく複数に出かける
金がもたないなら、別に何も買わなくったって
そういうところに行くのが楽しい。

遊びの天才。遊ぶために必死
翌月には、それぞれ、初水天宮だの、初薬師だのと、全部に初がついて大にぎわい。

縁日の出店もそれぞれ日にちがずれていれば回れますからね

寒念仏・節季候
小寒と大寒の期間の30日間を「寒の内」という
その間、鉦(かね)を鳴らし、念仏を唱えつつ山野を巡ることを「寒念仏」という
この声や音を聞くと、みんな季節感を感じていたんですね。

この仏教上の行事を真似てというかかこつけてというか
寒念仏の代行と勝手に言って、僧でもない人が「まかしょ、まかしょ」と言いながら家々を回り
金品をもらい歩く「まかしょ」

「節季候、節季候」(せきぞろ、せきぞろ)と言いながら家々を回る「節季候」もいる

江戸って、基本的にツケ商売で
代金はまとめておいて、年末に回収
今でも「これじゃ正月を越せない」と言うことがあるけど
当時は、本当に実質的に、正月を越すってことは重要な事だったんです

ここからが、私が江戸の人たちを大好きなひとつの要因です。
こりゃ年を越せないとなっても
深刻にはなりません。

「まかしょ」や「節季候」と言いながら誰かの家に行けば良いんです。
今年は若干でも蓄えが出来たという時は、めぐんでくれます。

いつ自分もそうなるか分からないんでお互い様って訳です。

餅つき
正月が近づいて来ると、正月用の餅をつく必要がある
裕福な家は自分の家でつきますが
一般庶民は、大体、年の市で買ってくるという事になります。

雪見
遊びの天才、江戸庶民の真骨頂が雪見
当時は、気候が今より寒く
江戸でも良く雪が降り、積もることも多かった。
雪は均等に降るから、そこいらで見ても十分綺麗なんだけど
雪の名所にわざわざ出掛けていく。

見晴らしの良いところが良いので道灌山(どうかんやま)飛鳥山(あすかやま)
湯島、谷中等の高台、
高輪海岸、上野の忍ばずの池、隅田川の堤など。

大晦日
そしていよいよ大晦日
商家はギリギリまで代金の取立てに走り回る

庶民たちは、最後の仕事を終え、一杯引っ掛けた上で
深夜営業の風呂屋に出かける

この日だけ、江戸は特別に、眠らない町となる

年越し蕎麦を食べる習慣は、元禄の頃に始まったようです。

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[暦]シリーズはこちら(少し下げてね)


ポインセチア

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