[首相]14 加藤高明。三菱はおぬしにのっとられてやろう

首相シリーズ。14人目の首相です。

「凛冽の宰相 加藤高明」という本を読みました。
ひとごととは思えない、この人の人生
なんで?なんで?
の連続でした。

加藤高明

幕末の尾張に服部家の次男として生まれる
父は代官所勤めだったから恵まれていた

9歳で明治になる
13歳で加藤家に養子に出る
名前は総吉だが、どうもダサい
高明に変える事にした。
服部総吉は加藤総吉へ、そして加藤高明に変わった。

高明の性格は傲慢でわがまま
あまりにも何でもすぐに分かってしまうからかも知れない

明治の時代は洋学だと、名古屋洋学校に入った。
幸運だったのはフランス人とイギリス人の二人の外国人がいたこと
特にイギリス人のアレキサンドルが大好きになり
数少ない生徒だったから、ほとんど個人指導のようにして
生きた英語をみっちり学ぶことが出来た。
英国と深い繋がりの高明の人生がここで形づくられた。

高明の能力と時代からして、上京は自然な流れとなった。
東京外国語学校に入り、次に東京開成学校に入った。
在学中に、東京開成学校は東京大学と名前が変わるから
高明は自動的に東京大学第一期生となった。
学部が4つに分かれ、法学部に身を置くことになった。
そして何と首席で卒業となる

三菱
東京大学を首席で卒業
普通に考えると官界入りだが、入ったのは郵便汽船三菱会社だった。

大喜びしたのは岩崎弥太郎
この時すでに大会社ではあるが、成り上がり
東京大学の首席卒業生を迎えられるほどになったのだと感慨深いものがある

晩餐の席で加藤の顔をまじまじと見つめた。
とても日本人離れした尋常ではない顔つきがとても気に入った。

三菱はおぬしにのっとられてやろう

加藤は旧来の前垂れをかけ、ひたすらに働いた。

そんな働きぶりに益々上機嫌な弥太郎
全国津々浦々の出張所を早いサイクルで巡っていく
ただ、商人相手の折衝はうまくいったと言えない
理屈が多すぎる。腰が高い。
それでも随所に、やはりものが違う、と思わせるところがあった。

良くやってくれた。おかげで将来が開けてきたよ。
お礼にわしの時計をやろう

金時計を差し出した

ありがたいことですが、汚れた作業服に金時計は似合いません。
金時計を持つにふさわしくなるまで、どうか預かっておいて下さい。

その言葉が気に入って、岩崎弥太郎は洋行させる事にした

海運業の本場イギリスで2年間みっちり勉強してこい

イギリス
イギリスの海運は学ぶべきことが多く忙しい毎日だった
そして、さらに色んな事を身に付けた。

イギリス人的ものの見方
それは、元々の加藤の気質に会っていた
日本人的な人に合わせる事が苦手な加藤にとって
とても住みやすく、加藤の気質を増長させる事に繋がったかも知れない。

そこで出会ったのが、後に日本の外務大臣として大きな成果をあげる陸奥宗光(むつむねみつ)
加藤の一本気なところが気に入ったようで、よく政治論を戦わせた
もちろん、加藤はその時点では、自分が政治家になるなどとは夢にも思っていなかったのだが。

ある時、訃報が届いた
岩崎弥太郎が急死

加藤は自分の立つ大地が崩れる思いがした。

帰国
帰国することになり日本へ
三菱は弟の弥之助が継いだ。

郵便汽船三菱会社は、共同運輸会社と合併し、日本郵船になった。
社風の全く異なる二つの会社
大変苦労するが、加藤が牽引役となり何とか乗りきることが出来た。

そんな時、縁談話が出た。
岩崎弥太郎の娘、春路(はるじ)と高明

今後「三菱の婿」とのレッテルがついて回るだろうし
自分の人生として、三菱に骨を埋めるしか選択肢がなくなる
どうにも気乗りがせず、陸奥宗光に相談
陸奥は「世評がどうした。なんなら嫁と一緒に外務省が拾ってやっても良いぞ」
とのけぞって笑った。

結果としてとても仲の良い夫婦になる

外務省
結婚して9ヶ月後
高明は外務省職員としてのスタートを切る

理由は「三菱の婿」
思った以上にこの波紋は大きかった。
完全に無難な人生のレールが目の前に敷かれた。
それが、どうにも耐えられなくなった。

お父上が存命なら、真の心をお伺いしたいことがある

さあ、どんなことなのでございましょう
たぶん、父は私とよく考えが合いましたから
あなたの思われることが父の真意だと思いますわ。私は賛成ですから。

弥之助に相談するといともあっさり許してくれ
逆に戸惑ったほどだった

当時の外務大臣は井上馨
最大の課題、不平等条約改正のため、鹿鳴館を作り、欧風文化をアピールしようとしていた。

春路としては得意分野
高明に舞踏のレッスンをつけたが
結果的には一度晴舞台に出席しただけで
世論に鹿鳴館方式は否定され、姿を消した。

条約改正に失敗した、井上馨のあと、首相の伊藤博文が兼任
その後、大隈重信が外務大臣になる

その大隈重信がどうしたことか、やたらに加藤の事を買ってくれた。
秘書官に大抜擢してくれる。

条約改正の下案づくりを担当することになった。
ねじり鉢巻きで、朝も夕もなく取り組む。
大隈が交渉する時の通訳も、加藤だった

アメリカが改正案を飲み、ドイツやロシアとも感触をつかんだ
いける!

ところが、極秘に進めていた改正案が、英国のタイム紙にすっぱ抜かれた。

実は、一部、そこだけ見ると問題がある部分がある
それを突かれた。
さらに、その後詰めて、総合的に解決出来る筈だった。
まだ今はまずい

大隈がやり玉に上がる
爆弾が投げつけられた。
大隈の右足がぶっ飛んだ。

大隈の入院中
黒田首相以下、大隈以外の大臣全員が辞表を出してしまった。

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続きはシリーズの次回ね

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