[首相]14-2 加藤高明。なぜこんなに生きるのが下手なのか

[首相]14 加藤高明。三菱はおぬしにのっとられてやろう
の続きです。

大蔵省
親分大隈重信がいなくなったので、外務秘書官も不要とばかり、大蔵省に回されてしまった。
大蔵省もやりがいがあるはずだが、加藤はやっぱり外交がやりたかった。
4年半のくすぶる日々。

明治27年、陸奥宗光がようやく不平等契約を改正させた。
ずっと気になっていて、尊敬する陸奥宗光がやってくれたわけだから
大喜び、といきたいところだけど
やっぱり自分が携わりたかったなあ。

そんな時に、陸奥宗光から連絡。

どうだ。そろそろ古巣に戻って来ないかね

はいっ

駐英公使を頼む

はいっ

日清戦争に日本が勝ち
まさか!と世界が驚いているとき
その後三国干渉があったから
英国との外交は日本にとって最重要課題

そんな役割を任された訳だから嫌がおうにも気合いが入る
もともとのハイパワーな性格も全開
本省にくってかかるのなんの

大隈重信が外務大臣に返り咲いており
承知の上だから良いようなものの
またかよぉ

伊藤博文首相が英国に来たとき
首相にまで論争を仕掛ける

ただ、伊藤はひとつ気になった
まだまだ日英同盟が考えられるような時期じゃなかったのに
日英同盟という言葉を口にした。

こやつ、ただの大口ではないかも知らん。

外務大臣
明治33年。
第四次伊藤博文内閣

世間があっと驚いた。

伊藤博文が加藤に外務大臣を要請
41歳の若さ

そして、この時、伊藤が政友会という政党を作るんだけど
その入党も誘われている。

入閣は承諾したが、入党は拒否した。
外交というものは、政党とはそぐわない。が理由

不思議とウマが合った原敬は請われるがままに入党している。
原理原則で自分を縛ってしまう加藤と、現実路線を取る原
次第に大きな乖離をみせることになる

義和団の乱が起き、その後の北京会議
列強と日本の八ヵ国で行われた。
北京議定書で列国は中国支配を強めるが
加藤の調整で穏便なところに落ち着いた。

伊藤内閣が短命で終わったが
伊藤は、そのまま加藤を留任させようとした。

でも加藤はキッパリと断る。

その後、小村寿太郎が外相として日英同盟を締結。
またしても、檜舞台には立てなかった。

結果として、ロシアの極東への動きが活発になり
日露戦争が勃発することになる

総選挙
第七回総選挙
加藤を担ごうとする来客が訪れる

自分の意識は、外交の実務家であって、政治家ではない。
とはいえ、代議士の持つ役割の重要性も十分に分かっている
どうしても性に合わないのが、「選挙」
人に頭を下げ回って、票を入れてください、というのがどうにも。

断ると、今度は原敬の使いがやって来て、和歌山から立候補して欲しいと。
原が自分を買ってくれているのも分かるが
丁寧に断った。

すると、今度は板垣退助が直々にやって来た。
高知から出て欲しい。
こんな大物がやって来るとはとても困った。
これ以上ないというほど丁寧に断った。

次は、同じく高知で今度は反板垣派

板垣先生に断ったのに、受けられる訳ないだろう

うんざりだった。

ところが本人には無断で勝手に立候補してしまった。
勝手連と言われるものの第一号

板垣退助から、どういうことだと連絡が入ったが
「大丈夫です。絶対当選しません
万が一、当選しても、受諾しません」

全く選挙活動するつもりがありませんでしたから。

ところが蓋を開けてみれば
定員5人で4位当選。
もちろん受諾するつもりなんてない

どういうつもりだ
板垣から大激怒の連絡

これはひねくれものの加藤に対して逆効果だった。

加藤初めて代議士となる

ところが、4ヶ月後に、桂首相が議会を解散
たった4ヶ月の代議士生活だった。

どんなものかが分かっただけでよしとしよう。
本人は納得。

ところが、解散後の総選挙
加藤はやる気あり、と見た伊藤博文が動いた。

そうなると仕方ない。
重い腰をあげる

ただ、やはり選挙活動は無理
そんな加藤に対立候補たちは集中砲火を浴びせる。
もともと三菱の婿ではありますので、金権候補だとレッテルをはる

誤解を解こうと、演説会場に顔を出した。

話が理論的すぎて面白くない。

ここは学校じゃないぞ!とヤジが飛ぶ

黙って聞きなさい。外交の本質を教えてやっているんだ。

会場騒然

12票の僅差で落選
身から出たサビ

ところが
またまたビックリの事態が起きた。
当選者がまさかの不正で失格。
繰り上げ補欠当選。

徹底的に桂首相を攻撃する代議士となる

新聞社
議会解散後、また野に下った加藤
今度は、新聞社を立ち上げる。

そこで、またまた桂首相を徹底攻撃の論説

ただ、あまりにも紙面が堅い話題ばかりで
どんどん売上が落ちていった。

見るに見かねて、また伊藤博文が救いの手をさしのべた

人にはそれぞれ分がある。政界に戻るしかあるまい

西園寺内閣の外相となる

外相は得意分野だから、張り切って仕事するのだけれども
回りとの折り合いがうまくいかない
本人もそれを感じるようになり
結局辞任した

でも、ライバル小村寿太郎が声をかけてくれ、駐英大使になる

任期を終え、帰ってきたとき、山本権兵衛の仲介で桂首相と差しの会見をすることになった

あんなにずっと批判してきた相手
今更とは思ったが
会ってみると不思議だった
初めてちゃんと話す相手とは思えない。

自分は今まで何をしてきたんだろう

すでに52歳になっていた。

続きはシリーズの次回ね

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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