赤穂で、四十七士三昧、続き

赤穂で、四十七士三昧
の続きです。

赤穂市立歴史博物館
赤穂城はとても広いので、赤穂城の敷地内にあります

赤穂浪士だけではなく、赤穂の歴史全般
残念!ここも写真撮影禁止です。
一階は主に塩
やはり昔から全国で70~80%のシェアを持っていたようです。
兵庫県民としては、昔から赤穂の塩は誇りに思っていたものです。

2階は赤穂城や城下町、赤穂藩、水道
もちろん、赤穂浪士も

赤穂藩って最初は岡山藩と同じ、池田家だったんだけど
ご乱心の殿がいて、途中から浅野家がお引っ越し
赤穂での第一代藩主は浅野長直
正保2(1645)年からなんだけど不思議なことします。

もう武家諸法度が出ているので
平和なので出来るだけ城は減らしましょうね、という時代になっているのに
城を作り始めます。
それも、本当に戦争するときに防御するための技術が極めて高い
良く許されたなあ

設計したのが近藤正純さん
私と同じ名前なのでテンション上がっちゃいました。

赤穂浪士関連でも色々ありました
赤穂浪士すごろくの数が多かった
本当に庶民は赤穂浪士が大好きだったんですね

大石神社

左右に、表門隊と裏門隊に分かれ像がずらっと並びます。

バチバチ写真撮っちゃいました。
ああ良かった
寺坂吉右衛門も入れてもらえてます。

とても立派な神社

元旦の日岡神社が初詣出来なかったから、ここでお参り出来れば良かったんだけど
ここもずいぶん並んでいて断念。

ネットで出ていて楽しそうだった水みくじ
やってみました。
水に浸けると文字が浮かび上がります。
よっしゃ、大吉

ここにも宝物館がありました。
3箇所目
予想を遥かに上回る充実ぶりに感激

しかも
3箇所目にして初めて撮影OK
やったー
大石内蔵助が実際に討ち入り当日使った采配と
誰かが吉良上野介を討ち取ったときに鳴らす約束で全員が持っていた呼び子笛

様々なスパイ行為を駆使して作り上げた吉良邸の見取図

各種書状や実際に使った武器の数々
すごかったのが大石三平が後に有名な国学者となる荷田春満(かだのあずままろ)から吉良邸での茶会の日を聞き出した書状の本物
荷田春満は京都稲荷の神主でもあるので、その時の名前の羽倉斎宮になっています。
分かるでしょうか
本文の一行目と二行目の間に、十四という文字
せっかく討ち入っても吉良上野介が不在だったら意味ありませんからね
これで、討ち入りの日が12月14日に決定します。

木像館
同じチケットで木像館にも入れます。
木像館は花岳寺にもあったので二つ目
でもこっちは撮影OKですからね
全員分撮りましたよ
多すぎるので一つだけあげますと、こんな感じ
大高源吾


堀部安兵衛


木像館は泉岳寺にもあるんですが、泉岳寺や花岳寺のものは討ち入りの時の勇ましい格好で統一されているので
このような人柄の出たリアルな木像はとっても嬉しい
色紙が詳しくて一人一人良く分かります。
全員取ったあと大喜びで出てきたら
なんと、全部写真と、色紙よりさらに詳しい一人一人の解説が載っている本を売っているじゃないですか
最初に言ってよ

1800円と高かったんですが、買っちゃいました。

大石内蔵助邸
さらに同じチケットで大石内蔵助邸にも入れます。
とくとくチケットですね
切腹が分かっていたので討ち入り前に離縁した、奥さんのりくや次男、女の子たち


庭園も見事

興奮に次ぐ興奮

赤穂城
さあいよいよ赤穂城
とにかく広い



元々天守閣は無い「平城」ってタイプなんですが
中に見事な庭園がありました。
最近、それを再現したそうです。
わくわくドキドキ

えええーっ
なんとなんと、正月3日までお休み

残念無念のコンコンチキでございます。
最初に調べときゃよかったね

民族資料館
さすがに3つも博物館的なものに行ったらもういいかなと、パスしようと思っていた民族資料館
城に入れないんだったら、そっちに行ってみましょう

ちょっと離れているんですが、頑張って歩きました。

えええーっ
まさかのお休み

建物がかっこ良かったです。
おそらく、昔の専売公社の施設で、塩中心

ああ楽しかった

四十七士に関してはかなり色々情報が入ったので
今後シリーズ化して
流れや背景、そのあと一人づつ書いていくことにします。

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