[首相]24 平沼騏一郎。欧州の天地は複雑怪奇

平沼騏一郎(きいちろう)
司法省出身

近衛文麿が一旦引く選択をし、後継に指名したのが平沼騏一郎だった

岡山出身。貧しい家庭に産まれた。
東京大学を首席で卒業
どこにでも行ける筈だったが、
一番人気のない司法省に入った。
司法省から援助をもらっていたから。

司法省では、その能力を開花させ、エリート街道まっしぐら
検事総長、大審院長とキャリアを重ねていく。

シーメンス事件などの汚職事件でズバスバと容赦なく切り込んでいく。

そして、第二次山本権兵衛内閣で司法大臣として入閣する。

ここまではとても良かったんです。
ちょっと思想的にね

一言で言うと右翼
国粋主義団体である国本社を主宰していた。

天皇が直接政治をすることによってこそ日本は良くなるという考え方
陸軍の皇道派の幹部も国本社に入会

リベラル派の西園寺公望から嫌われたので
何度も、次は平沼だろうと言われつつ、最後の元老西園寺公望からお呼びがかからなかった。

色んな軋轢に、本人も少しずつ態度を変えていく。
2.26事件の失敗で皇道派が力を失った事もあり
現実路線に近づいていく。

枢密院議長に就任したことを受けて、国本社を解散

西園寺公望が一線を退いた事もあって、近衛文麿の後継指名が威力を発揮する

「日独伊防共協定」の強化や日中戦争の処理、
戦時下における国家体制の改革も近衛文麿路線を引き継ぐ。
内閣のメンバーも、司法大臣、文部大臣、外務大臣、陸海軍大臣など7人が留任。
近衛前首相も無任所大臣(行政機関を管掌しない大臣)として留まっている

中国国民党軍を率いていた蒋介石と対立する汪兆銘に新政府の設立を促す。

どうです?応援しますよ

これは残念ながら失敗

国家体制改革については、米穀配給統制法、
国民を強制的に徴用できる国民徴用令などを制定し、挙国一致体制を整備

物資はどんどん無くなり、配給制へ
ゼイタクは敵だ、の世の中になっていき
飲食店の営業時間の短縮、ネオンの抑制、お中元お歳暮の廃止
女性のパーマネントすら禁止になった

一番の懸念事項がドイツとの関係
対ソ戦を視野に入れていたドイツは、日本と軍事同盟を組んでソ連をけん制する狙いがあった

陸軍は、ドイツとの関係を強化すべし
海軍は、ドイツと近づきすぎると、アメリカとの戦争になりかねないと慎重論
両者の溝はとっても深く、平沼の難しい舵取りが必要になるが
結局何の主導権も発揮できない。

そうこうしているうちに、ノモンハン事件が起きる
満州とモンゴルとの間の国境紛争
そうは言っても、実質は日本とソ連との紛争
ここで、日本は大負けする

そうなると、ドイツが日本の味方となって参戦するかと思いきや
なんとなんと、その最中に、ドイツのヒトラーとソ連のスターリンは独ソ不可侵条約を締結

訳分からん

アメリカから日米通商航海条約の破棄が通告される
その失効が現実になると、アメリカはどのような商品も日本に輸出停止できる
まずい。決定的にまずい。

平沼は頭の中がぐっちゃぐちゃ
「欧州の天地は複雑怪奇」の言葉を残し
8ヶ月で総辞職する

第二次世界対戦の2日前
太平洋戦争の2年半前。

戦後、平沼は東京裁判にかけられ、終身禁固刑の判決を受ける
ただ、4年後、病気のため仮釈放となり
直後に84歳で生涯の幕を閉じる。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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