[三十六歌仙]5 在原業平。またまた色男

在原業平

出たっ出た出た在原業平
関東での人気者では在原業平がいました

藤原業平は父母ともに天皇の直系、三十六歌仙の中でも身分としては随一の血筋で生まれました。
ところが、祖父の平城天皇が起こした「薬子の変」によって皇位継承の道からは外れ、
在原姓を賜り臣籍に加わることとなります。

そのため生涯官職において出世には恵まれず、
晩年になるまで要職に就くことが出来ませんでした。
ああもう、私は京都にいても辛いだけ、関東に引っ越しましょう。
って事で、平安時代の人なのに関東にゆかりのある有名人なのです。

容姿端麗もってもて
女性に対して手が早い早い
華やかな女性遍歴は「伊勢物語」のモデルであり主人公。
生涯にわたったドラマチックでスキャンダラスな恋愛などの物語は、
高貴な出生でありながらも不遇な身分として生きねばならなかった、
美貌の貴公子として現代に伝えられています。

『勅撰和歌集』に80首が入首しています。
その中で『古今和歌集』の序文にある「六歌仙」にも業平の名が記されています。


月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
この月は去年と同じ月ではないのか、この春も去年と同じ春ではないのか。私自身だけが変わらず昔のままだ。

この歌は、在原業平の詠んだ歌ではありません。
伊勢物語の主人公が物語の中で詠った歌
伊勢物語自体作者不詳なので、よしとしましょう。

伊勢物語にはこうあります
五條のきさいの宮のにしのたいに住ける人に、ほいにはあらで物いひわたりけるを、
む月のとをかあまりになんほかへかくれにける。
あり所はきゝけれど、え物もいはて、
又のとしの春、むめ(梅)の花さかりに月のおもしろかりける夜、
こぞをこひてかのにしのたいにいきて、
月のかたぶくまで、あばらなるいたじきにふせりてよめる

五条后の宮の西の対に住んでいる女性と深い仲になったが、
睦月(正月)の十日ごろ、その女性は突然どこかへ行ってしまった。
居場所を知るも、手の届かない人になってしまった。
その年の春、梅の花が盛りの月の美しい夜に、
私は一人去年の思い出の残る西の対に行った。
そして彼女を想いながら月の傾くまで空っぽの板敷の部屋に横たわっていた

印象的なのは、月や、春や、の「や」の存在
疑問なのか反語なのかずっと議論がある
月や春が、そもそも変わったと言ってるか変わっていないと言っているのか
全く逆の解釈になる

百人一首では以下になります
こちらにも在原業平について色々書いてありますので、良かったら読んでね
ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 から紅に 水くくるとは
出ました、ちはやぶる。百人一首を代表する歌
広瀬すずちゃんです

在原業平は題材に事欠かないので
今までのブログでも何度か出てきています。
平林寺
武蔵野は けふはな焼きそ 若草の つまもこもれり 我もこもれり
(ああ、どうか今日だけは武蔵野の野原を焼かないでください。主人と私が身を隠していますから)
の歌で
志木ウォーキングの続き
紅葉間に合った平林寺

名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと
(都からここまで、飛んできたのだろうか。そのような名がついているのなら、訪ねてみたい、都鳥よ
私の想っている人は、今も生きておろうか、いや亡くなってしまっていようか)
の歌で
東京スカイツリーから、錦糸町へ

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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