[神社] 天神が学問の神様になった理由

[神社] 天神様の大出世
[神社] 菅原道真が天神様と言われる訳
[神社] 天神様。嘘を誠に替えましょう。
の続き。天神としては最終回になります。

菅原道真の祟りが怖くて始まった天神様
そのままであれば、関係者以外には何のメリットも無い筈

時代を経るにつれて、恵みをもたらす善神へと変貌を遂げていく。

平安時代後期の藤原清輔の歌論集「袋草紙」には
藤原顕輔が無実の罪を北野天満宮で晴らした話が出てくる

どうも、菅原道真と同様の境遇の人の救いの神になっていったようだ

正義の神となり、国家鎮護の神となった

そして大本命
菅原道真が文章博士(もんじょうはかせ)で大学の神であったことから
学問の神様になる

室町時代になると、禅宗の僧侶の間で文学の神として信仰されるようになる
そして、「渡唐(ととう)天神」の話が生まれる

渡唐(ととう)天神
臨済宗の僧侶であった円爾(えんに)が宋から帰国した
夜中、道真が現れた

禅を学びたいんですけど

ほう。それは良いことですな
私の師は、宋にいる無準師範(ぶじゅんしばん)は素晴らしい方でしたよ

道真は神通力を使って宋へ飛び
無準師範に学び、奥義を授かって、一夜にして戻ってきた。

ただいま
無準師範から授かった法衣です。

この話から、渡唐天神の像があちこちで作られるようになっていく。

梅の小枝を持っていますね
梅も太宰府へ飛べるぐらいですから
道真本人が宋へ飛んだって不思議じゃない
チチンプイプイ

道真が書に優れていたという話はどこにも無かったのに
なぜか書道の神様になっちゃいます。
頭が良かったんだから、字もきれい筈

道真のひ孫の幹正(もとまさ)が太宰府に行ったとき
漢詩が書かれた紙が発見された
「神筆」と呼ばれ、京に送られて、公的に文書を扱う外記局におさめられた。
ということは、ひょっとして菅原道真の直筆?

残念ながら、残っていないし、字の良し悪しを書いた文章も無い

にもかかわらず、江戸時代になると
天神様は書道の神様として、寺子屋で信仰される
天神社に筆塚を立て、使えなくなった筆を埋めて、書道の上達を願う
というのがお決まりのパターン
寺子屋には菅原道真の掛け軸をかけ
天神の命日を偲ぶ天神講が組織される

明治になると、寺子屋は解体して、義務教育の学校になるので
天神信仰は下火になると思いきや
今度は受験の神様として大人気になり、今に至るのです。

うちも娘二人の受験は高校も大学も、
国立市の谷保天満宮(やぼてんまんぐう)でもらってきたお守りで
第一希望に見事一発合格です

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

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