[首相]32-3 吉田茂。耕さないもの認めない

[首相]32 吉田茂。嫌になったらいつでも投げ出す。
[首相]32-2 吉田茂。分かった。ひとりの日本人も、餓死させない
の続きです。

憲法改正
幣原喜重郎内閣から引き継いだ、憲法改正という大仕事

天皇象徴制
戦争放棄

自由党内では大反対が巻き起こる

ただ、吉田にはマッカーサーの真意が分かっていた。

マッカーサーはかなり事前に日本の研究をしていて
日本の歴史の特殊性が分かっている
日本の歴史の中での天皇の役割

極東委員会のメンバーのうち、ソ連やオーストラリア、ニュージーランドでは、
日本ファシズムの復興を恐れ、天皇も戦犯にすべきだとの強硬意見が出ていた

先手を打って既成事実を作ってしまおう

直接、天皇とも会い、その人格に感銘をうけたと語っている

また、ソ連が、日本の再軍備を怖れていた。
アメリカに任しておけぬと
日本の統治に直接加わろうとしていた。

戦争放棄、世界のどの国にもない
一足先の宣言でグゥの音も出なくする

正直敗戦後、実績戦争放棄
それを文にするだけ

でも、国内の反対の声は日に日に強くなって
吉田も、これはもう無理かも知れないと思い出した

その流れを大きく変えることが起きた

天皇自身が発言
総司令部案でいいではないか

農地改革
これはあまりに乱暴だった
無茶苦茶だとさえ言える

日本民族は農耕民族
縄文時代に始まり、農地所有のあり方が、
日本の歴史の変革のベースにあった

先祖代々苦労して確保してきた土地を没収
それを小作人に解放する

大地主が「支配」し
小作人が隷従する
その社会構造を抜本的に崩しきって作り直すんだと

資本主義の根幹である私有財産の保証を否定することになる

最初のGHQ案は全ての地主の土地を解放
だったが、
いくらなんでも、と

考え方を変え
不在地主の排除
即ち、自分自身が耕すのではなく
貸すだけのための土地は認めないと

所有の規模についても何度も調整が加えられた

結果として
従来4割6分を占めていた小作地の割合は、1割以下に激減した。
小作農家はほとんどなくなり、大部分の農家は自作農となった。
昔のような大地主や不在地主は、姿を消した。

GHQが当初目指した小作制度の廃止は、
事実上ほとんど理想に近い状態にまで実現され
わが国の土地制度は、従来の地主的土地制度から、自作的土地所有制度に一変した

馴染み(743年)の土地はおらのもの 
の「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)」以来の
日本構造の大改革だと言えるだろう

ほんとにこんな事を流血の惨事もなくやっちゃったのかと
改めて驚くばかり

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[首相]32-3 吉田茂。耕さないもの認めない」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: [首相]32-6 吉田茂。吉田学校の始まり。 | でーこんのあちこちコラム

  2. ピンバック: [首相]32-9 吉田茂 マッカーサー元帥、万歳 | でーこんのあちこちコラム

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