[歳時記]12/23 東京タワーが完成

12/23

今でも東京の名所として多くの人が訪れる東京タワーは、
設計から完成までわずか571日というスピード工事でつくられた。

高さは333メートル。
使用された鋼材は4000トン、労働力延べ20万人、総工費25億円という
スケールの大きなものだった。

東京タワーは、それまで分散していた東京地区のテレビ塔を一本にまとめる
「総合電波塔」構想によって建設が計画された。

ただし、関東一円の半径百キロをサービスエリアにするには、
300メートル以上の高さが必要だった。
それならせっかくだから、世界一の高さの鉄塔をつくろうということになり、
当初はアメリカのエンパイア・ステート・ビルとほぼ同じ高さにすることが計画されていた。

エンパイア・ステート・ビルのてっぺんのアンテナまでは約380メートル。
これと同じぐらいの高さにしようというわけだ。

ところが、ここで技術的な問題が起きた。
日本は地震や台風が多い国。
そんな場所に、300メートルを越す高さの鉄塔を建てるのはかなりむずかしい。

それでも研究者たちは努力を重ね、とうとう建設を可能にした。
だが、エンパイア・ステート・ビル並みの高さにするのは、
風圧時における構造上 の問題からどうしてもムリだった

そこで仕方なく50メートルほど削って、避雷針のてっぺんまでが333メートルで建設された。

こうして、1958(昭和33)年12月23日に東京タワーは完成した。
また、建設する場所は、当初は上野公園が計画されたが、
都心でしかも土地が 広いということで芝公園に決定された。
東京の新名所がここに誕生した。

思い出
東京タワーと言えば、
ウォーキングイベントでも行った。
エレベーターじゃなくて階段で登ったなあ

ずいぶん経ったし、スカイツリーも出来ちゃったので人気薄かと思いきや
若い人に大人気
中もかなりお洒落なのよね

以前芝の職場だった時には、東京タワーのイルミネーションを楽しみにしていた
実に多彩なバリエーション
イルミネーションの美しさは、スカイツリーより東京タワーに軍配が上がります



でもやっぱり、一番の思い出は、長女とのデートだなあ
長女が大学受験の時、車で会場まで送っていって
終わる頃にまた迎えに行った

会場が東京タワーの近くだったので
東京タワー一緒に行かない?って誘ってみた。

年頃の娘がお父さんとどこかに行くなんて
まあ、あり得ないので、当然断られる前提

すると

良いよ

えっ
逆にこっちがびっくり

その長女も嫁に行っちゃったから
二人きりでのデートはあとにも先にも、最初で最後

楽しかったなあ

[歳時記]シリーズはこちら(少し下げてね)

[ことば日本史] 雅楽から。ろれつは強い味方

「ことば日本史」平安時代から

前回、雅楽から、「二の句がつげない」「二の舞」のお話をしました。
こちら

雅楽から、あともう二つ

やたら
雅楽の拍子に、二拍子と三拍子をあわせて五拍子にする
「夜多良 (八多良)拍子」という、複雑で速くて、
とてもあわせにくい拍子があった。

混乱しやすいよぉ
聞いている人も、よくわからないよぉ

それで「やたらに」という表現が生まれた。

漢字で「矢鱈」と書くのは当て字です。

めったやたらに、というのはさらに後に強調する言葉として追加されました。

ろれつ
「呂律(りょりつ)」は、中国で音律の意味で使われた言葉。
日本でも同様に用いられ、また何かを二つに分類するときの対語としても使われた。

音階については、宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・徴(ち)・羽(う)の
「五声」「五音」を洋楽音階名のド・レ・ファ・ソ・ラに配する「律」と、
ド・レ・ミ・ソ・ラに配する「呂」との二種に分類された。

この呂律が言葉の調子をいうのに転用されて、
言葉がはっきりしないことを「呂律がまわらない」というようになった。

ウケを狙うときは、呂律が回らないのは強い味方です。

私はIT技術者なので、Excel を使うときもその中で動くVBAというプログラミングも使えるのですが
面接の時、「VBAの魔術師と言われています」と呂律が回らない感じで言うと
必ず笑っていただけます。

ウォーキングイベントでいうと、庭園の小石川後楽園での解説
「ここは水戸黄門が中国から招いた朱舜水(しゅしゅんすい)が作りました」と
呂律が回らない感じで言うと、大ウケします。

元々ちゃんと呂律が回ったことなんてないんですがね

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

[歳時記]12/21 日本初のデパート開店

12/24
デパートが日本ではじめて開店したのは、 1904(明治37)年のこの日。
東京の日本橋駿河町の三井呉服店と隣接する越後屋呉服店が合併し、
両者の頭文字を取って株式会社三越呉服店と改称した。
ここに日本初の欧米デパートメント・ストアの誕生である。

越後屋に関しては、江戸時代、当時の小売業になかった
「現金掛け値なし」という販売方法を取りいれた革命児
そのあたりの事はこっちを読んでね
三越の前身「越後屋」の商売革命

これをきっかけに、同店は商品の飾りつけをアメリカ風に切り替えたり、
店内に一種のアミューズメントパークのような雰囲気を漂わせ、
楽しく買物ができるような工夫をこらした。

とくに、客と店員が座って商談する「座売り」販売から、
商品を並べて置く陳列販売に転換したことは、
日本の小売業にとって画期的なことだった。

また、自動車による配達や鉄道馬車に広告を出すといったPR戦略にも、
積極的に取り組んでいた。

ところが、建物そのものは昔ながらの日本の商家の雰囲気を残していたうえに、
店内は畳敷きで客は下駄を脱いであがるしくみだった。

そのうちに 下足番を置いて、靴カバーのようなものを客に渡して入店してもらうようにしたが、
それでも現在の百貨店から見れば奇妙な光景に変わりない。

こうしたしくみはしばらく続き、
三越に続いて開店したほかの百貨店とも同じようなスタイルをとっていた。

結局、客が土足で入店できるようになったのは、
大正時代末に白木屋呉服店が神戸に出張所を開いて、床をタイル張りにしたのが最初だった。

開店から数年後に、三越は西洋風ルネッサンス式の建物にリニューアル。
玄関にはライオン2頭の像を置いて話題を集めた。店内もユニークな装飾やBGM、
呉服に加えて洋品小物などを店頭に並べるようになった。
こうして、現在のデパートの基礎にともいえるスタイルが次々に導入されていった。

三越の開店は大評判を呼び、これをきっかけに、大丸、白木屋、高島屋などの大規模な呉服店が、
次々にデパートに変身。
どのデパートにもたくさんの人が詰めかけ、デパートの黄金時代が到来したのである。

ちなみに、現在のデパートでは、客にわからないように店員同士で隠語をよく使うが、
こうした習慣は開店当時からあったものらしく、店員がトイレへ行くことを
「遠方に行く」と言ったりしていたようだ。

[歳時記]シリーズはこちら(少し下げてね)

[首相]32 吉田茂。嫌になったらいつでも投げ出す。

出ましたっ、超大物
あまりに大物なので、何回かに分けてお話していこうと思います。

初選挙
戦後初めての選挙

鳩山一郎が結成した日本自由党が第一党
幣原喜重郎率いる日本進歩党は第二党
日本社会党が第三党

幣原喜一郎は日本自由党に負けちゃったので、首相を辞任させられた。

という事なので、普通に考えれば鳩山首相

ところが
吉田茂のいる外務大臣官邸に、鳩山が訪ねてきた

「吉田さん。日本自由党を引き受けてくれまいか」

即答で「嫌だ」

鳩山には、首相になれない事情があった
GHQから公職追放を言い渡されてしまった。
それが解かれない限り、一切の政治活動ができない。

鳩山と吉田は古くからオレオマエの仲
ただ、吉田はこの時点でどこの党にも所属していない。
戦前、結局は国家主義に変貌し、軍部のお先棒を担いだ形になった政党とずいぶんぶつかったので
政党に大して強い不信感がある

どうしてもか

ダメなものはダメだ

でも、非常事態であることは分かるので助けてやろうとは思った

これと思った人に首相を引き受けてもらえるよう
一生懸命奔走した

でも行く先々で、君がやるべきだ、と逆説得を受ける始末

どんどん周りを固められてしまい
とうとう受けざるを得なくなってしまった

鳩山に会った。
仕方がないとは思うが、受けるには条件がある

「おれは、ご存じのように、金はないし、金づくりもできない。
金の心配は、きみのほうでやってくれなきゃ困る」

「おれは、政党のことはまったく関係がなくてわからん。
政党の人事については、一切きみがやってくれなきゃ困る。政党は、一切きみの力で押さえてくれ。
ただし…
内閣の人事については、干渉してくれるな」

「それから、嫌になったら、いつでも投げ出す」

何ともわがままな条件だが、鳩山は呑んだ

「きみのパージが解けたら、すぐにきみにやってもらう」

この最後の一言が、後に大きな問題になる

3つの条件なのか、4つの条件なのか

丁寧な事に、この4つを巻き紙に書いてしまっていた。
でも実際にその紙が出てきたことはない

歴史の謎。

大命
一生懸命選挙活動を頑張って、よそ者に首相を持っていかれてたまるか
日本自由党のメンバーたちは「吉田茂」という名に騒然となる

自分も公職追放になっちゃっている日本自由党の大幹部、三木武吉はある作戦を立てた。
いいか、吉田が既に承知しているなんて絶対言うなよ
3つの条件なんてもっての他
散々反対論を言わせて、時間稼ぎをしておけばいい。

三木武吉は党大会で一言もしゃべらない

ようやく、天皇から吉田に組閣の大命が下ったとの報せがもたらせられた

三木武吉がおもむろに

みんなの気持ちはよく分かる
だがこうなってしまった以上仕方がない
吉田を日本自由党に引き入れ、首相とする説得役を
ワシがかってでる事にしよう。

このあと、組閣ですが
ここもすんなりはいきません。
続きはシリーズの次回ね

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)