赤穂で、四十七士三昧

今、兵庫県加古川市の実家です。

昨日は親戚の集まりとかで色々

1/3は空いているぞ
兵庫県でしょ
兵庫県と言えばあれですね

赤穂へ
赤穂浪士ゆかりの地は、東京では
吉良邸、泉岳寺ともに行っておりますが
赤穂藩の方は遠いので、こういう機会でもなければ行けません。

行くからには、テーマとしては超大物ですから
生半可な状態で行っては勿体ない
とは言え、よしっ赤穂に行くぞ!と決めたのは1/2の朝

そういうと、泉岳寺に行くとき、調べているなかで
四十七士の面白いエピソードを色々集めた
赤穂浪士研究家のサイトがあったな

ところが、いくらどんな風に検索してもそのサイトが見つからない。
時間ばかりが過ぎていきます。
タイムリミットその日中
ええいっ
本買っちゃえ

こんな時、電子書籍はすごいですね
本が欲しい!
はいどうぞ
本屋に行く必要もなく
ネットで買って配送を待つ必要もありません。

買ったのは、山本博文さんの「これが本当の「忠臣蔵」赤穂浪士討ち入り事件の真相」
そういうと赤穂浪士は一回ちょこっと書いたきり
赤穂浪士は、なぜそれほどまでに人の心をとらえるのか

江戸もろもろ書いていて、もうちょっと赤穂浪士とは真剣に向き合いませんとね

何とかその日のうちに一冊丸々読みきりました。
細かい一人ずつの話はごっちゃになることもあるけれど
そこそこ頭に入れました。
さあ行けっ

赤穂駅から
父さんとともに、ほぼ1時間半で到着
降りたってすぐ、赤穂浪士モード

浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)や大石内蔵助(おおいしくらのすけ)の時世の句も

いきつぎの井戸
詳しくは、赤穂浪士を後でシリーズ化しようと思っていますのでその時説明しますが
浅野内匠頭の刃傷沙汰があって
江戸から、赤穂へ知らせるため
早水藤左衛門(はやみとうざえもん)と萱野三平(かやのさんぺい)が
本来17日かかるところをたった4日で走ってきた
最後、大石内蔵助宅に入る前に息を調えた井戸


本を読んで感情移入が出来ておりますので
これだけで大興奮

おおっ、萱野三平っ
萱野三平可哀想なんですよ
討ち入り前に自殺しちゃうんです。

花岳寺

花岳寺は、浅野家、大石家の菩提寺
ということは、浅野内匠頭と大石内蔵助の墓があるということ
さらにいうと、四十七士全ての墓があります。

あれ?
それらは全部、江戸の泉岳寺にあるんじゃなかったけっけ
だから、討ち入り後、浅野内匠頭の墓に報告に行った。

まあ、良いじゃないですか
江戸時代って、参勤交代なので大体主だった人の墓は江戸と地元の両方にあります。
そういうもんです。

泉岳寺の墓に比べると、若干それぞれが小さめです。


やっぱり本を読んでいて良かったです。
一人一人
おおっ
武林唯七
この人が最初に吉良上野介をブスッ
間十次郎
で、この人が首を取った

一人一人
ああ、この人も頑張ったよなあ
いてて、どうだい、傷の具合は

写真パチパチ撮りまくり
楽しい楽しい
墓で楽しいってのもどうかとも思いますが
まあ、ウォーキングでは毎度の事でございます。

宝物館というのと、四十七士木像館というのがあります
有料ではありますが
良いです良いです絶対入ります

一つだけ残念なのが、写真撮影禁止

泉岳寺にも宝物館と四十七士木像館があるんですが
ほぼ同じくらいの充実ぶり

中村勘助が泉岳寺の浅野内匠頭の墓前で読み上げたという文も残っていて
これまた大興奮
これだけでも写真撮らせて欲しかったなあ

寺坂吉右衛門はおりませんが、から始まっているのが面白い
寺坂吉右衛門って討ち入りに参加はしたものの
泉岳寺には行っておりませんで
本では、途中で逃げちゃったんじゃないかと書いています。
説は分かれるんですが、泉岳寺ないしはその前に点呼すると
寺坂吉右衛門だけいなかったんでびっくりした
相手に殺されたって訳じゃなく
切腹もせず、天寿を全うした唯一の四十七士

どうしても、四十七士となると美化したい訳で
今回、色んなゆかりの地で、寺坂吉右衛門をどう扱っているかが見所だったんだけど
やっぱり、申し付けられて、浅野内匠頭の奥さんに報告に行くために抜けた、的扱い
全部、四十七士には入れてもらっていました。
入れないと四十七にならないしね
百姓から、吉田忠左衛門に取り立てられて武士になったばかりの若造ですんで
責めちゃ可哀想です。

涙を誘ったのが、四十七士から、奥さんだのお母さんだのに向けた、別れの手紙
大石内蔵助からは、絶対秘密厳守だから家族と言えども言っちゃだめと言われていましたが
死にに行くわけです。
成功したとしても切腹のつもりでみんな参加していますので。
そりゃ、別れの手紙は書きたいです。

こういう日本人の大和魂が特攻隊に繋がったと考えると
確かに誉められた事ではないですけど
一人一人の気持ちを考えるとね
感情移入しちゃいます。
そこで売っていた、手紙をまとめた冊子も買っちゃいました。

今回、このあともまだまだ続くんですが
色んなところでいっぱい資料が残っているというのは
いかに、日本人にこの事件が人気があり
感情移入されてきたのか
とっても良く分かりました。

まだまだ続きますが
長くなりますので一旦区切ります。

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赤穂で、四十七士三昧」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 赤穂で、四十七士三昧、続き | でーこんのあちこちコラム

  2. ピンバック: 赤穂浪士の凱旋ルートを歩いてみました。 | でーこんのあちこちコラム

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