またまた玉川上水。続けて繋げてまた続けて。

またまた玉川上水。続けて繋げて。
の続きです。

山本有三記念館
何だろうこれ

何々?
山本有三記念館か

まあ、山本有三って名前は知ってるけどどういう人か良く知らないしな
有料なんだろうな。ふむふむ300円。
ん?
企画展が、「女人哀詞の時代」
唐人お吉の小説。
ちょっとちょっと、それ最初に言ってよ。
山本有三さんは良く知らないけど、唐人お吉が300円なら入るでしょ。

唐人は大好き。
詳しくはこっちを見てね
唐人お吉の悲しすぎる運命

あっ、そうか
山本有三って路傍の石の人ね
ならば子供の頃読んだことある。

これが、路傍の石

山本有三さんの家です。素敵です。

ここに住んでいたということは、太宰治とご近所さんということですね
時代もダブっているかも
顔見知りだった可能性が高いです。
当時の二人のサインのある回覧板が見つかったらえらい高値が付くでしょうね。

町内会で、盆踊りやるから6:00に集合
はーい。

暖炉が素敵

他にもいくつか暖炉があります。
寒がりだったんでしょうか


洋館の中で急に、書斎だけ和室

ここで、小説を書いていたんですね

鞄とか背広とか、色々


さあ、女人哀詞

山本有三は劇作家で有名になり、その後小説家にシフトしていくのですが
劇作家として最後の方の作品が女人哀詞(唐人お吉)

当時、下田在住の郷土史家、村松春水の研究で
唐人お吉の存在が世に知られることになり
急に、お吉ものが世に溢れます。

特に十一谷義三郎の「唐人お吉」は秀逸で高い評価を受けます。
山本有三も読んで感銘を受けたひとり。

ただ、そうだろうか、と疑問を持ったことがひとつ。
酒に溺れて自殺に至る後半生にもっと焦点を当てたい。

山本有三の女人哀詞は、お吉ものとしては遅れはとるものの
女性の弱さと悲しさと、そして強さを見事に表現し、ブームを決定付けます。
水谷八重子、山本安英といった名優により演じられ大評判に。

その後、坂東玉三郎等名だたる名優たちが続々と演じています。

面白いのが、翻訳されて海外でも出版された事
特にフィンランドで大人気になり
演劇をフィンランドでも上演したいとの申込み。
山本有三は大変喜び、山本安英の使った着物とかを贈ったそうです。

普通に、洋館と庭園として見てもとても素晴らしい





いかんいかん。こういうとこ入っちゃうから全然進まないんですね。
お陰でずいぶん涼む事が出来ましたが。

井の頭公園
井の頭公園にやってまいりました。
以前井の頭公園をウォーキングしたとき、その中の玉川上水の部分は歩きました。
井の頭公園に行ってきました。
はい繋がりました。

松本訓導殉難の碑

松本虎雄は小学校の先生
今日は、井の頭公園に遠足嬉しいな。
みんな大はしゃぎで興奮し
児童のひとりが、玉川上水に落っこっちゃった。

虎雄先生、すぐに飛び込む
児童は助かったが、先生は帰らぬ人に。

こういうのはうるうる来ちゃいます。
とっさの事だから、先生は何も考えず自然に体が動いちゃったんでしょう。
こういう碑は非常に良いと思います。
せめて、多くの人が思い出してあげないと、浮かばれません。

牟礼(むれ)分水
来ました。また分水です。

コツが分かってますのでね。
堰があって

そのちょっと前を、分水口の逆岸側から探すと、ほれ発見

本の図面はこんな感じ

その後も緑が続きます。




お陰で、猛暑ではあるものの、思ったよりは何とかなりました。

さあ、どこまで行こうかな
三鷹台までと思ったけど
欲張ってもう一駅分
久我山まで

今まで〇〇市だったけど
いよいよ23区に入って来た。

えっ
急にテイストが。


あか抜けてるっ

こんなに違うかね
23区は金があるんですね

案内版もお洒落

いよいよここで曲がれば久我山

烏山村分水
その曲がり角のあたり
ひょっとして、分水?
烏山村分水
ラッキー
しかも、そう遠くないところにさらに
上北沢村分水
期待していなかっただけにとても嬉しい。

葉っぱでほとんど分かりませんが
これが烏山村分水

これが上北沢村分水

そしてそのあとの堰

うーん。やっぱり良く分かりませんね

結構進みました

おでかけマップ

またまた玉川上水。続けて繋げて。

(8/17のことになります)

玉川上水
何だか玉川上水で勢いついちゃっています。

昨日ちょこっと、曙橋まで行きました。

今日は天気も良いし、その続きだっ

テレビでは、猛暑で危険マークがついていて
不要不急の外出は避けましょうと。

不要ではありませんが、確かに不急と言われれば、まあね
でも、せっかくとったお盆の4連休を台風だカミさんだで、ぐだぐだ過ごしているわけですよ。
濡らして冷蔵庫で冷たく冷やしたタオルを首から下げていくと言うことで
何とかご勘弁いただけないでしょうか。

さあ、曙橋

車で行っちゃダメなのでバス。
小金井橋で降りて、違うバスに乗り換えて、曙橋の近くまで行きましょう。

ん?

参った。
我ながら自分の頭の悪さにくらっくら来ます。

昨日、逆方向とは言え、時刻表を確認して本数がないことは分かっていた筈
一時間後かいっ
何で自信満々に、バスを乗り換えれば良いと思ったのか

結論的には曙橋まで歩くしかないわけですが
だったら、昨日の「ちょっとでも進めておこう」、は
全く意味がなかったことになってしまいます。

結論は分かっているので、気持ちを切り替えましょう。
ゴー

途中、桜を3人で調べている人がいました。

おっ
これは知ってるで。
今から10年かけて、玉川上水を改善しようプロジェクトだな
なんせ、こっちは2日連続で歩いてます。

桜を調べておられるんですか。

はい

どうですか。調子良いんですか?

いえ、こっちの道側はもう老木で
上水側に若い桜を植えていっているんですが
管理が悪すぎて、全然育たないんです。
もう、計画から3年遅れで
我々、一本ずつ現状を調べて
データを行政側に提出して
もっとちゃんとやってくださいと言おうとしているんです。

びっくりしました。
てっきり行政の人達かと思っていたら
民間ボランティアの人だったんですね。

よろしかったら、こちらのホームページも見てみて下さい。
名勝小金井桜の会、というようです。
http://koganeizakura.com/index.html

曙橋に着きました。
一回来ているので、写真を撮ったり看板をじっくり見ないというのがありません。
そうすると、結構あっと言う間でした。
30分。
曙橋の鯉たちも元気。

さあスタートだ。

全般的にこんもりして、ほとんど川面が見えませんが
所々、橋から眺めて川が見えたりします。

今日の一番の目的は、分水を確認すること。
玉川上水。このルートには深い意味があった。
で書いたように、
分水は武蔵野台地全体を潤す血管のようなものだと分かりました。
江戸好きの私としては、
これはもう、分水の確認は、しなければならない「仕事」のレベルになりました。

千川上水
いきなり大物です。
6上水のひとつでもあります。

清流復活プロジェクトで野火止用水と共に清流が復活しています。
平成元年3月です。

玉川上水の碑というのもありました。

こっちが千川上水側

こっちが本流側

本に出ていた図面だとこんな感じ(ぼやけていてすみません)

ここには、水衛所というのもありました。

点検や清掃のために人が常駐しているところ。

境浄水場
玉川上水のすぐ横にあるので玉川上水の水を使えば良いと思うんだけど
地下水を汲み上げて使っている。
昔から、今の武蔵野市は地下水が豊富だったらしい。
広大な土地です。


数年前から、内部見学会が中止になって、今は一切公開はしていないらしい。

そこを何とか、と頼んでみようと思いましたが
そもそも誰もいませんでした。

國木田独歩、文学碑


武蔵野と言えば國木田独歩ですね

品川分水

水の入り口自体は、こんもりしすぎて確認できませんでしたが
すぐあとにある本流側の堰(せき)がこれ

本にあった図面ではこう

だんだんコツが分かってきました。
玉川上水の分水の見つけ方

本流側にある堰を見つければ、そのすぐ上流に分水口がある
分水に入れる水量の調整をしたんでしょうね。

かなり流域面積の大きい、大物です。

いちょう橋
いちょう橋とぎんなん橋が隣り合って2本というのがお洒落。
そしてここに、中島飛行機関連の碑が。

中島飛行機は以前調べました。
零戦を作った飛行機会社
空襲に関する講演でとても驚いた

三鷹
三鷹駅の近くへ来て、基本は暗渠で潜るんですが、
その一部を上に流して遊歩道にしてくれているところがありました。

ということは、水を触ることが出来ます。

玉川上水をさわれるのは、小平監視所の所とおそらくここだけ。

太宰治
この辺りに太宰治が住んでいました。

おそらくこの辺で玉川上水に身を投げて自殺しています。

不思議だなあ。
今の流れでは到底自殺出来るほどの水量がない
死体が発見されたときの写真を見ても、ここで自殺するには難しい気がする
よほど、薬を飲んで意識がほぼ無い状態で入水したんだろうか

太宰治の遺作、グッドバイを読んだことがあるけど
大爆笑出来るコミカルなものだった。
絶世の美女なんだけど、口を開くとガラガラ声で喋る言葉がことごとく下品で
みんな幻滅してしまう人がいる

主人公が、縁談を断るためだったか、その美女に
恋人であるかのごとき芝居を打ってもらう。
絶対人前で喋らないように言い聞かせたのだけれど・・・

・・・は、本当に・・・で、そのまま自殺するから続きが分からない。
誰か続き書いてくれないかなあ。
それまでの太宰治だったら分かるけど
こんな大爆笑出来る作品の途中で自殺出来るもんだろうか
タイトルは、グッドバイなんだけど。

まだまだ、玉川上水の旅は続きます。
続きは明日ね。

おでかけマップ

玉川上水。ちょっとだけ繋げて

(8/16の事になります)

玉川上水を間を埋め、小金井公園の手前まで繋がりました。
玉川上水を繋げよう。その2

まだ、四谷大木戸門のゴールまではまだ半分残っています。

歯医者
今日はカミさんもお休みなので、お出掛けは無理
おとなしくしていましょう。

歯医者に予約入れたの
車で送ってね

はーい。

聞くと花小金井とのこと

花小金井?
玉川上水に近くない?

残りのスタート地点の小金井公園に近い。

いってらっしゃーい。

小金井公園の近くにコインパーキングを探して止めた。

元々長い時間が無理なので、ちょこっとだけ。

玉川上水
さあ、小金井橋からスタートだ


木がこんもりで、ほとんど川面が見えません

何々?
今後、10年かけて、玉川上水を整備していくようです。

素晴らしいですね
玉川上水。このルートには深い意味があった。
でお話したように、小平以降は、主目的の飲料水確保としては役目を終えて一旦廃止。

でも、武蔵野台地の恩人、玉川上水を復活せねば、という強い思いで
水道水を流して復活。
そして、ここへ来てさらに整備しようと

小金井と言えば、桜
13代家定が花見に来たときの記念の松がありました。

さすが、小金井公園はどでかい
端っこから歩き始め
ずいぶん歩いたけどようやく正門

この辺りの玉川上水もやっぱり鬱蒼としています。

今も頑張って、さらに若い桜を植えているようです。

同じような事が江戸時代にもあったようです。

折角観光地として大ブームなんだけど、桜が老木化しているので
若い桜をみんなで植えました、という記念碑。

ところで、車でスタート地点の近くまで来てそこからウォーキングを始めるというこの方法
とっても便利なようでいて
大きな欠点がございます。

結局最初の地点まで歩いて戻らなきゃいけない。
しかもコインパーキングなので、早めに戻らなきゃ、どんどん料金が上がっちゃうと思うと気が気じゃない

電車の駅はかなり遠いんだけど
ひとつ方法があるとすると、バス

玉川上水沿いは五日市街道
さっきから、バス停がチラチラ目に入っている
バスで戻れるんなら、丸々往復歩かなくても良い

次のバス停で、時刻表を見てみました。
9時台は?
えっ、ゼロ
まさか次は10:22
ここは東京なのに、東栄町の電車の様な状況でございました。

さあ、戻りましょう。
曙橋です。
ちゃんと覚えておきましょう。

うわっ、すごい大きな鯉がうじゃうじゃ

同じ道を戻るなら、向こう岸の方を戻りましょう。
賢いですね。

こっち側の曙橋近くは、柵が低いので川が見えやすい

小金井公園の正門の辺りまで戻ってきました。

あっ、あそこにバス停
時刻表を見ると

おおおっ。一時間のうちに3本もある

最近どこの自治体でも絶対やっている100円で乗れるコミュニティバスです。
これは小金井市のCoCoバスです。
しかもあと3分後

どこまで行けば良いんだろう。
ここは小金井公園入口で、次がたてもの園入口
ひとつだけというのも悔しいから、次の桜町病院入口というところまで行こう。

来たぞ。可愛いです。

桜町病院入口の前で曲がっちゃった。
しかも結構進んでから止まった。

あらら、かなり戻らなきゃ。

ということで、ほとんど変わりませんでした。

戻ってきました。
料金は?
400円。
まずまずですね。助かりました。

結局、ほんとにちょっと進んだだけでございました。(ピンクのところ)

おでかけマップ

玉川上水。このルートには深い意味があった。

武蔵野の水路
昨日、お盆休みだけど、台風でしたのでお出掛けもままならず
図書館で本を読んでおりました。
目に止まったのが、「武蔵野の水路」という本。
玉川上水の分水(支線)を、全て現地調査して調べあげた、学術的な本。
3800円もする、大型のハードカバーの分厚い本なので
図書館でなければ見る事はないでしょう。

玉川上水って、江戸時代に江戸の人達の飲み水の為に
羽村から42kmにも渡って川を作って水を引いた
というところがすごい、と思っていた。

もちろん、それはそうなんだけど
この本を読んでいると
飲み水確保のためだけじゃないのかと驚かされた。

江戸から遥か西に42km
その間にあるのは、武蔵野の台地
地形的には、こんな風です。

荒川と多摩川に挟まれた台地。

この図を見て、なんでこのルートだったのかの謎が解けた。

玉川上水のが流れている線は
武蔵野台地の分水嶺(ぶんすいれい)の線と同じ
台地の中で一番高いところなので
雨が降ると均等に水が左右に分かれる。

分水嶺の尾根伝いに自然に川が出来ることはあり得ない。
どっちかにすぐ雨が流れちゃいますので。

敢えて人間が分水嶺の尾根伝いに用水を掘ることによってのみ可能。

では、なぜ、玉川上水は分水嶺伝いに流したのか
単純に江戸に飲み水を流したいのであれば
分水嶺にこだわらなくても、他にもルートはある。

別の目的

それは、玉川上水本流のみを見ていたのではわからない。
玉川上水には、本流から枝分かれした分水(支流)が30近く存在する。
その主なものは以下の通り

分水嶺なので、荒川側と、多摩川側にほぼ均等に分かれている。

そして、重要なのが、各分水の用途
以下の表を見れば一目瞭然。

本流はあくまで飲み水確保ですが
本流の目的が達せられる水量がある場合には
各分水の門が開けられる。

すると、分水の地域の人達も恩恵に携われる訳です。
実はそれは、飲み水だけに限定されない。
逆に言うと、分水で飲み水としての品質を確保し続けるのは難しいかも知れない。

若干水質は落ちたとしても、より大量に水を必要とするもの。
そうです。灌漑、農業用水です。

「分水嶺から水を流すと、最大限の灌漑面積を得られる」
という法則があります。

乾ききっていて、雑草が生い茂り
森にさえなり得なかった武蔵野台地が
玉川上水開発以降、新田開発が急激に進み
農業台地に劇的に生まれ変わるのです。

分水嶺に水を流す。
イメージして見てください。
台地全体が均等に水分に満たされ潤っていく。

ウォーキングしていると、立川崖線、国分寺崖線に
崖が連なり、そのあちこちに豊富な湧き水がある
これって、自然現象だとばかり思っていました。
人工的に作り出された現象だったんですね。
土地の中を通るうちに、美味しい清水となって湧き出る。

玉川兄弟は本当にそんな事まで頭に描いていたんでしょうか。
もしそうだったとすると、至上最高の兄弟ではないでしょうか
いや、考えていなかったと仮定しても
武蔵野台地全体の恩人に違いありません。

そして、その効果は農業だけではなかった。
潤った水は、生物を育んだ。
植物、動物。

そして、流れる小川は、子供達の格好の遊び場となり
原体験として心に刻まれた。
その風景は、絵画や文学の様な芸術も育んだ。

分水のうち、野火止用水、千川上水、品川用水で見られる事ですが
実は大名庭園の池泉の為に引かれた。
例えば、六義園は、千川上水から水を引いています。

動力にもなった。
分水には、多くの水車が作られ
粉をひく為の動力とかになった。

明治の一時期は、舟運にも使われています。

歴史
歴史を見てみましょう。

1653年、玉川兄弟により玉川上水開発。
その後、数々の分水が開発されていきます。

6上水と言われる
神田上水、玉川上水、本所上水(亀有上水)、青山上水、三田上水(三田用水)、千川上水
が揃います。
実は本所上水以外は、全て玉川上水からの水に寄っています。
先輩である神田上水すら、水が足りなくなって
玉川上水から神田上水に補水しています。

8代将軍吉宗が、急に神田上水と玉川上水の二つを残して、それ以外の4上水を廃止します。
理由は複数あるんですが
今回の本にいくつか面白い事が書いてありました。
品川分水は、当初から、細川家の池泉に水を引く目的だったけど、その目的が無くなったから廃止した。

吉宗のお陰でというか、井戸の技術がその後発達し
地下にある固い地盤を突き破って、さらに下から井戸水を吸い上げることも可能になった。

ただ、今回、本を読んで分かったのは
確かに上水は停止させられるんだけど
住民達の要望で、灌漑用水として復活したりしています。
さっきの品川用水も灌漑用水として復活。

そういった具合に、上水以外の用途でも復活すれば、台地は水で潤います。
そうすれば、井戸を掘れば水が出る。
実は、各上水は停止させられても
以前として玉川上水の水から飲み水を得ていると言えます。

明治19年に、コレラが大発生
水質の問題がクローズアップされ
明治31(1898)年、新宿に巨大な淀川浄水場が完成します。
玉川上水は、そこまで、37km水を運び、それ以降の5kmはここで役割を終えます。

昭和38(1963)年、淀川浄水場が廃止になります。
その跡地が、あの新宿副都心高層ビル街になるんですね。

羽村から12kmの地点に、小平監視所というのが出来
そこから、地下を通って、東村山浄水場に水が送られます。
現在もそうですから
玉川上水の12kmは今も、東京都民の水道水として役立っています。

それ以降は廃止。

さあ困った。

飲料水だけが良きゃ良いってもんじゃないことは学習しました。
どうするんだ。

すごいことがおきます。

昭和61年、1986年ですから23年後
12km以降にも、玉川上水に水が復活するんです。

12km以降廃止になった理由は、必要ないから、ということに加え
臭いとかの汚染問題があります。

なんと、12km以降に多摩川上流処理場というところで、高次処理水にして流すようにした。
飲み水とまではいかないが、玉川上水の12km以降には、水道水が流れている。
だから澄んでいて綺麗なのか。
そうなると、各分水も埋めちゃっていたのを堀り戻すところが出てきた。

分かってらっしゃる。
そして、粋です。

索引はこちら
[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)