[迷信]14 へそのごまを取ると お腹が痛くなる

へそのごまを取るとお腹が痛くなる
定番ですね
迷信界のチャンピオン

これを言われた事も言ったこともないという人は
日本人に一人もいないんじゃないかと思うくらい。

言われるともう取りたくて取りたくて
今まで何度となくへそのごまを取ってきました。
とりあえず今まではお腹が痛くなった事はありません。

本当のところどうなんでしょう

単なる俗説ではなく、医学的にも根拠があることのようです。

へそのごま
もちろんあれはゴマではありません。
あれで、ほうれん草のゴマ和えを作ってはいけません。

正体は、いわゆる垢

へそはくぼんでいるうえに、皮膚が複雑に入り組んでいるので、
ふつうに体を洗っただけで 内部にある汚れを取り切ることはむずかしい。

落とせなかった皮脂汚れや細かな繊維くずなどのホコリが一緒になって
積年の汚れとなっているもの。

新陳代謝の激しい赤ん坊のおへそを見ると、
垢が思ったよりもたまっていることに気づく。

オイルをしみこませたガーゼなどでふき取るといったような
ケアをする場合もあるようだが、
たとえ掃除のためであっても、へそを刺激することはおすすめできないとのこと。

その内側にある腹膜は、胃や腸、肝臓などの臓器を包んでいる組織で、
もしその皮膚が傷ついて細菌感染などを起こしてしまうと、
それが腹膜に広がって大事に至ってしまう危険性がある。

へそにたまった垢には細菌も多く存在しており、
その皮膚が傷つけば感染する危険も高くなってしまう。

腹部の内側は、壁や脂肪、腹筋や腹膜で何重にも守られているのだが、
へその部分だけは脂肪や筋肉がない。

つまり、ガードが薄いため、ダイレクトに内臓に影響してしまうリスクがある。

そのままにしておいても問題はないので、
大人も子供でも 基本的には放っておいてもいいらしい。

はい、これは理屈です
問題は、やっちゃいけないと言われたことをやらないでおれる性格か、って事です。
無理だなあ。

そのあと、臭いを嗅ぐのがなんともたまらない。

まあ、自己責任っちゅうことでいかがでしょう。

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[歳時記]2/19 郵便マークが〒になった日

2/19
現在使われている郵便のマークは「〒」
はい常識です。

ところが、マークを決定した当初は、
別のマークが使われるはずだったんです。

郵政省の前身は逓信省(ていしんしょう)と言います。

そのローマ字の頭文字からとった「T」。
でも、このマークには重大な欠陥があったため、
現在使用されているマークに変更されました。

1885(明治18)年に逓信省が新設されると、
新しい郵便マークが考案されることになった。
それまでは「日の丸に横一線」の徽章が使われていたが、
外国人に意味を尋ねられても答えられないため、
新しいマークをつくることになったのだ。

そして、1887(明治20)年2月8日の公示によって、
外国人にもわかりやすい「T」が採用されることになった。

ところが、なんとこの「T」は、
世界各国で郵便料金が不足している印として使われていたのだ。
それに気づいた当時の横浜郵便局長らが抗議したため、
急きょ別のマークに差し替えることになった。

だが、いったいどんなマークにしたらいいのか。
ええい、一本足しちゃえ

逓信省の「テ」だし、うまくいったんじゃない。

この顛末のおさめかたがすごい

最初からマークは「〒」のつもりだったんだけど
「T」と発表してしまいました。
間違い間違い

としたのが、1887(明治20)年2月19日

言い切ってしまえば、真実になります。

「〒」はカタカナ由来なので、日本でしか通じません。
ご注意を

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[三十六歌仙]25 源信明。愛しているよ。私もよ

源信明(みなもとのさねあきら)

ほのぼのと 有明の月の 月影に 紅葉吹きおろす 山おろしの風
ほのぼのと明けてゆく有明の月の光に山から吹き下ろす風に紅葉が舞っているのが見えます

源信明
光孝天皇の曾孫です

村上天皇代、名所絵の屏風歌などを奉る歌では定評のある人

中務(なかつかさ)との歌のやりとりが多く、ひょっとすると夫婦だったかも知れない

中務と言えば、あのすごい女性、伊勢の娘です。
中務も三十六歌仙に選ばれています。

源信明と中務との間には女児がいます

中務に送った歌がこれ
年ふれば 忘れやせむと 思ふこそ 逢ひ見ぬよりも 我はわびしき

何年か経てば、貴女は私を忘れてしまうでしょう
そう思うことの方が、逢えないことよりも切ない。

中務の返歌は「ながらへむ命ぞ知らぬ忘れじと思ふ心は身にそはりつつ」。

鑑賞
ほのぼのと 有明の月の 月影に 紅葉吹きおろす 山おろしの風
(ほのぼのと明けてゆく有明の月の光に山から吹き下ろす風に紅葉が舞っているのが見えます)

五・八・五・八・八と、三句も字余りのある珍しい作。

『深窓秘抄』『近代秀歌』など多くの秀歌選に採られた、信明の代表作です

「ほのぼのと」という語は、現代ではどことなく温かみが感じられる表現に使われがちですが、
実は暗い状態にやや光がさしてくる様子だったり、
ほんの少ししか光がなく薄暗いさまを意味します。
つまりこの和歌は、ぼんやりとした奥深い情景の傍で、
山から吹き下ろされた冷たい風によって、
情緒的な紅葉が一掃されたという意味合いのものとなります。

この歌を重要視し、これを常に胸に置いて和歌というものを案じるといいといったのが、心敬
「冷えさび」の教科書のような歌だとされてきました。
あの正岡子規も大絶賛しています

それでは、中務とのやりとりをもうひとつ

はかなくて 同じ心に なりにしを 思ふがごとは 思ふらむやぞ

頼りない気持のまま、あなたと心を一つにしたけれど、
私が思っているほど、あなたは思ってくれているでしょうか。

中務の返し

わびしさを 同じ心と きくからに 我が身をすてて 君ぞかなしき

切ない気持ちでいることは、貴方も私も「同じ心」なのですね。
そう聞きましたからには、我が身など捨てて顧みません。
ただ貴方のことが愛しくてなりません

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[首相]32-5 吉田茂。あの人とあの人とあの人

[首相]32 吉田茂。嫌になったらいつでも投げ出す。
[首相]32-2 吉田茂。分かった。ひとりの日本人も、餓死させない
[首相]32-3 吉田茂。耕さないもの認めない
[首相]32-4 吉田茂。初めての選挙
の続きです。

再登板
最初は鳩山一郎にどうしても頼まれ、いやいやなった政治家、そして首相だった
ただ、首相を終えて、野党になり、片山内閣、芦田内閣の期間を減るなかで
強く意欲を持つようになってきた。

首班指名で芦田均に負けたあと、巻き返しを図る
芦田の民主党の中の幣原喜重郎に近づいた

幣原喜重郎は民主党内の幣原派28人を引き連れて、民主党を離党
同志クラブを結成
さらに無所属議員8人と合わせ、民主クラブ

吉田の自由党は180名。民主クラブと合併して民主自由党となった。

芦田均内閣が昭和電工汚職事件で総辞職を余儀なくされ
さあ、いよいよ出番だ

ところが敵と味方がはっきり分かれる性格
すんなりとは行かない。

まずはGHQ
マッカーサー自体には気に入られているが
GHQ内での反対意見が多い。

その話を受けて、民自党内の反吉田勢力が勢いを増してきた。
総裁の吉田ではなく、幹事長の山崎猛を推そうと。

民自党だけでは過半数は取れない。
政権の基盤を強固にするため
敵の多い吉田より、山崎猛を立てて、野党と連立内閣を作ろう。
野党も揃って、山崎猛を推す方向に集結

結局、吉田が民自党の首班と決まるも
民自党の一部を含め、野党が一致して吉田に敵意をあらわにし
衆議院では、吉田185票、片山1票、白票が213票という結果

大抜擢
それでも、首相となったからには、遠慮はしない吉田流

吉田の住む荻外荘(てきがいそう)に議員でもない無名の男が呼ばれます。
荻外荘?聞いたことあるような
はい。近衛文麿の旧宅です。
近衛文麿亡きあとは、吉田茂が借りて住んでおりました。

「佐藤君。君に官房長官をやってもらう」

実は、第一次吉田内閣の時、運輸大臣として大抜擢しようとし
いくらなんでも、と実現しなかった。
その時、課長クラス。
結局、運輸次官となったが、それでも異例中の異例

佐藤栄作は内心
おやじさん、あの時の事を気にされていたんだなあ。

その佐藤栄作を中心に、組閣が練り上げられていきます。

佐藤は、親友だった池田勇人を大蔵大臣に起用しようと
吉田に会わせる。

池田勇人と言います。

吉田は、特に会話しようともしないあっけないものだった。
この時は、池田大臣は実現しなかったが
3ヶ月後、池田勇人大蔵大臣がうまれる布石だった。

荻外荘では、佐藤が中心になって、各政策の勉強会が何度も行われる
後に吉田学校と呼ばれることになる

一年生議員
話を少し戻そう。
幣原喜重郎が自由党に合流する時のこと

人事に口出すつもりはない
ただ、一人、一年生議員なんだが
できるだけ早く次官にしてやって欲しい男がいる

一年生議員にあなたがそこまで肩入れするとは、よほどの男に違いない。
29歳という若さで、民自党の選挙部長という要職に起用された。

よーし、良い機会だ。徹底的に選挙に強くなってやろう

細かい全国の情勢を全て頭に入れて行った。
吉田は報告を聞く度に、その記憶力に驚かされる。

「二十代で次官、三十代で大臣、四十代で幹事長、五十代で総理大臣」
そう公言していた
すぐあとに、法務政務次官に据えられ、そのプランの第一歩がスタートする。
田中角栄です。

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