家康3、人質生活が終わる。桶狭間の戦い

徳川家康の3回目になります。

家康1、人質時代。我慢我慢ひたすら我慢
家康2、感動の里帰り

今川義元
今川義元が決意した。
よし、今だ。天下を取る

家康、分かったな。
この天下取りのためにせいぜい働くんだぞ

はい

今まで、ずっと、単に人質に甘んじてきたが
一働きして、名を残そう。

三河衆にしても、わが殿のために、ここが働き時

今川義元にすれば、まずは一番手前の尾張を踏み潰さねばならぬ

造作もないこと
聞けば、信長なる男、まだ26歳
蹴散らしてくれよう。

って、その役目は属国の三河衆たちにやらせるんだけどね。

兵力としては今川勢圧倒的有利
頑張り屋さんの三河衆もいる

ところがです。
驚くべきことに織田信長大勝利
名高き、桶狭間の戦い

ここから信長の怒濤の天下取りへの道が始まる
始まりの戦いと言っても良いでしょう。

何と言っても、大将今川義元自体が討ち死にしたこと

これで、今川勢、総崩れになります。

家康も命からがら、三河の松平家の菩提寺、大樹寺にたどり着きます。

もはやこれまで

祖先の墓の前で自決しようとしますが、住職に止められます。

厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)

今は、戦乱の世の中、誰もが自分の欲望を実現せんがため生きている
負けました。腹を切ります。
そうでしょうか
永遠に平和な浄土が作られないと、同じことが繰り返される
良いんですか
あなたのやるべきことは、腹を切ることですか

その後、「厭離穢土 欣求浄土」は徳川家康の馬印になります。

よし、次の世の中のために巻き返しだ

えっちょっと待ってください
巻き返しってあんた、もう負けてますけど。
と、今川勢。

家康、それからゲリラ的に粘る粘る

岡崎城に、今川から派遣されている城主は駿府に逃げ帰りたくて仕方ない
いつ、織田がここまで来るか、ビクビク
元々、家康さんのお城ですから、家康さん岡崎に戻ってくださいな

ここでホイホイ戻らないのが、家康の家康たるところ

いえいえ、長くこの三河を守っていただいた恩を忘れて
火事場泥棒のような真似は出来ませぬ

たまらず、夜逃げのようにして逃げ帰った。

あっ、城をお捨てになりましたな
捨てたものであれば、誰が拾うおうともよろしいですな

家康、晴れて、人質生活に終止符が打たれることになります。
作戦勝ち

清洲同盟
織田は今川を完璧に潰した訳ではなく、
義元の息子、氏真(うじざね)の首までは取りに行かなかった。

ということで、自動的に、義元の後を氏真が継いだ。

義元はとても優秀だったけど、氏真は、まあそのなんちゅうか

家康は、何度も使者を送る

何としても父上の仇を討ちましょうぞ
この家康、命を投げうって力になりまする。

何度言っても、動こうとしない

仕方ありませんな
私ども弱国三河は、今川殿が動いていただけないのであれば
織田の傘下に入らざるを得ません。
これも、作戦勝ち

とは言え、ひとつ大きな問題が
妻と子は駿府においたまま
織田につくとなると身が危うい

救出大作戦が行われ、
結論的には救い出せたんですが
順番の問題
先に、織田信長と同盟を結んじゃった。

妻、築山殿は元々今川の人間。
裏切り以外の何物でもないし
見捨てた、と捉えるでしょうね
この後の悲劇に繋がっていくのです。

いずれにしても、織田信長と徳川家康の関係がここから始まります。
信長の家臣ではなく、あくまでも同盟関係。

不思議とも言えるけど
この性格が全く正反対の二人
あっちにつきこっちにつきが激しい戦乱の世の中で
20年もの長きにわたり、同盟として信長を支え続けたのは、家康だけなんです。

索引はこちら
[徳川十五代将軍]シリーズはこちら(少し下げてね)


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