江戸東京たてもの園に行ってきました。

(5/1の事です)
10連休は、思いきりあちこちウォーキングするぞ、と意気込んでおりましたが
くうちゃんの事が心配なので、短めのウォーキングをちょこちょこに変更。

近場と言えば、家からバスで行ける、小金井公園内の江戸東京たてもの園

小金井公園
梅の時期、桜の時期と何度か来ております。
シーズン以外で来るのは初めて。

こりゃまた、ガラッと雰囲気が変わりますね
シーズンは人がワンサカいて、ワサワサって感じなのに
静かに、新緑いっぱい

SLとか


藤の花

江戸東京たてもの園
10年以上前に、カミさんと来たっきり

入口入ってすぐのところにガイドさんがいて
一通りの回り方を説明してくれた。
13:30から、ガイドさんと一緒に回れるらしいけど、昼には帰りたいからなあ

常磐台写真場
昭和初期に常磐台にあった写真屋さんです。
ああ、やったなあ。背比べの跡
子供が7人もいたらしいので大変です。

とっても親孝行で、おじいちゃんおばあちゃんの部屋は
自分達の部屋より、天井が立派で、茶の湯も楽しめる造り

2階の写真場が素晴らしい



北側からすりガラスで強すぎない柔らかな光を入れ、白っぽい壁で自然に反射するようにしている。

三井八郎右衛門邸
ここ、すごかった。

三井の十一代三井高公(たかきみ)さんの邸宅
第二次大戦後の、財閥解体の時期にたてられたもの
各地に散らばる三井の良いものをなくしてしまうのはもったいないので
ここに集めて保存しようとした建築

良いとこ取りなのですごいのなんの

2階の仏間は写真NGなんだけど、
左側に、なんとあの越後屋の三井高利とその奥さん、かねさん
三井高利は本人切れ者だけど
お母さんと奥さんも切れ者なのよね
三越の前身「越後屋」の商売革命
伊藤宇多。松坂屋を作った女性

すごいのが、龍の天井絵
なんと絵の具じゃなくて、剪綵(せんさい)という手法で作ってある
ごく小さな色糸や絹布を裏側から、重ねながら貼っていくというもの
さぞや有名な人の作品だろうと思いきや
なんと幕末期の三井家当主、三井高福(たかよし)さんの手作り
趣味だと言うことだけど
趣味という範囲を大きく越えています。
以降、この手法、一般には伝承されず
三井家の当主の奥様の手から手へのみ伝えられて今に至るらしい。

すごいものを見てしまいました。
さらに正面に置いてある青磁器も別の当主の手作り
そのための窯まであるらしい

大金持ちなんだから、超有名な芸術家の作品ばかりを集めても良さそうなのに
とても好感が持てます。

ビックリしたのが高公さんの奥さん。
なんとあの松平春嶽(しゅんがく)のお孫さんなんですって。
幕末四賢侯の一人です。
三井と言えども、大殿様の孫をもらったとあっては大変。
奥さんの部屋は一段高くなっています。

蔵に行きましたら
お輿入れの時の道具。出ました。三つ葉葵

一階や庭は、京都から持ってきたもの。
場所が桂離宮のそばだったので、桂離宮の影響を強く受けている
月に関わるものが3つ
満月

三日月

月崩しの欄間(らんま)(月という漢字を崩してあるそうです)

綱島家の古民家
江戸時代中期からの古民家です。
ということは、この前の板橋の古民家と同様なので
関東では最古級になります。

吉野家
こちらの古民家は、江戸時代後期になります。

三鷹市野崎にあったもの
尾張藩のお鷹場の場所
ビックリですが
この板戸より向こうは、お殿様が来られた時のみに使われる部屋で
普段は使わない。

入口もお殿様用に別

八王子千人同心組頭の家

その名の通り、1000人の組織。
家康から、以前の武田の郷士たちに、甲州街道宿場町で、戦略上の要所
甲斐へ向けた警備をしてくれと。
ただ、その後すぐに平和の世の中
主に仰せつかった役割は、日光の火の用心
えっ、逆に遠いです。間違えたのかなあ
行き来するのがえらい大変
おそらく、敢えて無駄とも思える行き来をさせて、影の目的
即ち、甲斐の産物の流通を図ろうという経済政策だったように思います。

前川國男邸
前川國男は、建築界の超大物
その大物が、作った自宅。
気合いが入っとります。

迎えたお客様を、おおーっと唸らせなければ商売が広がりません。

ところが、時期は戦時中。
贅沢は敵だ!
延べ床面積100平米以上は法律で禁止
さあ、どうする國男

答はこの展示を見てもらえれば一目瞭然

私、建築の素人が、一目でおおーっと唸るこの空間
広いっ。

狭いものを広く見せるため、縦に突き抜けたひとつのどーんとした空間

最初の大きな扉が開くときの演出効果で
最初わざと、狭いなあと思わせるような場所しか見せないようにして、
どんと開くと大空間
そのギャップで、おおおっと声をあげさせる。

風通しの工夫とか、北側の庭の秘密とか
全部、知恵なんですね
金をかけるんじゃなく知恵。

今でも、建築を学ぶ学生たちの教科書であり
メジャーを持った学生が訪れては、色んなところの寸法を計っていくそうです。

まだ、西ゾーンだけで、こんなに紙面を使っちゃいました。
残りは、明日ね

どこ行こう、そうだ!target=”_blank”>おでかけマップtarget=”_blank”>おでかけマップ

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