[首相]32-4 吉田茂。初めての選挙

[首相]32 吉田茂。嫌になったらいつでも投げ出す。
[首相]32-2 吉田茂。分かった。ひとりの日本人も、餓死させない
[首相]32-3 吉田茂。耕さないもの認めない
の続きです。

教育改革
文部大臣に起用したのは、田中耕太郎
田中は、戦前は東大法学部長だった、戦後は教育行政に転じ、
幣原内閣の安倍能成の下で、文部省学校教育局長をしていた

教育改革についての構想を、率直に話してもらいたい

師範学校が諸悪の根源だと思っています。
全廃すべきです。

師範学校は、初等教育の先生を要請するための学校

しかし
師範学校を廃止するのは大問題です。
内閣の運命に関わりますよ

内閣がつぶれたって良い
良いことはやろうじゃありませんか

手をつけようとすると
もっと大きな課題が出てきた

六三制

義務教育は六年間であったが、それに三年増やして九年間にする
アメリカ教育使節団によって勧告され、GHQが熱心に後押ししていた

これも良いに決まっている
でも3つの問題があった

1.何が教育の精神的中心であるか、そしてそれを具体的に示せるか
2.教師の問題。一気に増える生徒に対応出来る教師をどう要請するか
3.金の問題。これが一番大きい。敗戦間もない日本にそんな余力があるわけない。

吉田からの指示は
計画は良い。実現はゆっくりやるように

あちこちで反対の声が巻き起こるが
吉田は、すぐにやろうと言うものじゃないからと
各方面に説明して回った

唯一逆の意味で納得しなかったのがGHQ

すぐにやらない?
何を言っとるんだ
骨の髄まで軍国主義、極端な国家主義に凝り固まった日本民族を、
早急に変えねばならぬ。
昭和二十二年から三年の間に、毎年、小、中、高、大学と新制度に切り替えていけ

GHQに事情を分かってもらうために吉田は多大なるエネルギーを使った
何とか時間稼ぎをするため
疲れはてている田中を、高橋誠一郎に変えたりもした

その高橋が、GHQ に新任の挨拶に行った

ニューシェント局長が出迎えてくれ
いっぱい喋りかけてくる

何を言っとるんだろうか。早口でよく分からんけど
ニコニコしながら

イエス、サンキュー
と固い握手

あとから通訳に聞くと
「六三制の予定通りの実施は大丈夫でしょうね」

えっ
イエス、サンキューって言っちゃったよ

昭和二十二年三月三十一日、「教育基本法」と「学校教育法」が公布され、
「六・三制」は、ついに四月一日から発足した

選挙
様々な改革をやって1年後
国民に真意を問うため、解散すべし、と
マッカーサーからの指示

言われた通り、解散
選挙ということになる

吉田は、外交官で政治家ではなかったから
選挙に出た事はない

これが嫌だから、政治家にならなかったとも言える

でも、解散した本人が、選挙に出ないってあり得ない

どこから出るかなあ

四国の高知県は、吉田の実の父、
竹内綱が、明治二十三年第一区から代議士に当選。
続いて、実兄の明太郎、さらに義兄白石直治らが相次いで選出された
地盤だと言える

高知は、又従兄弟の林譲治が立候補している

麻生家に嫁に行っている娘の麻生和子を誘って、一緒に高知に行った。

同じ選挙区で立候補して、えらい迷惑なはずの林譲治が
色々段取りをつけてくれる

電信柱でも何でも良いから、とにかく頭を下げて下さいね

その日の晩、あまりにカツオが美味しいので食べ過ぎ
あくる日から寝込んでしまう。

いきなり?

林譲治が和子に行った

言うべき事はここに書いてありますから
和子さん、読んでください。

ええっ、高知見物ってことで付いてきたのに

棒読みで読むだけ読んだ
でも、読んでいくなかで、嫌になってきた。
父さんはこんな立派な人間じゃない

次の会場では、読みたくないと言った

それでは、よろしくお願いします、の一言だけで良いですから。

和子は、演壇に立つと、とっさに思いついたことを口にした。
「ご存じのように、父は、ヘソ曲がり、ツムジ曲がりで有名ですが、
あなたがたも同じ病気にかかっていらっしゃるんだと思いますから、
同病相憐れむで、一票入れてやってください」

ドッと受けた

翌日は吉田も復帰

さあ、ここで演説お願いします。

黒いソフト帽を取り
「吉田茂です」

それだけ

ちょっとぉ、それだけ?
吉田茂は分かっているわよ
せめてよろしくお願いします、くらい言ったら?

馬鹿。そんなこと言えるかよ

次の会場では、2~3分
世界の中での日本の立場とか小難しい話だけ

高校の会場で
「ここの高校の卒業生を集めておいたから、よろしくお願いします」

何を勘違いしたか、自分の子供の頃の話をして
「みんなしっかり勉強するんだよ」

そうか、どおりでみんな歳くってるように見えるなあと思った

そんな無茶苦茶な選挙戦だったが
吉田はトップ当選
林譲治も二位で当選

とは言え、吉田の率いる自由党は、第一党の座を奪われた。

社会党は、百四十三名で第一党、
日本自由党は百三十一名と、十名ばかりの差で二位に落ちてしまった

さあ、どうする
続きはシリーズの次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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